2017年05月10日

南野森+内山奈月『憲法主義』PHP研究所 一二〇〇円+税

南野森+内山奈月『憲法主義』PHP研究所 一二〇〇円+税

 お堅い名前の本だけど、憲法が変わるかもしれない今日この頃、日本国憲法とはどういうものかという知識ぐらいは知っておきたいものよね。おそらく憲法改正に賛成する人も反対する人も、議論の前に〈憲法とは何か〉というキホンは知っておいた方がいいと思うわ。九条がどうこういうのが憲法問題じゃなくて、もっと深刻な問題が起きるような気がしてしかたないのね、あたしは。
 にしてもよ、南野センセイって九大の憲法学のセンセイでしょ。あたしは知っている。けっこうイケメンのセンセイよね。えっ!ちがうの?あれは、あっそうよ、この人(いま慌てて本をめくってご尊顔を確認)でまちがいないわ。いつもはネクタイなんかしてないからちょっと別人に見えるけど、ほら、イケメンじゃない。
 でもね、共著になっている内山奈月ってのはあたし知らない。で、誰かと思ったら、なんとAKB48のメンバーなんだって。へぇぇぇ、だね。あんなチャラチャラしたアキバ系のタレントなんて関心ないからね、あたしは。なにしろ教育一筋のカタブツなんだから。
 にしてもよ、なんでAKBのタレントが憲法なのかしら。って、ぱらぱらページをめくると、あらら…この娘日本国憲法をそらんじて言えるんだって。まあ、若いんだから、暗記くらいできるわよね。昔、インスタント・ラーメンの名前を全部言える芸人がいたけど、あんなもんかしらね。
 という偏見でもって、読み始めましょうか。この本は南野センセイが内田奈月ちゃんに講義をするという形で書かれているのね。まずは目次を見ましょう。「第1講 憲法とは何か?」、そうね、順当なところね。憲法ってどういうものだか、実は知らない人がけっこういるのよ。いちばん大切な法律だとか。法律の親玉だとかいう程度の理解しかしてない人って多いからね。そして「第2講 人権と立憲主義」、そうそう人権は憲法で決めてあるんだったわ。れれれ、「第3講 国民主権と選挙」、そうよ、これが近頃の若者にはわかってないのよね。それで「第4講 内閣と違憲審査制」、うーん、違憲判決とかいうやつね。そして最後が「第5講 憲法の変化と未来」か、9条とか集団的自衛権なんかが書いてあるのね。
 うん、読んでみるとすごくわかりやすい。この講義をしたときは内山奈月さんはまだ高校生なんだ。その高校生に大学の憲法のセンセイが講義するんだけど、この内山さん、高校生とはいえ賢い。南野センセイの質問にきっちり答えているし、それも的確ぅ!あたし見直したわ。そして南野センセイの講義もわかりやすい。て言うか、講義というより授業してんのね。二人で対話しながら憲法について理解を深めていく感じ。なんか一緒にあたしも授業に参加しているみたいで楽しいし、けっこう質の高い憲法の知識がすっと頭に入ってくるわ。これって南野センセイのワザもあるけど、奈月さんの受け答えがいいから、授業が成立するのね。彼女賢い!好きになっちゃった。
 それと講義のあとの奈月さんのレポートっていうの?あれがよくできていてこっちも勉強になるわ。あっという間に読んじゃったけど、憲法についてはしっかり勉強した感じ。ていうか大学で学ぶ程度の憲法学の素養は身についたって気がする。絶対にお薦めね。

☆☆☆☆ これって大学生はもちろん、中学生や高校生の教材にもいいかもしれない。それより、教員自身がきっちりこの本で勉強して、憲法について学ばなくっちゃ。だって人権の基本なんだものね。


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ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ著『竹林はるか遠く』ハート出版 一五〇〇円+税



