2012年01月21日

上原善広『私家版差別語辞典』新潮社 一二〇〇円+税

 だいぶ前のことだけど、「バカチョンカメラ」って言ったら、「それは差別語だよ」って丁寧に忠告されたことがあるんだわ。どうしてかって言うと「チョン」というのは朝鮮の「朝」のことで、在日韓国・朝鮮人を差別的に言う使い方なんだと諭されたのね。そして「バカもいけない。知的障害に対する差別的な表現だ」とも言われたわ。
「えーっ!」
 そんなこと考えたこともなかったあたしはずいぶんと困ったのよね。全自動式の操作簡便なカメラを「バカチョンカメラ」ではない言葉で言わなくてはならない。ずいぶん苦慮したんだけど、ちがう言葉で言い換えようとするたびに知的障害者や在日韓国・朝鮮人の人たちに対するこだわりのような意識だけが増幅していって、なんか以前より差別意識みたいな感覚が強くなっていったのね。
 で、さ。そういう言い換えって、自分が差別そのものと向き合ってないで言葉をごまかして逃げようとしているだけじゃないのかな、って思うようになった。関東育ちのあたしには「バカ」なんて言葉は喧嘩の時に使うフツーの罵倒語だったし、男にふられたときなんかに「バカだなあ」って呟く自嘲的な表現だったのに(あっ、藤圭子の『新宿の女』だ。あれは名曲でした。藤圭子が「バカだなあ、バカだなあ、だまされちゃあああって♪」って呟くように歌うたびに切ない女心が震えたものよ)、そんな的確な言葉を失ってしまっちゃうじゃないのさ。
 それでさ、もしかしたら、って思って調べてみると、ちがうんだよね。「バカ」は元は梵語で「愚」の意味。僧侶の隠語として使われていたものだという。だから「莫迦」が正しい。意味はまず「知能の働きがにぶいこと。また、そのさま。そのような人をもいう」であり、もうひとつの意味は「道理・常識からはずれていること」となる。かなり幅の広い語だから、単純に障害者差別の言葉だとは言えないわね。
 「チョン」はね、それこそ元の意味は朝鮮とは全く関係なく、朝鮮に対する蔑視の始まる近代以前からあった俗語で、「一人前以下であること」を指すのよ。『西洋道中膝栗毛』に「ばかだの、ちょんだの、野呂間だのと」と書かれているそうで、もとより他人を貶める言葉ではあるけれど誹謗中傷の言葉をなくすわけにはいかないよね。だってそしたら日本語で喧嘩ひとつできなくなってしまうものね。(以上、『大辞林』を参照)
 いずれにしても差別より先に存在した言葉であって、あとから登場した特定の差別行為とくっつく言葉だと勝手に誰かが言い出して流布したもののようなのね。それって逆に差別の拡散じゃないのかなあ。
