2013年09月03日

前泊博盛『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』創元社 一五〇〇円+税

 民主党から自民党に政権が戻って、安倍さんが首相に再任されて、なんだかんだで半年が過ぎた。ところで安倍さんて「憲法を改正したい!」って言ってた人で、前に総理大臣をしたときにはその前哨戦として教育基本法を改定してくれた人だったな。以前から〈戦後レジームからの脱却〉と言い続けてきて、それが憲法改正という目標らしいんだな。
 で、〈戦後レジームからの脱却〉って何なんだろう。安倍さんに言わせれば「戦後レジームからの脱却を成し遂げるためには憲法改正が不可欠」(安倍晋三ホームページ二〇一三・六・一 http://www.s-abe.or.jp/policy/consutitution_policy)なんだそうで、それで安倍さんは憲法改正に向けて躍起になっているっちゅうわけなんだな。確かに戦争に負けて日本はしばらくアメリカの占領下にあったわけで、その間に現在の憲法が作られ、〈戦後〉と言われる日本の体制が構築された。その戦後体制を〈戦後レジーム〉と呼ぶそうで、その〈戦後レジーム〉が今も続いているというのが安倍さんの認識らしいし、その象徴が日本国憲法のようなのだ。
 そう言えば、去る四月二十八日のことだけど、政府は「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を開催した。一方で、沖縄では「政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」を開催したんだな。なぜならば、沖縄はまだ〈主権回復〉からほど遠い状況にあるし、あの昭和二十七年四月二十八日は「独立」日本から切り離されて、アメリカの信託統治領になった〈屈辱の日〉と感じている。だから、4・28というのはずっと「沖縄デー」と呼ばれてきたんだな。
 マジメに考えれば、つまり(戦争と)戦後の痛みを感じているところから考えれば、〈戦後レジームからの脱却〉というのは沖縄の屈辱を晴らすことではないんだろうか。そう言えば、沖縄では米軍の犯罪が起きたというので、米軍が禁酒令を出したそうで、そのおかげで沖縄の飲食店は大ダメージを受けているという。そういう絶対矛盾がまさに沖縄における〈戦後レジーム〉なんだ。それを黙殺して「主権回復・・・記念式典」なんて能天気なことを言うのは肝心の部分を見過ごしているか、意図的に国民の眼を逸らしているのか、どっちかしかないと思うんだが。
 そして、ほとんどの国民はそれが沖縄だけの問題だと思っているだけじゃないのか。実はたまたま沖縄というところが米軍にとって都合がいいからだけであって、実は日本全体が沖縄と同じなんだね。日本という国はどんな国なのか。それは日本国憲法が定めている。しかし、日本国憲法以上に日本という国のあり方を「法的」に決めているものがあるのだ。それが「日米地位協定」というものなのだ、というのがこの本の示している内容だ。
 と、むずかしいことを書いたところで、「それでも日本は平和だ」なんてほざいている人たちに訊きたい。
「なんで米軍が日本のあちこちにいるんだ?」
「なんで鳩山さんは基地を動かせなかったの?」
「しかも、何で失脚しちゃったの?」
「なんで福島があんなになったのに、原発をやめられないんだ?」
「なんでTPPに参加しなくちゃいけないんだ?」
 いずれも昨今の政治的ギモンなんだし、日本を愛している人ならばみんな聞きたいことだろう。それに対して、それなりにもっともらしい答えを言う人はいるだろう?でも、それって、本当に日本の国益に立っての意見かな。
 「中国や韓国に屈したり、左翼勢力に与したくないから・・・・」なんていう消極的親米派もいるのかもしれない。でもそれってこの国のことではなくてアメリカの利益を第一に考えた発想だよね。
 しかし、日本とアメリカが植民地と宗主国の関係だとすれば、すべてが氷解する。そして『日米地位協定』にはそのことが書いてあるのだ。だから本書には「本当は憲法より大切な」と修飾語がついているのだ。
 素朴なギモンに対するQ&Aが本書の中心になっている。だからわかりやすい。それを読んでいくだけで問題が氷解するだけではなく、この売国的な約束事を作った人たち、この屈辱的なルールの下でぬくぬくと権力者面(づら)している人たち、さらにこんな反日的なルールも知らずにアメリカに媚びを売って自分を愛国者だとかんちがいしている人たちが情けなくなってくる。そして憲法を変えてさらにアメリカのポチになろうという〈戦後レジームからの脱却〉なんて話を逸らしている政治勢力にも腹が立ってくる。
 そんなわけで、何も知らずに、いやいつ自分たちに同じ問題が降りかかってもおかしくないことを知らずに、厄介なことを沖縄に押し付けて知らん顔を決め込んでいるこの国の住人たちにこの一冊を読んでもらいたいし、あっちの同類にはなってもらいたくないな。