 戦争体験というのはだんだん希薄化してきます。それはそうです、戦後七〇年近く経ったのですから。あれから七〇年近く戦争をしていないこの国の人々の記憶にはもう戦争体験は残っていませんよね。確かに私たちは平和教育を通して日本のアジア侵略や広島・長崎の原爆や、沖縄戦や、空襲などについて学んできたし、教えてきたのだと思います。でも私たちにとって、戦争はだんだん遠い昔のものになっていきます。子どもたちにとってはなおさらでしょう。だけど、現在も世界中のあちこちが戦争状態になっているのです。いったん戦争になったらそれがどんなに残酷なものであるのかということを私たちは知っておかなくちゃなりませぬ。そのためにはもっとたくさんの戦争の恐ろしさ、哀しさ、酷さを知っておくことが必要でしょう。もうすぐこの国は戦争を始めるかもしれません。その時に後悔しないように私たちは戦争、というより国際紛争が私たち自身の身にもたらすであろう災厄について知っておいた方がいいだろうと思います。
 戦争は土地と利権の奪い合いです。いくらきれい事を言ってもそうであることにちがいはありません。戦争によって他の国の土地を自分の国のものにして、そこに国民を住まわせ、その土地が他国に取り戻されれば住みついた国民はたちまち難民と化していくことになります。そういう難民が世界中にあふれかえっているのまちがいなく現在の世界の実状です。
 難民という人たちの存在は遠い国のことのように思っているのかもしれませんが、震災のような自然災害で一時的に住む家を奪われる人たちがいることは私たち日本に住む人間には現実的に自分たちの周辺で起きていることですから、理解はできるのかもしれません。それでも震災の被害から立ち直れない人々がまだ数多く残されていることに思いをいたすならば、幾分かの想像はつくのかもしれません。
 だけど、です。戦争は相手の国があることで成り立ちます。そして戦争は軍隊と軍隊との間で行われるものです。軍隊はそれぞれの国民を護るために存在するはずなのです。ところが、戦争が終わったあとには軍隊はありません。
 戦争と侵略は国境線のせめぎあいであり、戦局が転換すれば、そこは住む権利を失ってしまう場所になってしまいます。満洲、朝鮮半島、台湾・・・・・、敗戦までに日本が占領していた地域に多くの日本人が暮らしていました。その土地にそれぞれの事情で棲み着くようになり、またその土地で生をうけた人々も多かったと思います。戦争が終わったあと、この人たちにはなにが起こったのでしょう。
 夜の明けの空の轟音ソ連軍の艦砲射撃は耳をつんざく       寺澤小雪子
 「すみやかにもと居た街に戻りなさい」マイクを通す日本語流暢
(『北限』87 二〇〇七年十一月)
 散りぢりの家族の安否思ひつつ行く先不明の夜の避難路 寺澤小雪子
 樺太の思ひ出抱き乗船す心残りは波間に消えず