 そんなところに小林健治『差別語不快語』(にんげん出版 一六〇〇円+税)を見つけた。小林氏は解放同盟中央本部で差別表現事件に取り組んできた人で、にんげん出版の代表なのね。で、これはウェブ連動式管理職検定02と位置づけられ、その企画・制作は人材育成技術研究所(代表辛淑玉)なのね。ちなみに01は香山リカの「メンタルヘルス」、03が「パワハラ・セクハラ」、04が「職場復帰支援」、05が「クレームコミュニケーション」、06が「人事とコンプライアンス」、07が「企業とCSR」というラインアップになっている。まあ、これからの管理職は人権問題に精通していなければならないということなんだろうかな。
 にしても、対策としての差別語みたいなのって、抵抗があるなあ、と思わないわけでもない。
 そんなふうに考えていたところでこの本みっけ。上原善広『私家版 差別語辞典』だ。こちらの問題意識は対策じゃあなくって、差別の本質に迫ろうというところにある。差別行為はどこかに人間の業(ごう)のようなところがあるんじゃないかな。だって、容姿で差別的な意識を持っていたからあたしはあのイケメンと一緒になったんだしね。だからさ、厳密に言えばあらゆる差別をなくしちゃったら人生はおもしろくないっしょ。
 とは言え、色恋は差別だ、って言えば異論はあるでしょうね。でも美人は得だしぃ。得だってことは差別があるってことじゃないのかな、なんてひがんだ言い方をしちゃえば、差別とは何かについても考え直さなくちゃならないときなのかもしれない。差別用語だってはじめから差別のためにあったわけじゃない。その差別用語の歴史みたいなものにまで迫ることができれば、差別語や差別表現という意味も変わってくるんじゃないかな。
 差別表現に対する糾弾がある種の差別語についての警告を広めたのだけれども、それが機械的な言葉狩りに堕してしまったわけでしょ。それをこの上原さん、正面からぶつかろうとしているのね。と言うより、上原さん自身、被差別部落の出身で、それを中上健次の言った「路地」という表現から語りはじめる。「路地」が正解なのではない。それは彼の好む表現であって、向き合うべきは……そ、あたしなのだ。
 で、さ。上原さんをめっちゃ気に入ったのでこそこそ探していたらね、上原善広『被差別の食卓』(新潮新書 六八〇円+税)をみっけ。「はじめに」にはさ、「『これが日本のソウルフードだ』という口上が店内に掲げられているモツ鍋屋が福岡にあることを知った。その口上の横には『解放の父』と呼ばれた福岡出身の活動家松本治一郎の写真が額に入れて並んでいた」ってあるのを見て、思わず叫んじゃった。あたいらがよく行くあの店じゃないのさ。あああ、モツ鍋が食べたくなったなあ……
 それで上原さんの取材の姿勢がすごい。世界中の被差別民のソウルフードを求めて体当たりで喰いまくるんだね。旨そうなものから、遠慮しときたいものまでいろいろあるけど、食を通じて差別というものとガッツリ向き合う意味で、これはお買い得の一冊だね。