☆☆☆☆ 橋下さんがどうして「アメリカ出ていけ!」と言わずに、風俗がどうのこうのと莫迦なことをほざいて恥をかいた理由もよくわかる。鳩山さんが失脚して、安倍さんが二度目の登板になった理由もよくわかる。
 
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宮崎学+小林健治『橋下徹現象と部落差別』にんげん出版(モナド新書)九四〇円+税

 二〇一二年は、けっこう政治の嵐が吹きまくったな。年末に行われた総選挙は、自民党のこれまた歴史的な圧勝という結果になったけどよ、こんなに一つの政党が議席を占有しちゃうなんてのは、民主主義国家としてはちょっとまずいんじゃないかって気がするんだな。だけどよ、その投票率が過去最低だっていうのには、唖然茫然飯三膳。開いた口がふさがらなかったぜ。
 ところがよ、その三週間前に行われた大阪市長選挙は、府知事選挙とのダブル選挙でもあったが、前回選挙より一七・三一ポイント上昇した投票率で、これは四〇年ぶりの高投票率だったらしいぜ。このちがいっていったい何なんだ、って感じだな。
 それは、維新の会のブームということもあるけど、同時に行われた府知事選が前回比三ポイント程度の上昇だったのに比べれば、維新の会の人気より橋下徹個人の人気が強かったってことだろうな。
 そういう時期に、『週刊朝日』一〇月二六日号に橋下徹を攻撃する記事が載ったのを覚えているかい。それは、超大物のノンフィクション作家、佐野眞一の名で書かれた「ハシシタ 奴の本性」という記事だった。さらに表紙には、「ハシシタ 救世主か 衆愚の王か」「橋下徹のDNAをさかのぼり本性をあぶり出す」というキャッチコピーがあったそうな。そうかもしれねえ。ともかく俺は、その日散歩がてらに書店に立ち寄ってみた。そしたら『週刊朝日』は売り切れだった。なるほど橋下ネタが売れるのか、このえぐいキャッチが受けたのか、とりあえずすげえ売れ行きだったな。
 実は、前年の大阪市長府知事ダブル選挙の時にも、『新潮45』『週刊新潮』『週刊文春』の三誌が似たようなネガティブキャンペーンをはったことがある。いずれの場合も、橋下徹と被差別部落をからめて誹謗しようとする記事だ。殊に今回の『週刊朝日』は、ひどかったな。とにかく、これ以上はありえない罵詈雑言に近い汚い言葉で書かれた文は、「記事」という水準のものではない。まるで喧嘩の実況放送みたいな感じだ。
 「この男は裏に回るとどんな陰惨なことでもやるに違いない」、「やはりこの男はそんなおべんちゃらと薄汚い遊泳術で生きてきたのか、と妙に得心がいった」、「こういう下品な連中は、私から言わせれば“人間のクズ”という」といった、特に論証もなく橋下徹をののしっている文が続く。とりあえず公人を批判するのに、相当の悪態をつくことがないわけではないが、「奴の~」という言い方はふつうしないだろう。そうそう、その時は買いそびれたけど、ちゃんと原文は入手しているんだ。だけど、この文章は本当に佐野眞一なんだろうかね。彼の代表作『東電OL殺人事件』の文体とはまったくその落ち着きがちがうような気がする。まあ、週刊誌の記事のでき方をどうのこうの詮索するつもりはないが、名前を出しているんだから、佐野眞一に執筆責任はあるんだろう。
 そういう事情で発刊されたこの『週刊朝日』だが、橋下徹が猛然と反駁(はんばく)して、ついに連載はその一回限りでおしまいとなり、『週刊朝日』側が謝罪して落着した。しかし、問題が終わったわけではない。この背景には、橋下徹の率いる維新の会が初の国政選挙を迎えようとしている矢先に起きた。もちろん偶然ではなく、恣意的であることは明らかだろう。なにしろ、先端の社会状況を追いかけている週刊誌なのだからな。