(『北限』75 二〇〇五年十一月)
 この方はおそらくは樺太で終戦を迎え、そして引き揚げてきた人なのでしょうか。その記憶を六〇年を過ぎてから歌に詠んでいるのです。しばしば思い出したように。おそらくは誰も護ってくれないという恐怖が身に染みついたのでないかと思います。
 本書は一九四五年という年に朝鮮北部羅南に住んでいた一人の少女擁子の旧植民地朝鮮からの脱出の記録なのです。その年の七月二十九日にこの脱出の物語は始まります。擁子は母と姉の女三人で脱出の途につくのです。父や兄と一緒に逃げることはできませんでした。突然の脱出行に家族を待つ時間はなかったのです。着の身着のままに日本へ日本へと逃げていく彼女たちをさまざまな試煉が襲います。国家に護られないということがどんなに心細いことか。擁子たちは必死の思いで日本に辿り着きますが、そこでもまた試煉が待っていたのです。一方、擁子の兄もまた、一人で日本をめざしていました。兄もまた生命の危機にさらされながら、単独で日本へ帰ろうとするのです。
 この脱出はさまざまな問題を含んでいます。それまで生活していた土地が他国のものになる。いや、もとい他国の土地に住んでいたのですから、他国に取り戻された土地であり、そこにソ連軍のような新しい武装権力が侵入してくるわけですから、状況は単純ではありません。暴力そのものに正義も悪も色づけはできません。暴力は受ける側からすればそれは恐怖以外の何者でもありません。そしてそれが戦争であり、その戦争が突然攻守逆転したようなものです。そこでは暴力に乗ずる人間、それはかつての日本人の姿であったことでしょう。そして暴力を嫌悪し、暴力から護ってくれる人たちも出てきます。もちろんかつての日本人にもやさしい心を持った人はいたはずです。そういう個々人のやさしさに救われて生還することはできたのですが、そうした出会いのなかった人は無惨な結末を迎えたのだろうと思います。
 戦争という極限状況の中で生き延びた人間の恐怖を思えば、戦争はそれ自体が悪だと言えるでしょう。それはまちがいありません。この本をどう読むのかはみなさんそれぞれの問題ですが、こういうことがあったということは絶対に知っておかなければならないことだと思います。
 著者は後にアメリカ人と結婚し、米国に住んでいます。そんなこともあって、本書は英語で書かれ、アメリカの中学生のための副読本として読まれたと言います。アメリカの中学生がこの本からなにを学んだのかはわかりませんが、日本の中学生がこの本から学ぶことは多いと思います。
 ところで同じハート出版から、清水徹『忘却のための記憶―1945~1946恐怖の朝鮮半島』(一六〇〇円+税)という本も出ています。こちらは当時羅南中学の生徒だった少年の脱出の記録です。全く同じ地域から逃げ出してきた人の記録ですから、併せて読むとますます戦後の引き揚げのすさまじさがわかることでしょう。