☆☆☆☆ これが差別であれは差別じゃないなんてものはたぶんない。敢えて差別と向き合い、ナマの人間関係を作り上げていくことがだいじなんだと思う。その意味で上原善広に注目!ってとこかな。

春吉のふか川旨しもつ鍋のたましい煮込み自由を語る  休呆
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2011年10月21日

三山喬『ホームレス歌人のいた冬』東海大学出版会 一八〇〇円+税

 二〇〇八年の暮れの月曜日のことだった。朝日新聞の短歌投稿欄である朝日歌壇を愛読している僕はいつもの「えっ?」という声をあげた。朝日歌壇を見るときいつも敬愛している永田和宏氏の選から見ている。そこに選ばれた一首に僕の目は釘付けになった。

(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ

 この歌に詠まれた光景の異様さに僕は息を呑んだ。炊き出しのカレーならものに並ぶという世界はどこにあるというのだ。そして投稿者の名を見て再び驚いた。そこには「(ホームレス)公田耕一」とあったからだ。ふつう( )の中には居住する都道府県名が書かれている。なのにそこには「ホームレス」という朝日歌壇には見慣れない文字か書き込まれていたからだ。これはホームレスを自称する人物が炊き出しに並んだ体験を読んだものであろう。
 ホームレスが短歌を投稿してなにが悪い、と言えばそれまでだが、僕の頭の中にはなにがしかのホームレスに対する偏見があったのかもしれない。それが一気に崩れ落ちた。(柔らかい時計)は明らかにあのダリの名作を引っ張ってきている。シュールレアリスムの思想の一端を少なくともホームレス公田耕一氏は血肉化している。それだけで公田氏の教養の深さに驚きを禁じ得なかった。思わず、家人に声をかけたが、まだ寝室で眠りをむさぼっている彼女にその声は届かなかった。歌壇欄を見わたすと、他の選者もこの公田氏の作品を選んでいる。なのでこの作品の上には☆が付いているのだ。
 そしてこの冬、毎回のように朝日歌壇には(ホームレス)公田耕一の作品が採られていた。いささか短歌や俳句を嗜む僕は月曜の朝の新聞を開くのが楽しみになった。そしてその期待に違わず公田耕一氏は投稿を続け、知る人の中ではその存在はけっこう話題になっていた。選者の永田和宏氏もかなり注目していたし、朝日新聞でも公田耕一が何者かを探し始めていた。決して名乗りを上げるわけではなく、どこに住んでいるのかもわからない謎の歌人であった。しかし、いつだったけか、「しばらく見ていないな」と思っていたが、そのまま作品が掲載されなくなり、消えてしまったのである。そして僕もその存在を気にしなくなっていた。つまり、公田耕一は世間から忘れられつつあったのである。
「あの冬、そんな投稿があったよね」という記憶だけを残して。
 そうしたら、この謎の歌人を追いかけていた人がいた。そして公田耕一を捜し求めてあちこちを動き回ったのである。そうしてその調査結果をまとめたのが本書である。
 だから、謎のホームレス歌人公田耕一を見つけ出すサスペンスとしてもこの本はおもしろいし、取材の過程でいろいろな人と出会っていくところはホームレスにまつわる人間ドラマを見ているようでいくつもの驚きがある。三山は短歌を作る教養人を手がかりにしていく。そうした人物はけっこういるもので、ちょっとした人生のずれが運命を分かつものである。中にはいまをときめく(この原稿を書いている現在もだし、これが読者諸姉諸兄の眼に触れる頃にもたぶんときめいているだろう)菅直人(その頃、首相であるかどうかはわからないけど)氏のかつての親友であり、同じ夢を描いた同志という人物もホームレスとして著者三山と出会っている。
 読んでいくと、この国の社会矛盾というのがどんどん露わになってくるのである。そしてそうした社会の裏面で人間の尊厳のために闘っている人々も描かれていく。例えば横浜寿町で識字教室を続けていた大沢敏郎。公田耕一のデビューは大沢の死の直後らしい。
 また本書の中には、似たような人物のことが出てくる。同じ朝日歌壇の常連で、アメリカで終身刑として刑務所から短歌を投稿してくる郷隼人。彼の作品は『LONESOME隼人』(幻冬舎 一五〇〇円+税)としてまとめられている(調べてみたらこの歌集についてはすでにこのコーナーで書評されていた)。また、ホームレス俳人大石太。大石の句集『ホームレス天叫』(創造書房 一二三九円+税)の表紙には

溺れるをなお突き落す天の川

 とある。パラパラとめくるとホームレス生活の中から詠まれた俳句が並んでいる。冒頭の三句。

配られし自決の毒に目が醒める
まぐろ怖じ金目のものは地に埋め
茜空飯場の嗚咽とひびきあう

 大石氏はこのような句集を何冊も出しているホームレス俳人だ。もう一冊手に取る。同じ大石太『ホームレス羽抜鳥』(創造書房 一二三九円+税)だ。こちらは写真がたくさん挿入されている。ベンチで横たわる男の写真の下に

元専務公園デビューの晴姿

 そうなのだ。元専務であろうが、元教師だろうが、ホームレスになる機会はいくらでもある。われわれだって例外ではない。俳人大石太は鹿児島県生まれの男性だということがわかっている。
 しかし、ホームレス歌人公田耕一の正体はわからない。そして三山は横浜のドヤ街をさまよいながら、さまざまな人と出会い、公田耕一を追い詰めていくのだ。
 


☆☆☆☆ いろんな読み方ができる本だ。そして問い詰めている問題は大きく、深い。で、公田耕一とは誰か?ネタバレになるので是非ともお買い求めの程を…。
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2011年09月22日