 解放運動や「民主的」な政治姿勢の人たちから見れば、橋下徹は大阪人権博物館への補助金を打ち切った張本人であり、その右翼っぽい政策や強引なリーダーシップは、敵対そのものであろう。それゆえに、そうした人たちからずいぶんと嫌われている人物でもあるんだな。
 この本の著者である宮崎学・小林健治の二人も、橋下嫌いなのだという。橋下徹という政治家とその思想は嫌いだけど、それと差別とはちがう問題だ、というのがこの二人がこの本を作った理由だ。一〇月に『週刊朝日』が出て、この本の発行が一二月二五日というのは、まさに緊急出版である。もちろん丁寧に文章を書いたのではなく、この二人の対談を文章化したものである。だけど、じゃない。だからこそ、この二人の生の部落差別に対する立場が明確に出ている。
 橋下徹は「コスプレ不倫」で世間の顰蹙(ひんしゆく)を買ったが、その時の彼は反論も弁明もしなかった。それは彼自身の隠されたプライバシーであり、一般人であるならば私的な趣味までメディアに晒される必要はない。だが、彼はそれを受けとめた。それは、彼が公人であることの意味を知っていたからである。しかし、今回の彼はちがった。敢然と一人でメディアに立ち向かったのである。
 なぜか。『週刊朝日』の記事は「いちばん問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である」と橋下徹の人格を問題にしようというのである。今までいろいろと政治家の批判を聞いてきたが、人格を問題にしようというのは初めてだぜ。そして、「そのためには橋下徹の両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べあげなければならない」というやり方をしようというのだ。それが、橋下徹の「DNAをさかのぼり」という言い方になる。これは橋下徹の批判ではなく、橋下徹自身には責任のない血脈の問題であり、それが部落問題にかかわるならば、まさしく部落差別そのものなのである。
 しかも、「それくらい調べられる覚悟がなければ、そもそも総理を目指そうとすること自体笑止千万である」と断定するのであるから、野中広務が麻生太郎から受けた差別と同根のものである。
 まずは、この二人の嫌いな橋下徹が、『週刊朝日』たちを相手に一人で差別を糾弾し、勝利したことを評価しているんだな。その一方で、宮崎学の言葉に従えば、「反橋下派左翼・市民主義知識人・文化人の多くは、ほとんどが朝日と佐野を擁護して、『豊かな教養に正比例する度しがたい鈍感さ』を示した」ということになる。
 ところで、今回の『週刊朝日』事件の前年に同じく橋下徹を雑誌が攻撃したことがあったと先に書いたが、その時に『新潮45』に書いていたのが被差別部落出身を自称する上原善広だったことも本書ではあげて追求している。上原が部落出身者であることを、『新潮45』は「弾除(たまよ)け」に使ったのだと言う。なもんで、上原のような人間の役割についてもきびしく批判している。上原については、俺は好きだ。奇しくもこの本と一緒に買った『異貌の人々』(河出書房新社/一六〇〇円+税)は世界中の被差別民をルポして歩いた作品でついつい引き込まれてしまう。世界の被差別民の実態をそれなりの明るさで描いていて、差別問題の深淵に迫るものがある。ぜひ読んでほしい。また宮崎らが本書の中で同じ被差別部落出身の角岡伸彦の『ピストルと荊冠』(講談社/一五〇〇円+税)を薦めている。これは、『週刊朝日』と佐野眞一が橋下徹誹謗のネタに使った、部落とヤクザのつながりの中に生きた中西邦彦という人物が、「飛鳥会事件」で指弾されるまでの人生を描いた作品だ。被差別部落の影の部分を描いて悪いわけではない。問題はその描く姿勢なのだ。 
★★★★