☆☆☆☆ 戦争には始めがあれば終わりもあります。そして戦後もあります。戦争の悲劇はどの場面にもついて回ります。それはいつの時代だって変わりません。そして今も世界のあちこちで同じことが繰り返され、また日本もそうならない保証はありません。そうならないために私たちには何ができるのでしょうか。



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2015年09月06日

穂花『籠』主婦の友社 一二〇〇円+税/神戸幸夫『転落 ホームレス100人の証言』アストラ 一四二九円+税

 著者の名は穂花、〈ほのか〉と読むみたいなのね。元AV女優なんだって。AVっていうのはもちろんアダルト・ビデオのこと。詳しい人ならこの人のことも知っているのかしら。この本は一人の女がAV女優になり、そして自分を取り戻していくまでの自伝と言っていいかな。読んでて、なんて運の悪い人なんだろうって思ってしまう。だけどその運の悪さはきっと本人のせいだけじゃない。子どもの頃にDVを受けたり、家庭が崩壊したり、看護師になろうとしたら莫大な借金を背負ってしまったり、そんな不運はみんな彼女の周辺から湧いてきて彼女をどんどん追い込んでいったのね。
 タイトルの『籠』って、鳥籠のことなんだって。この本を書くまでの彼女は鳥籠の中にいた。それも閉じ込められていたわけじゃなくって籠の入口は開いていたし、飛ぶ翼も持っていたにもかかわらず、ね。そのことにようやく気づいたんだって。それが遅すぎたと思わないわけではない。でも、気づくことができてよかったって、マジ思っちゃった。
 今の子どもたちってもしかしたら穂花と同じように自分が籠の中に閉じ込められていると思い込んでいるのかもしれない。それが不幸の出発点だということに気づかずにね。たまたま穂花はAV女優になってしまったけれど同じような生き方をしている子はいくらもいるんだと思う。
 で、さ。もっとAV女優がAV女優になっていったわけを知りたくて、中村淳彦『名前のない女たち 最終章』宝島社 一三〇〇円+税 をひもといてみた。これは著者がAV女優に取材して、いやAVメーカーの経営までして、AV女優たちの生き様を集めたものなのね。副題に「セックスと自殺のあいだで」とあるくらいで、どんどん人生を捨てていってしまう女たちの生きてきた軌跡と今の生活が描かれているのよ。AV女優という生き方をしなくてもよかったのだと思うのだけれども、そこへ堕ちてきてしまった彼女たちの下手くそな生き方がガッツリ書かれていて、読んでいるうちに辛くて涙が出てきてしまった。もっとも、あたいのそんな偽善的な同情心で彩られた涙なんかをみたって何の救いにもならないかもしれないけどね。
 確かにさ、この本に出てくる女の子たちも穂花と同じ籠の中から飛び出しそびれたのばかりなのね。著者の中村淳彦はあたいみたいに中途半端な同情心なんか見せない。彼自身も彼女たちと向き合って壮絶なたたかいをしていたのね。そして精神的に病んでいった女優や本当に自殺してしまった女優を見詰め続けてきた彼自身も重い仕事だったみたい。
 で、さ。神戸幸夫『転落 ホームレス100人の証言』アストラ 一四二九円+税 を開いてみたの。こちらは文字通りホームレスの人たちがどうしてそうなっちゃったかを取材したもの。中村淳彦のように取材対象の人生に深く入り込むことはしない。むしろサラリとそれぞれのホームレスの人たちの語りを採録している本なの。でも、サラリと書いていても、転落の人生が100も集まるとそれはすごい存在感があるんだわ。そして、感じたの。他人事じゃないって。この人たちと自分と何にも変わらなくって。ちょっとした手違いでホームレスになってしまう。日本はそういう社会なんだってことがよくわかるの。そしてすっごく怖くなってしまう。
 だってね、東大を出てホームレスになっていった人や、ふつうに六十歳くらいまで働いてホームレスになっちゃった人や、家まで建てたことのある人なんかがちょっとした運命の悪戯でホームレスになっちゃうのよ。まちがいなく他人事じゃないんだから。
 話を戻すとね、穂花は巻末に「母へ」と題した文章を載せているのね。その中に「私は何ひとつ難しいことなんて求めてはいない。ただ抱きしめてほしかった。あなたのぬくもりを一度でもいいから感じたかった」って書いていてね、中村淳彦は「この九年間で様々なトラウマや絶望、そして少しの希望を眺めてきて、ときに泣き、ときに笑ったりしたが、結論的にボクが彼女たちになにかをしてあげられることはなにもなかった。ゼロ、皆無である」と「あとがき」に記している。転落したホームレスの人々もほとんどが親しくあるべき人との愛が壊れてしまったようなのね。愛って人権の基本だってことの意味がよおくわかった気がした。


☆☆☆☆ こんなの立て続けに読んだらすっかり落ち込んでしまった。でもね、人間が人間らしく生きて行くには愛情が大切なのよね。それって人権・同和教育の基本だと思うのだけど、そのことがみんなわかっているのかなあ。そんなことをわかるためにもここに挙げた本はぜったい読んでおくべきよ。
posted by ウィンズ at 23:24| 福岡 ☁| Comment(0) | 人権問題 | 更新情報をチェックする

