2018年03月20日

文/そのだひさこ、絵/丸木俊(とし)、訳/Ian Neary『いのちの花』英語版 三〇〇〇円

 江戸時代の身分というのは、理不尽なものであった。近代になり、人権という言葉が生まれて、「それは人権侵害だ、差別だ」といって人は闘うことができるようになった。「人権」とか「差別」という拠り所となる言葉を持たない時代に生きていた人々にとって、身分制度はあまりに理不尽なものであった。
 ということで福岡の被差別部落に伝わる理不尽な一件。ムラを守るためにその理不尽さを引き受けた、寛政五人衆の伝承がある。この伝承を一人の女性がみんなの宝物にしようとして、物語を書き始めた。なんども推敲を重ね、言葉を磨いた。よけいな言葉は悲しみを風化させる。多すぎる言葉は怒りを磨耗させる。言葉を研ぐ。研ぎ澄まされた言葉は美しい。彼女の名は、そのだひさこ。当時は中学校の教員であったと聞いた。学生時代から被差別部落に入り、福岡の同和教育を牽引してきたひとだ。
 そのだには、心に決めた画家がいた。
 丸木俊(とし)(一九一二~二〇〇〇)という画家をご存じだろうか。そう、夫である位里(いり)とともに描いた『原爆の図』があまりに有名だが、絵本作家としても著名な人物だ。そのだは、偶然に手に取った石垣島空港反対の絵はがきによって、丸木俊の絵に魅せられたのだった。そのだが惚れ込んだのは、そこに描かれた「女」だったという。そのだの言葉に従えば、「その匂やかさ、切なさ」だ。
 丸木俊は、原爆や沖縄戦といった理不尽な人間の業を描いてきた。人間の業と理不尽なものに対する、怒りと悲しみを描くことのできる画家だ。そのだは、原爆展の講演のために博多の美術館に来ていた丸木俊に、突然声をかけた。それまでまったく面識はなかったという。
 絵本ができあがるまでの道は、平坦ではなかった。八年という時間が費やされたという。絵本ができあがった二〇〇一年には、丸木夫妻はすでに鬼籍に入っていた。こうして世に出たのが、本書『いのちの花』である。題字は、丸木俊の夫である位里がしたためた。なんとも贅沢な絵本である。
 物語は理不尽である。ある暴行沙汰の犯人がムラの人間にちがいないと決めつけた奉行所は、犯人を差し出せ、とムラに命じてきた。差し出さねばムラを焼き払う、というのである。そうして、五人の若者がムラを救うために名乗り出て処刑される、というストーリーである。
 丸木俊の絵はすばらしい。そのだひさこの訥々(とつとつ)とした語りに込められた悲しさ、切なさ、そして怒りを、丸木俊の絵は謳いあげていた。そのだひさこのことばと丸木俊の絵が見事な相乗効果をなし、心が震えてくるのを止めることはできない。描かれた絶望、悲しさ、理不尽さは、後の世には差別への怒りとなってあらわれる。たとえば、「博多毎日新聞差別記事事件」となって再現するのだが、ここでは部落解放史の講釈をするつもりはない。そちらは、『リベラシオン』一六五号の「博多毎日新聞差別記事事件から一〇〇年」を読んでもらいたい。
 で、だ。それから十六年。絵本は今回、そのだひさこ自身の手で新たに増刷され、さらになんと英語版が刊行されたのである。
 英訳をしたのは、イアン・ニアリー(Ian Neary)。オックスフォード大学教授で、『部落問題と近現代日本~松本治一郎の生涯』(明石書店/二〇一六)の著作がある。九州大学に留学していたことがあり、そのだひさこをはじめ、福岡の部落問題研究者との交流も深い人物である。
 イアン・ニアリーは、福岡の部落史の事情に通暁(つうぎょう)した研究者である。もちろん、この伝承についても熟知しているわけだが、英語の詩としても美しい。文学的な才能もあり、もし教材として活用されるのならば、英語の教材としても、人権教育の教材としても、すばらしい教材となるだろう。カリキュラム・マネジメント、教科等横断的教育課程の編成が求められているらしいから、これはいいと思う。
★★★★
 丸木俊の絵画は、新たに見ることは出来ない。おそらくは、二〇〇一年に絵本になったこの作品が事実上の絶筆だったのだろう(※絶筆は1999「洋梨」とあるが、推測だからママでいいのかとも※)。そのだひさこさんに頼めば、なんと〈原画〉の展示会もできると聞いた。地域や学校での展示会もお薦めだ。原画は感動するよ。
 そうそう、日本語版、英語版のほかに、オカリナの名手 山口裕之さんの演奏とコラボしたCDもあるんだなあ。これもいいですねぇ。ということで、詳しくはそのだひさこさんか、福岡県人権研究所へ問い合わせてください。
 ちなみに、英語版は三〇〇〇円、日本語版は三五〇〇円。CDは英語版とセットで三五〇〇円、日本語版とセットだと七〇〇〇円だそうです。