野依智子『近代筑豊炭鉱における女性労働と家族―「家族賃金」観念と「家庭イデオロギー」の形成過程―』明石書店 四五〇〇円+税

 会社勤めをしている旧友と呑んでいたときだった。こいつが酒の勢いでからんできた。
「学校のセンセイはいいねぇ。給料は安定してるし、ダブルインカムで、、、ええ車乗ってるし、……」
 もとより酒癖のいい奴ではないが、その日は少し荒れていた。どうやら長い不景気風が彼の会社にも強くあたりはじめたらしい。
「給料がね、ずいぶん下がったんだよ。オレ一人の稼ぎで家族を食わせるのはもう無理だぜ。いいなガッコのセンセイは…」
 呑み友だちのくどいからみにだんだん腹が立ってきた。バブルの頃にこいつは所帯を持った。「女を食わせるのは男の甲斐性だ」とかなんとかえらそうなことを言って、彼女には仕事はさせず、結婚当初から専業主婦をさせていた。確かにその頃は厚い財布を見せびらかしていたし、充分に一家を支える稼ぎ手だったはずだ。それ がここに来て年収はかつての半分以下になったと愚痴る。
「嫁にね、少しは働けって言ったら、何であたしが働かないかんのってふてくされてね。確かに手に職はないから働いたにしてもしれているけどな。それに比べてあんたはいいよな、かあちゃんも教員だろ。二人とも一人前の給料だもんな。ずるい、ずるい、ああずるい!」
 あの頃のこいつの羽振りの良さを知っているだけにかわいそうにも思ったのだが、「ずるい」はないだろう。不愉快だ。なもんで、二次会はよしにして、千円余計に払ってやってタクシーで帰ったのだ。帰ってもおさまらないので飲み直した。二杯目のグラスが空いたとき、ふと妙な疑問が酒の染みた脳をよぎった。
〈給料というのは働いている人間個人に払われているんだろうか、それとも家族を養う前提で払われるんだろうか〉
 ダブルインカム・ノーキッズなどと言って家族を抱えたサラリーマンから揶揄されたのはだいぶ前のことだ。そういう揶揄の背景には夫一人の給料で家族を養うのがあたりまえであり、そのしきたりに従わずに稼ぎ手が二人で、子どもも作らないような生き方がある種の妬みも含めて僕たちのような二人家族に向けられたのではな いだろうか。実際、僕一人の給料で妻子を養っている同僚もいる。というより、世間ではそれが常識なのはなぜなんだろう。なのにその給料を二家族分取り、家族を持たない。それじゃ、ズルッ子と思われたのかもしれない。
 そしたら、「家族賃金」という熟語が目に飛び込んできた。…「家族賃金」観念と「家庭イデオロギー」の形成過程……と小さく黄色い文字で背表紙に書いてある。眼を凝らせば『近代筑豊炭鉱における……』とタイトルにある。筑豊の炭鉱の歴史を調べようと買った本だったけど、副題に「家族賃金」と「家庭イデオロギー」か 。ちがった興味で頁をめくった。そしたらおもしろい。第一章に〈夫婦共稼ぎの筑豊炭鉱〉ってある。筑豊の炭鉱って共稼ぎだったんだ。そう言えば、女性の鉱夫ってなんかの絵で見たような気がするなあ。うむ。なるほど明治の終わりくらいの共稼ぎというのは一先山一後山の採炭労働、つまり夫婦ワンセットで働いていたのか。 つまりは夫婦で一家族分の給料が支払われてたということなんだ。
 で、第二章は〈坑内保育所の成立・発展と女性鉱夫〉か。へぇぇ、共稼ぎが前提なので保育所を作るのはあたりまえだったと言うことか。で、第三章は〈女性鉱夫の変容〉ね。この共稼ぎの女性鉱夫はどうなるのだろう。なになに、女性の坑内労働が禁止されたって。ははあ、これは政府の政策かあ。第二の国民を産み育てるのが 女の役割だって…。そうか昭和初期になると世界はきな臭くなる。戦争が影響するんだ。おっ、それと機械化ね。機械化が進めば後山夫がいらなくなるのか。でも妻の仕事がなくなったら給料は減るんじゃないの?あらら、女性を坑内労働から排除するために男の給料を挙げたってわけか。でも倍にするんじゃないしね。ふむふむ、 で、失業した女性には内職をまわすんだ。ありゃりゃ、わが呑み友だちの置かれた状況に近くなってきたな。ほほう、ついでに保育所もなくなって幼稚園に変わるのか。うーむ、納得っ。
 で、第四章は〈炭鉱主婦会による生活改善運動〉か。えっ!主婦というのがここで登場するのか。女性鉱夫は失業して夫の給料とささやかな内職で暮らすようになり、主婦会に顔を出すんだ。おお、ここで彼女たちはいわゆる良妻賢母にさせられるのか。そうか、僕たち夫婦に向けられていた眼差しはこれだったんだ。
《家庭イデオロギー》
 僕たちの生き方はこのイデオロギーを逆撫でしていたのか。それで妬まれていたんだな。おお、それにわが呑み友だちの運命のように今や男一人の「家族賃金」では生活が成り立たなくなっている時代になってる。そうだ、そうだ、僕たちはこの《家庭イデオロギー》に洗脳されていたのかもしれない。何が男の甲斐性だ。女性を 労働から締め出し、家庭に押し込んでちっとばかし給料を上げてもらったのが「男の甲斐性=家族賃金」じゃねえか。それは甲斐性じゃなくって《家庭イデオロギー》の所産なんだ。かと言って、今更あいつに説教してもしょうがないしな。でも、この本はおもしれぇ。