城内康伸『猛牛(ファンソ)と呼ばれた男 「東声会」町井久之の戦後史』新潮社  一六〇〇円+税


 いろいろあって、気分が塞いでいた。こんなときはビデオでも見るにかぎる。そしてそんなときは人権問題関係者らしく心温まる情愛に満ちた感動的ドラマなんかを無理して見たってだめだ。ますます気持ちが塞いでくるにちがいない。派手にドンパチやらかす派手なアクションものがいい。人が何人死のうが所詮映画の中だけの話、それで気分が晴れればいいではないか。そこで「命の大切さ」なんて言ったところで、そのほうがよっぽど偽善者になってしまう。こんなこと書いたら実直な人権擁護派の方から顰蹙を買ってしまうかもしれないが、気分転換のためだ。ええカッコなんかしてられない。
 で、見たくなったのがヤクザ映画だ。だいたいヤクザ映画全盛の頃にあらかた見ているから、だいたいが二度目、三度目になるんだけど、それでもいいのだ。もっとも、俺が若い頃は健さん、もとい高倉健の網走番外地シリーズや昭和残侠伝シリーズ、藤純子(現在の富司純子)の緋牡丹博徒シリーズなんかはことごとく見たなあ。そう言えば「網走番外地」はヤクザアクションとしてシリーズ化されたが、第一作は勧善懲悪的(ヤクザが善とは思えないが、見ている方はそんな気がしたものだ)切った貼ったではなくて、しんみりくる母物ドラマでもあった。
 しかし、ビデオ屋に行って眼に入ったのが「仁義なき戦い」シリーズだ。このシリーズはすでに見ているが、また見たくなった。というより友人が「僕は全巻持っている!」と豪語していたのを思い出してわさっとカゴに入れてしまった。そうしたらその並びに「実録東声会」というのがあった。「初代 町井久之 暗黒の首領」とサブタイトルがついている。そうだ、町井久之は在日韓国人だったはずだ。で、「完結篇」と合わせて二巻、カゴに追加する。レジに持っていくとこれだけ借りても三五〇円。一週間たっぷり楽しめるのだ。
 「仁義なき戦い」、「実録 東声会」、いずれも日本の戦後のヤクザ組織を描いたものだ。それは戦後史の裏面と言うより、戦後史そのものであったのかもしれん。一般にヤクザと言うが、日本の伝統的ヤクザは博(ばく)徒(と)と的(てき)屋(や)に由来するものがその主流である。博徒は文字通り博打打ちであり、ギャンブルを生業とする人たちである。的屋は香具師(やし)ともいい、神農道を信奉するという。寅さんもその意味ではヤクザな稼業の人間なのである。一方で、戦後の混乱の中で暴力を前面に出して台頭してきたのがいわゆる愚連隊という勢力であった。この中に戦後の日本社会において被差別的な立場におかれていた在日韓国・朝鮮人の中にも愚連隊組織を作るものが出てきた。関西では柳川次郎こと梁元錫率いる柳川組が有名であるが、関東では町井久之(鄭建永)の東声会ではなかったか。
 「実録 東声会」の中で小沢仁志扮する町井久之が言う。
「いいか、東洋の声に耳を傾けるのだ。われわれは東声会だ。われわれは日本と対抗しているわけじゃない。理不尽な差別に対抗してるだけだ」
 そうなのだ。反差別の闘いだと町井は言おうとしていた。というところで思い出したのがこの本だ。ビデオを停めて、書棚の奥を探した。出て来たのがこの本だ。表紙には映画とはちがって額の広い、しかし、映画同様にダンディで強面の男の写真が載っている。ぱらぱらとページをめくると、「実録 東声会」では描ききれていない町井と戦後史が、というよりもう一つの戦後史が底には描かれているではないか。俺はビデオを一時停止したまま、『猛牛(ファンソ)と呼ばれた男』を読み耽った。
 戦後、日本に残った朝鮮人は在日本朝鮮人連盟(朝連)を結成したが、この組織が共産主義化していくと、これに反発した人たちが朝鮮建国促進青年同盟(建青)を組織した。そうした民族団体の分裂、対立抗争の中で、暴力を背景に台頭したのが町井だった。しかし、町井が求めたのは暴力団としての権勢を拡張することではなかった。彼にとっては日韓の架け橋となることであり、東声会はヤクザ組織ではなく思想団体であるというのが彼の言い分であった。実際、山口三代目田岡一雄と兄弟の盃を交わしている。一方で思想的には児玉誉士夫を信奉し、同胞でもある力道山を支援し、まさしく日韓の橋渡しとなる釜関フェリーを創設しているのだ。
 戦後という時代であるがゆえに避けられなかった生き方であったのかもしれないが、町井久之こと鄭建永の在日韓国人としての波瀾万丈の人生が描かれている。被差別を生きるということの重たさがそこにある。
 ちなみに「仁義なき戦い」は美能組組長美能幸三(映画では菅原文太が演じていた)の手記を元に飯干晃一が小説化した『仁義なき戦い(死闘篇)』、『仁義なき戦い(決戦篇)』(角川文庫)もおもしろかったが、これは絶版なのかな。電子書籍だと四二〇円+税で読める。まあ、俺は持ってるんだがね。