 そのだひさこ 電 話 090-1871-9994
FAX 092-672-1598
メール hisako.8.1@jcom.home.ne.jp
 公益社団法人 福岡県人権研究所
電 話 092-645-0388
FAX 092-645-0387
メール info@f-jinken.com








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2011年10月21日

三山喬『ホームレス歌人のいた冬』東海大学出版会 一八〇〇円+税

 二〇〇八年の暮れの月曜日のことだった。朝日新聞の短歌投稿欄である朝日歌壇を愛読している僕はいつもの「えっ?」という声をあげた。朝日歌壇を見るときいつも敬愛している永田和宏氏の選から見ている。そこに選ばれた一首に僕の目は釘付けになった。

(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ

 この歌に詠まれた光景の異様さに僕は息を呑んだ。炊き出しのカレーならものに並ぶという世界はどこにあるというのだ。そして投稿者の名を見て再び驚いた。そこには「(ホームレス)公田耕一」とあったからだ。ふつう( )の中には居住する都道府県名が書かれている。なのにそこには「ホームレス」という朝日歌壇には見慣れない文字か書き込まれていたからだ。これはホームレスを自称する人物が炊き出しに並んだ体験を読んだものであろう。
 ホームレスが短歌を投稿してなにが悪い、と言えばそれまでだが、僕の頭の中にはなにがしかのホームレスに対する偏見があったのかもしれない。それが一気に崩れ落ちた。(柔らかい時計)は明らかにあのダリの名作を引っ張ってきている。シュールレアリスムの思想の一端を少なくともホームレス公田耕一氏は血肉化している。それだけで公田氏の教養の深さに驚きを禁じ得なかった。思わず、家人に声をかけたが、まだ寝室で眠りをむさぼっている彼女にその声は届かなかった。歌壇欄を見わたすと、他の選者もこの公田氏の作品を選んでいる。なのでこの作品の上には☆が付いているのだ。
 そしてこの冬、毎回のように朝日歌壇には(ホームレス)公田耕一の作品が採られていた。いささか短歌や俳句を嗜む僕は月曜の朝の新聞を開くのが楽しみになった。そしてその期待に違わず公田耕一氏は投稿を続け、知る人の中ではその存在はけっこう話題になっていた。選者の永田和宏氏もかなり注目していたし、朝日新聞でも公田耕一が何者かを探し始めていた。決して名乗りを上げるわけではなく、どこに住んでいるのかもわからない謎の歌人であった。しかし、いつだったけか、「しばらく見ていないな」と思っていたが、そのまま作品が掲載されなくなり、消えてしまったのである。そして僕もその存在を気にしなくなっていた。つまり、公田耕一は世間から忘れられつつあったのである。
「あの冬、そんな投稿があったよね」という記憶だけを残して。
 そうしたら、この謎の歌人を追いかけていた人がいた。そして公田耕一を捜し求めてあちこちを動き回ったのである。そうしてその調査結果をまとめたのが本書である。
 だから、謎のホームレス歌人公田耕一を見つけ出すサスペンスとしてもこの本はおもしろいし、取材の過程でいろいろな人と出会っていくところはホームレスにまつわる人間ドラマを見ているようでいくつもの驚きがある。三山は短歌を作る教養人を手がかりにしていく。そうした人物はけっこういるもので、ちょっとした人生のずれが運命を分かつものである。中にはいまをときめく(この原稿を書いている現在もだし、これが読者諸姉諸兄の眼に触れる頃にもたぶんときめいているだろう)菅直人(その頃、首相であるかどうかはわからないけど)氏のかつての親友であり、同じ夢を描いた同志という人物もホームレスとして著者三山と出会っている。
 読んでいくと、この国の社会矛盾というのがどんどん露わになってくるのである。そしてそうした社会の裏面で人間の尊厳のために闘っている人々も描かれていく。例えば横浜寿町で識字教室を続けていた大沢敏郎。公田耕一のデビューは大沢の死の直後らしい。
 また本書の中には、似たような人物のことが出てくる。同じ朝日歌壇の常連で、アメリカで終身刑として刑務所から短歌を投稿してくる郷隼人。彼の作品は『LONESOME隼人』(幻冬舎 一五〇〇円+税)としてまとめられている(調べてみたらこの歌集についてはすでにこのコーナーで書評されていた)。また、ホームレス俳人大石太。大石の句集『ホームレス天叫』(創造書房 一二三九円+税)の表紙には