 一気に読めるし、論理も明快。しかし、強くわれわれに問題を突きつけている。つまり、こういうことだ。「労働者や左翼のなかから出てきた差別事象をどうあつかうか、という問題」(宮崎)に対する答えをこの本は読者に要求しているのだ。
〈あんたの嫌いな奴が差別されたとき、あんたはどうするんだ〉と。
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野村路子『テレジンの小さな画家たち』偕成社 一五〇〇円+税

 野球が、野球だけではなくスポーツが戦争の中でゆがんでしまったのだとすると、それは悲しいことだけど、もっと悲しいことは戦争による理不尽な死よね。
 ちょっと前にね『テレジン収容所の幼い画家たち展』という展覧会をやっていたので何気なく入ってみたら、これは驚きだったのね。なんとナチスの強制収容所のひとつであるチェコスロバキアのテレジン収容所にいた子どもたちが描いた絵の展覧会だったのです。
 ナチスの強制収容所がどんなにひどいところだったかは、聞いたことがあると思います。人間扱いをされない状態だったのですが、あまりにもそういう生活が続くと収容所内で暴動が起きてしまいかねません。それでドイツ軍はユダヤ人に音楽をするのを認めたそうです。それで少しは気持ちをなだめようと考えたのでしょう。そういう時間を子どもたちにも与えたいと思ったおとなたちがドイツ軍と交渉して一週間に一、二度、夕食のあとに子どもたちのための〈教室〉を開くことを許可してもらいました。ただそこでは集まって歌を歌って、ゲームをすることだけが許されたのです。何かを学ぶことは許されませんでした。
 でもおとなたちは子どもたちになにかを伝えていきたいと思っていました。それが生きる希望だったのかもしれません。そういう中でフリードル・ディッカー・ブランディズという四十四歳の女性画家が子どもたちに絵を教えようといいだしたのです。そうしてフリードル先生の指導で子どもたちは絵を描くようになったのです。おとなたちは子どもたちのために紙や絵の具やクレヨンなんかをドイツ軍の目を盗んで手に入れてきました。それからフリードル先生は貼り絵や切り絵なんかも教えてくれたのです。
 そうやってだいじな時間を過ごしていた子どもたちも次々と〈東〉へ送られていきました。〈東〉とはあのアウシュビッツです。テレジン収容所には一万五千人の子どもがいたとされています。でも、戦争が終わったときに生き残っていたのはわずかに百人だったといいます。
 戦争が終わってテレジンの収容所は解放されます。テレジンの子どもたちの世話をしていた人が引き上げの途中にテレジンの収容所跡を訪ねて、何か子どもたちの想い出でもないかと探してみたら、なんと4,000枚の絵と数十枚の詩の原稿が出てきたのです。これが展覧会に並べられた絵だったのです。
 戦争って何て理不尽なんだろう。人間が人間であることを否定すること、それが戦争なのだということをテレジンの小さな画家たちは教えてくれました。こんなことはやはりやっちゃいけないんですよ。


★★★★ この本は子ども向けの本だから教室に一冊置いてあげましょう。子どもたちのいのちがおとなたちの起こした戦争で奪われていく理不尽さを学んでもらいたいから。そしてこれはナチスだけが悪いのではなく、自分たちの敵は殺さなくてはならない、という戦争が悪いのだということを子どもたちと一緒に考えましょうよ。
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桑田真澄・平田竹男『野球を学問する』新潮社 一三〇〇円+税