☆☆☆☆ 在日韓国・朝鮮人に対してヘイトスピーチを投げつけている似而非右翼擬きよ、弱い者いじめなんかしてんじゃねぇよ。相手をまちがってねぇか。
posted by ウィンズ at 23:08| 福岡 ☁| Comment(0) | 人権問題 | 更新情報をチェックする

2013年09月03日

辻太一朗『なぜ日本の大学生は、世界でいちばん勉強しないのか?』東洋経済新報社 一五〇〇円+税

 すごいタイトルの本だ。PISAの学力がどうだとか、全国学力調査がどうだとか言っている人たちのまぬけさがおかしい。
 昔から日本の大学生というのは勉強しないと言われてきた。レジャーランドだと笑われてきたこともあった。しかし、それは誰もが大学に行くわけではない時代に大学に行くことのできた連中に対するいささかやっかみをふくんだ批判であったのかもしれない。ところが現在では大学に入りたくもない若者まで、大学に入ってくる。そうすると、大学にはそれまでの大学の伝統的な理屈は通らなくなってくる。どっとあふれてくるのは初等中等教育の時代に培った物の考え方であり、学び方であり、生き方なのだ。そしてそういう暮らしの知恵が大学での勉強のしかたになって現れてくるというものでないかい、ってか。
 この本の問題意識は海外の大学生は優秀であり、日本の大学生は見劣りがするということであり、かつ日本の大学生は小学生よりも勉強していないということのようだ。
 なにゆえに日本の大学生は勉強しないのか。それは本書によれば負のスパイラルなるものに支配されているからだというのだ。その負のスパイラルというのは就職試験を受ける学生の態度となってあらわれている。つまり、左のようなものだ。

企業 学生は勉強してないからバイトやサークルの話を聞くしかない
学生 就活で勉強のことは訊かれないから、バイトやサークルの話をする。
大学 しっかり教育しようとすると学生は離れていく。だから適当にやる。
学生 教員にやる気がないから、バイトやサークルに精を出す。
企業 学生は勉強してないからバイトやサークルの話を聞くしかない。
学生 就活で・・・・

 こんな具合にどんどん学生は勉強しない方に、まわっていく。現在の大学の実状ではこのスパイラルから抜けられない、というのだ。著者はこの負のスパイラルから抜け出すにはこの負のスパイラルを正のスパイラルに変えることだと言い、正のスパイラルに転換する方法を提言しているんだ。つまりは「考える力」を育成する授業を大学教育でやるように、ということだ。
 だけどさ、そんなふうに大学が努力して授業改革をしたとしてもさ、学生の学びの価値観が変わらなければやっぱり負のスパイラルは変わらないんだと思うんだな。それってさ、試験の点数にしか価値の見出せないような教育を取り巻くしくみが問題なんだろうと思うよ。
 このスパイラルはやはり「学生は勉強してるから……」で始まるのがいい。正のスパイラルだな。ならば小学校、中学校のときから学ぶことの楽しさを伝えておくべきだし、高校が潰してはならない。受験産業の言い分に振り回されるのもおかしい。「子どもたちは勉強に興味があって…」という、そういう教育の基礎があって始めて成立することだ。大学ではもう遅いのかもしれない。なにしろ、大学に入るや、もう勉強しない方向に向かっているんだから。


☆☆☆ とか言ってもさ、教師の学習意欲がいちばん問題なんだけどね。この読者はだいじょうぶだとは思うけど。
posted by ウィンズ at 19:22| 福岡 ☔| Comment(0) | 教育及び教育問題 | 更新情報をチェックする