溺れるをなお突き落す天の川

 とある。パラパラとめくるとホームレス生活の中から詠まれた俳句が並んでいる。冒頭の三句。

配られし自決の毒に目が醒める
まぐろ怖じ金目のものは地に埋め
茜空飯場の嗚咽とひびきあう

 大石氏はこのような句集を何冊も出しているホームレス俳人だ。もう一冊手に取る。同じ大石太『ホームレス羽抜鳥』(創造書房 一二三九円+税)だ。こちらは写真がたくさん挿入されている。ベンチで横たわる男の写真の下に

元専務公園デビューの晴姿

 そうなのだ。元専務であろうが、元教師だろうが、ホームレスになる機会はいくらでもある。われわれだって例外ではない。俳人大石太は鹿児島県生まれの男性だということがわかっている。
 しかし、ホームレス歌人公田耕一の正体はわからない。そして三山は横浜のドヤ街をさまよいながら、さまざまな人と出会い、公田耕一を追い詰めていくのだ。
 


☆☆☆☆ いろんな読み方ができる本だ。そして問い詰めている問題は大きく、深い。で、公田耕一とは誰か?ネタバレになるので是非ともお買い求めの程を…。
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2011年09月22日

狸小路きみこ『オサクばあちゃんのひとりごと』法邑興業株式会社 九五二円+税

 今ここにあったものがない。昨晩何を食べたか、…んー、思い出せない。えーと、この人の名前はなんていったっけ。いつ頃からだったろうか、そういう自覚症状が出てきた。赤瀬川原平が『老人力』(ちくま文庫 七一四円)なんて言い方をして慰めてくれたのはいいとして、やはり歳を取りつつある人間にとってはこうした症 状が進んでいった先が不安でならない。二十年後、いや十年後に今の自分を保っていられるかというと自身はない。しかし、いわゆる認知症の状態になってしまった人の気持ちは何処まで理解できているのだろうか、と思うと、これまた心許ない。
 一方で、高齢者に対する話しかけ方も気になる。若い人がまるで子ども相手のように「おじいちゃん、何が食べたいの?」なんてお年寄りに向かって言ってるのをしばしば見ることがあるが、自分がそう言われるようになったときのことを想像するだけで恐ろしくもなる。
 既にわれわれは高齢社会に生きている。高齢者の存在は人権問題の中でも重要な位置を占めるようになってきた。なってきたが、高齢者のことについてどれだけの理解がなされているのだろうか。理解がされていないから未だに子ども扱いのような対応がなされているのだろうと思う。
 本書は二人の認知症の高齢者(夫の祖母と母)を介護した女性による手作りの絵本である。主人公は八十八歳になる認知症のオサクばあちゃん。狸の姿をしているキャラクターがかわいい。そのオサクばあちゃんがついついやってしまういろいろな行動や失敗なんかが本人のひとりごととして描かれている。まあ、認知症の人がし てしまうことが次々出てくるのだが、高齢者本人の側からのメッセージとして読む者に伝わってくる。その言葉は著者が二人のばあちゃんとつきあってきた中で学んできた体験から導き出されたものなのだろう。だから認知症になった(なりつつある)高齢者の心の動きや不安といった気持がよく描かれている。そして、認知症であ っても人間であることの尊厳は失っていないことを教えてくれる。
 高齢社会の中で高齢者になりつつあるあなた。そして高齢者とつきあうことになる高齢ではない人たちに是非とも読んで貰いたい一冊だ。もちろん絵本だから子どもたちにもいい教材となるだろう。


★★★★ 最後にね「順番じゃ!」って言葉で締め括られている。そう順番なんだよ。
 そうそう発行が法邑興業ってあるけど、ま、自費出版みたいなものなのだ。どうしたら手に入るかっていうと、著者が経営している茶廊法邑(さろうほうむら)(011・785・3607)http://houmura.com/に直接問い合わせるか、いわた書店(http://homepage3.nifty.com/iwata/ email:PXY07224@nifty.com)に聞いて みるといい。きっと何とかしてくれる。