★★★★ あ、これって九州大学に出した博士論文なんだ。博士論文ったって、こんなにおもしろいんだなあ。明日学校に行ったらみんなにも勧めよう。筑豊の歴史もよくわかるしね。
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狸小路きみこ『オサクばあちゃんのひとりごと』法邑興業株式会社 九五二円+税

 今ここにあったものがない。昨晩何を食べたか、…んー、思い出せない。えーと、この人の名前はなんていったっけ。いつ頃からだったろうか、そういう自覚症状が出てきた。赤瀬川原平が『老人力』(ちくま文庫 七一四円)なんて言い方をして慰めてくれたのはいいとして、やはり歳を取りつつある人間にとってはこうした症 状が進んでいった先が不安でならない。二十年後、いや十年後に今の自分を保っていられるかというと自身はない。しかし、いわゆる認知症の状態になってしまった人の気持ちは何処まで理解できているのだろうか、と思うと、これまた心許ない。
 一方で、高齢者に対する話しかけ方も気になる。若い人がまるで子ども相手のように「おじいちゃん、何が食べたいの?」なんてお年寄りに向かって言ってるのをしばしば見ることがあるが、自分がそう言われるようになったときのことを想像するだけで恐ろしくもなる。
 既にわれわれは高齢社会に生きている。高齢者の存在は人権問題の中でも重要な位置を占めるようになってきた。なってきたが、高齢者のことについてどれだけの理解がなされているのだろうか。理解がされていないから未だに子ども扱いのような対応がなされているのだろうと思う。
 本書は二人の認知症の高齢者(夫の祖母と母)を介護した女性による手作りの絵本である。主人公は八十八歳になる認知症のオサクばあちゃん。狸の姿をしているキャラクターがかわいい。そのオサクばあちゃんがついついやってしまういろいろな行動や失敗なんかが本人のひとりごととして描かれている。まあ、認知症の人がし てしまうことが次々出てくるのだが、高齢者本人の側からのメッセージとして読む者に伝わってくる。その言葉は著者が二人のばあちゃんとつきあってきた中で学んできた体験から導き出されたものなのだろう。だから認知症になった(なりつつある)高齢者の心の動きや不安といった気持がよく描かれている。そして、認知症であ っても人間であることの尊厳は失っていないことを教えてくれる。
 高齢社会の中で高齢者になりつつあるあなた。そして高齢者とつきあうことになる高齢ではない人たちに是非とも読んで貰いたい一冊だ。もちろん絵本だから子どもたちにもいい教材となるだろう。


★★★★ 最後にね「順番じゃ!」って言葉で締め括られている。そう順番なんだよ。
 そうそう発行が法邑興業ってあるけど、ま、自費出版みたいなものなのだ。どうしたら手に入るかっていうと、著者が経営している茶廊法邑(さろうほうむら)(011・785・3607)http://houmura.com/に直接問い合わせるか、いわた書店(http://homepage3.nifty.com/iwata/ email:PXY07224@nifty.com)に聞いて みるといい。きっと何とかしてくれる。

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伊藤氏貴『奇跡の教室 エチ先生と「銀の匙」の子どもたち』小学館 一三〇〇円+税