 部活でがんばっているセンセイって多いよね。もしかしたらこれを読んでいる中にもいると思うのね。そして、部活を通して生徒たちを成長させるのだと意気込んでいる人もいるよね。中にはさ、〈部活命〉なんちゃって、二日酔いで年休とっても、部活の指導には出てくるっていう〈熱血!〉教師も見たことがあるなあ。それとさあ、部活でビシビシ鍛えれば根性っちゅうか、そういう精神的にもええことになるやろし、と信念を持って部活に取り組んでいるセンセイも多いんちゃなかろうか。
 確かに部活で鍛えれば忍耐力とか協調性とかいろんな力がつくような気がするし、それは教科教育では得られない力みたいに思うこともあるよね。チームプレイで得られる友情はなにものにも替えられない青春の証みたいなものだし、先輩と後輩の年齢を超えた交流なんかも学級活動では得られない大きな財産なのかもしれない。つらい練習に耐えて、みんなの努力をあわせて勝ち取った優勝の記憶はきっといつまでも心の支えになると思うのよね。
 その典型的なのが、甲子園だろうね。あそこには青春のドラマがぎっしり詰まっておるわ。
 だから、『学習指導要領』でも、部活動は「学習意欲の向上や責任感、連帯感の涵養等に資するものであり…」とその必要性を盛り込むようになったのはそういう教育効果を考えてのことのようね。
 ところがさ、あたいの友だちで自分の子どもには絶対に部活はさせない、なんて息巻いているのがいてね。
「なんで好かんと?」
て、訊いたら、
「だって、あんなもん、青春の汚点よ。二度と思い出したくないトラウマなんじゃ」
て、ぬかしようとよ。
 それで、ちょいと追求したらさ、そいつね、運動神経があんまりいい方じゃなくてね、へたくそなものだから、いつも友だちにはバカにされるし、先輩はパシリに使うし、先生は「根性が足らん」ちゅうてへとへとになるまで練習させるもんだから、おかげで膝を痛めて、いまでも古傷が痛むんだと。ついでにその傷は心の傷だとも言ってたのね。
 そりゃ、部活でそこそこやれた人間にとってあれは楽しい想い出だったけど、いやな思いを溜め込んでたやつもいたんだね。あたいの学校はどっちかちゅうと仲良くやれればいいとかいって、一回戦で負けたけど先生がコーラを驕ってくれた。でも優勝候補の学校が準決勝まで進んだのに、そこで負けたゆうて先生にビンタくらわされていたのを見たときは、さすがにひいたわ。
 で、部活(文化系の部活もあるし)ていうか学校スポーツの役割とか意味について考えてみたくなったのね。もちろんその代表は甲子園だし、そのまた代表はプロ野球の成功者だよね。ということで、この本なのだ。
 桑田真澄という名前は知っていますよね。そう、読売ジャイアンツのエースだった人です。その桑田氏がなぜか早稲田大学の大学院に入って修士論文を書いたのだそうで、この本は桑田氏の修士論文をもとに指導教員の平田先生と語り合った本なのですよ。野球を学問しちゃえば、どうやって子どもたちを鍛えて県大会で優勝させられるかって思っちゃうもんね。まずは桑田氏は「野球道」を研究したいと考えたようなのね。
 なぜなら「野球道」といった美名のもとで桑田氏自身、体罰やいじめを受け、長時間の練習に耐えてきた少年時代があり、そこに疑問を持っていたということが問題意識の原点になるのね。そうそう、研究というのはそういう課題意識の立て方がだいじ、ってどっかの大学のセンセイが言ってたような。
 そうしたら飛(とび)田(た)穂(すい)洲(しゆう)という人物に出会ったのね。出会ったといっても研究上で出会ったのだ。飛田穂洲は明治一九(一八八六)年生まれで昭和四〇(一九六五)年に亡くなった人だから昭和四三(一九六八)年生まれの桑田氏とはすれちがってもいない。
 この飛田穂洲という人は早稲田の初代監督を務めた人で、彼がベースボールをあたかも武道のように「野球道」と呼んだそうなのです。そして学生野球は教育の一環である、という姿勢で、試合よりも練習を重視したんだそうな。ほほう、そういうことが書いてあるんですよ、この本には。つまり部活の指導者には必読の書というわけですね。
 それはなぜかというと、戦時中に野球は「敵性スポーツ」として軍部に弾圧された。それを飛田は野球を「野球道」として位置づけることでその精神は死の練習によって培われ、母校愛は国家愛であり、一致団結によって敵と戦い、そこには犠牲的精神があって、まさに国難に準ずる軍隊のようなスポーツだと主張することで軍部から野球を護ったんですと。まあ、つまり、野球というスポーツを戦争に協力するものしてゆがめたということなのね。それが今の部活の猛練習につながっているとすれば、そして部活で教育をしようと考えるのならば、それは戦争中と同じ発想だというわけよ。
 それで、桑田氏は新しい「野球道」を作ろうとするわけで、そのあたりは読んでみてのお楽しみ。