 灘高等学校は知ってるね。そう、東大にバリバリ合格者がいる日本一の進学校だ。この学校がかつては公立の滑り止めだったって知ってたかな。この本の主人公エチセンセイこと橋本武氏が旧制灘中学校に赴任したときはまったく無名のボンボン学校だったんだな。それが戦後一気に進学校として急成長したのだ。
 進学校として実績を上げるようになったのにはいろんな事情があるだろう。生徒にバリバリ受験勉強を叩き込めば受験の成果があがるのかというと、必ずしもそうではない。ほら、そのあたりの高校は頑張ったところでそんなところだからだ。ちなみに、よく言われることだが、関西の私立高校が進学校として成長した背景には戦後の公立高校の学区制の問題があることは否定できない。通学区が制限されるので特定高校に成績のいい生徒が集まらないというので、その生徒が私立高校に流れたというのだ。しかし、そのことだけでは説明できない。その伸び方には学校差があるし、殊に灘高校が進学実績で成長したのはそれより少し遅れてなのだ。何でだろう。
 で、だ。本書の主人公であるエチ先生は新制中学・高校の教育に彼なりの期待をしたのだ。灘中学校は戦後の学制改革で新制の灘中学・高校の六年一貫校となる。そして一教科一教師で持ち上がるというスタイルで、授業の内容はすべて教師の自由というのが、灘中学・高校の特徴なのだった。そこでエチ先生は自分が新たに中学一年を担当するときからとんでもない授業に取り組むことにしたのだ。それは教科書を使わないことだ。そのかわり、中勘助の『銀の匙』(岩波文庫)一冊を中学校の三年間かけて読むということだった。エチ先生が最初の中学一年生を受け持ったのが昭和二十五年だった。その六年後の昭和三十一年に最初の卒業生が出る。この年、灘高校の躍進が始まったのである。全国の東大合格者高校別ランキングで二十二位にランクインしたのだ。そして二代目『銀の匙』組が卒業した昭和三十七年には京大合格第一位となり、三代目が卒業した昭和四十三年にはついに東大合格第一位の座を手にする。その後の灘校は誰もが知るあの灘校である。
 どういう秘密があるのか。まず、すべての教科の基本は国語力だということだ。受験勉強だって詰め込みでは限界があって、「観察力、判断力、推理力、総合力などの結集がものをいいます。その土台になるのが、国語力だと思います。」(七十九頁)とエチ先生は言う。そして一冊の文庫本を三年間かけて読むという読み方にその答えがあるのだ。
 えっ!早く教えろって?だめだな、自分でちゃんと読まなくちゃ。国語なんだから。しかし、これはすごい方法であることは確かだ。ただ、まちがいないことは、エチ先生は受験指導はしないということ。そして灘校の教育は詰め込みではなくて「自由」な教育だということだ。
 ともかくこの方法で学んだ生徒たちは確かな「学力」を身につけ、東大やら何やらに入っていっただけではなく、その後の人生もバリバリやってんだそうな。そして卒業生たちは未だにその授業の中で生まれたものを持っているんだと。そして、また残念なことに灘校でエチ先生の授業を受けられたのは六年に一度の学年しかないということだ。だから、昭和五十九年に七十一歳で退職したエチ先生に『銀の匙』の授業を受けたのは灘校の中でも五世代、一〇〇〇人程度しかいないのだと言う。なんという無駄なことをしているのだと思うかもしれないのだが、それでいいのだというのが、この学校の方針なのだろう。受験校の代表格のように言われる灘校は詰め込みではないらしい。そのことだけでも驚きだ。
 「あえて捨てる、徹する、遠回りする」「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる」「正解よりも自分の興味に忠実であれ」…それが橋本流スロウ・リーディングの根底に流れる思想だ。ちょっとわれわれは目先の成果に焦りすぎてはいないだろうか。

☆☆☆☆ エチ先生の授業、『銀の匙』は中学生が対象だ。さて、受験、受験と生徒の尻をたたいている諸君、こんな授業をやってみる勇気はあるかな。
 ところで、エチ先生こと橋本武先生は現在九十九歳でお元気だそうな。
 

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