★★★★ スポーツ部活の指導者を自称する人には必読ね。それと 部活のリーダーになる中学生、高校生だったら読んだ方がいいわね。とっても読みやすい本だから。
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渡部良三『歌集 小さな抵抗 殺戮を拒んだ日本兵』岩波現代文庫 九八〇円+税

 戦争になったら人間が死ぬ。そう他人事のように言うことはできるが、人間が死ぬ、人間を殺すと言うことが我が身に起こるならばそれは尋常なことではない。また、そうした状況の中で、人間が生きる、それでも生き続けるということも並大抵のことではない。戦争が風化していくのをいいことに、「そんなことはなかった」と言いたがる人たちをしばしば見かけることに歴史が消されていくことの不安感を感じずにはいられない。
 この歌集は最初は私家版として一九九二年に纏められたものである。そして巻末に「本書は一九九四年、シャローム図書より刊行された」とあるように、キリスト教系の出版社から公刊されることになった。一九九九年の三刷が底本となっているから、三度は版を重ねたと言うことだろう。それが十余年を経て岩波現代文庫から刊行されたと言うことはこの歌集に歌集以上の意味があるということを意味している。それは「忘れるな」ということなのだろう。
 この歌集の作者である渡部良三氏は一九二二年生まれ。キリスト教徒であった。一九四四年、中央大学在学中に学徒出陣で中国河北省の駐屯部隊に配属されたのだが、ここで彼は戦争の現実に呑み込まれる。直面したのでも、遭遇したのでもない。まさに彼自身が戦争の現実となったのである。
 それから彼はその現実を短歌に詠んでいった。その現実の過程でも復員に際しても記録を取ることも、持ち帰ることも許されなかったが、彼はあり合わせの紙に書き留めた短歌を服に縫い込んで、生還した。そして戦後の長い時代を生き抜いた後にこれらの短歌を纏めて世に問うたのである。 

朝(あさ)飯(いい)を食(は)みつつ助教は諭したり「捕虜突殺し肝玉をもて」

 助教とは新兵の教育を担当する下士官のことである。二等兵の渡部良三にとっては直接に指導される上官である。その助教が朝食の時に何と言ったか。
「捕虜を突き殺せ」
 上官の命令は天皇の命令であった。

稜威(いつ)ゆえに八路を殺す理由(ことわり)を問えぬ一人の深きこだわり

 稜威とはここでは上官の命令であり、それは天皇の神聖な命令のことであった。それゆえに捕虜(八路とは中国共産党第八路軍のことであり、この八路は彼らが捕らえていた捕虜のことである)を殺す理由を問いただすことはできるはずがなかった。

獣めく気合するどく空(くう)を截(き)る刺されし八路(パロ)の叫びきこえず
深ぶかと胸に刺されし剣の痛み八路はうめかず身を屈(ま)げて耐ゆ

 虐殺は始まった。上官の指図のままに兵士たちは捕虜に剣を突き刺していく。捕虜の痛みを彼はじっと見ているしかなかった。

かくのみにいつくしみなし戦争(たたかい)を聖(ひじり)と宣(のぶ)るやまとの剣に

 これが聖戦だと宣(のたも)うた日本のたたかいなのだろうか。 

地に額をつけ子の生命乞う母の望み断たれぬさるぐつわにて
生命乞う母ごの叫び消えしとき凜と響きぬ捕虜の「没有法子(メイファーヅ)!」

 捕虜には母親がいた。その母親をさるぐつわで黙らせ、刺し殺す。渡部は捕虜の無念に言葉を失うのだ。「没有法子(メイファーヅ)!」は「仕方がない、諦めるさ」という意味だという。

血と人膏まじり合いたる臭いする刺突銃はいま我が手に渡る
「殺す勿れ」そのみおしえをしかと踏み御旨に寄らむ惑うことなく

 そして彼に順番が回ってきた。その刺突銃が渡された時、彼はキリスト者として自分は人を殺さないと決意する。「汝殺す勿れ」というキリストの教えに従う道を選んだのだ。だがそれは銃殺されても仕方のない上官への、そして天皇への反逆行為であった。
 渡部良三の呑み込まれた戦争の現実がこれだった。四十八人の新兵によって五人の八路軍の捕虜が虐殺され、その後面前で八路軍のスパイだとされる若い女性が乳房を焼かれ、水責めにされるという拷問を見せつけられる。そして「不忠者」の烙印を押された渡部はその日から耐えることのないリンチの日々を受けることになるのだ。

血を吐くも呑むもならざり殴られて口に溜(たま)るを耐えて直立不動
煮えたぎるこんにゃくふくむ熱りなりゲートル二足のこの連打はも

 ゲートルで両頬を殴るというリンチで、音がしないために消灯後に行われたという。リンチを受け続けた日々を綴った歌も壮絶なものがつづく。

「尽忠奉公慰安婦来たる」の貼紙を見つつ戦友等にならわぬひとり
いかがなる権力(ちから)の故に連れ来たり遠き戦野に人を売るとは
慰安所に足を向けざる兵もあり虐殺(ころし)拒みし安堵にも似る

 慰安婦のことも詠まれている。渡部は慰安婦も拒否する。そして力ずくでの人身売買を告発する。それは捕虜虐殺を拒んだのと同じ信仰の上にあるものであった。
 戦争は人を殺すことだ。それは限りなく重たいことであるが、いったん踏み外してしまうと人間は人間ではなくなっていく。しかし、人間であり続けることはさらに重たい。
 戦争が風化してゆく。そんな危機感を持ち始めてからもうどれだけの歳月が経っているだろうか。自分の教員生活の中でも二~三世代は戦争から遠ざかってきた実感がある。父母の記憶だったものが、祖父母の記憶となり、今や歴史の一コマでしかなくなっているからだ。時の流れが否応なく古い記憶を消していく。それは致し方のないことではなくて、だからこそ忘れてはならない戦争の記憶があるのだ。そうした記憶がこの歌集には満ちている。そして戦争の罪を否定しようとする者たちや新たに戦争をしたがる者たちに人間のいのちの重さを知らしめる語り部として、この歌集はここにある。


☆☆☆☆ 

戦争の責任ぼかされて歪みゆく時代(とき)の流れを正すすべなし  渡部良三

 これも『小さな抵抗』にある歌である。詠まれたのは東京裁判の頃。世の中は復興に向けて動き始め、戦争の記憶を消し去ろうとしていた。その姿勢のまま六〇年の星霜を重ねている。似たようなまちがいを犯しそうな気配が漂っているような気がしないわけでもない。

死ぬのにはちやうどいいだらうこの道を右に曲がれば戦争がある   休呆
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