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水野宗徳『さよなら、アルマ』サンクチュアリ出版 一二〇〇円+税

 平和教育がマンネリ化しているって誰かが言ってたけど、そうかもしれない。だってあの戦争が終わって六十五年。戦争を記憶している人ってみんな七十歳過ぎじゃないの。日露戦争が終わって六十五年後って一九七〇年よ。大学紛争も終わっていたわ。まあ、このことにドキッとする人じたい、もうだいぶお歳よね。
 だから、今の子どもたちにとって戦争ってほんとうに大昔のことなのよ。だけど、あの戦争はこの国にとってほんとうにたいへんなことだったんだし、その痛みはいろんな形で残していかなくてはならないのね。
 だからマンネリでもいいから、あの戦争のことは、いやあの戦争で悲しい思いをしたことは伝えていかなくてはならないと思うの。戦争の悲しみっていうのは愛するものとの別れだ。愛するもののために戦う、なんて言うのは嘘よ。戦争って戦うことで愛する者と別れざるを得ないことなのね。そのことを戦争好きの人たちはわかっていない。ていうか、想像力がないのかも。子どもたちの平和力(!)を育むのにたいせつなことはその想像力じゃないかしら。愛する者と幸福に暮らしたい。そのためには武器を持ってよその国にまで行って戦う必要性なんてまったくないのよ。その想像力は育てたいわよね。と言っても、教えるセンセイ自体戦争体験なんてないし、想像力だって枯渇しているんじゃないかな。
 この本はそれでもやっぱりあの戦争の時の話なのね。戦争をやってしまった事情やら、他の国や、他の民族に対してどんなにひどいことをしたかみたいなことはどんどん忘れていくことのようなのね。そして歪んだ愛国心やねじれた民族主義みたいなのがじわじわ復活している危機感はあるわ。でも、愛する者との別れは想像できる。愛する者と別れなければいけないことと敵を作って争うこととを比べれば、戦争がまずいことだというぐらいは伝わるんじゃないかな。
 この本は軍用犬の話なのね。そう戦争に行って戦った犬の話。この本の著者は戦争なんてまったく知らない世代の人なんだけど、図書館の雑誌で見つけた一枚の写真に突き動かされてこの本を書いたというの。その写真というのは「祝出征アルマ号」という幟の傍に行儀よく座っている犬の写真。賢そうなシェパードね。この犬がどこの誰の飼い犬だったかはとうとうわからずじまいだったんだけど、この一枚の写真から著者の水野さんはすてきな、そして哀しい物語を紡ぎ出したの。一匹の犬と子どもたちの、そして戦争に巻き込まれた人間たちとの愛の物語よ。
 あの頃は徴兵制度があったから、若い男の人は次々と兵隊にとられていった。それは無数の別れだったんだけど、戦争に行くことになった人たちはそれぞれ自分の意思を持たされて戦地に赴いた。でも、犬にはそんなふうに国家のことを考えたり、民族のことを考えて、別れを正当化することなんてしやしない。子どもたちだってそうだ。犬と子どもたちは純粋に愛でつながっている。子どもたちは戦争というつらい時代の中でアルマをかわいがっていたのね。だけど戦況は悪化してアルマにまで赤紙(召集令状)が来ちゃったのね。そしてアルマにその餌のために軍用犬の訓練をさせちゃった責任を感じた若者がアルマを追って満洲に行く。そしていろんな出会いと別れがあって…
 この物語の中で描かれているのは犬と人間との関係なのね。いや、ちがう。生き物と生き物の関係かな。軍人は命令で人を動かす。犬にもそうやって命令しようとする。でもね、犬は愛する者のために働くのよ。愛する人が喜ぶなら危険を顧みず任務を果たすのよ。そんな人間とアルマの関係を見ていたら、いつも命令文で話している自分が急に恥ずかしくなっちゃった。教師も軍人に似てるね。


☆☆☆☆ 犬と人間の命はどっちが重たいのか。こういう物語を読んでいるとわかんなくなるのよね。でも、犬のために人間が死ぬこともあるんだ。つまりさ、いのちっていうのは平等なのよ。あっ、誰のいのちもたいせつっていうのはこういうことなんだって気づかされた。まあ、読めばわかるって。
 それはさておき、この軍用犬と子どもたちの物語、小学生でも読める文体だから、クラスの子どもたちに買ってあげてね。もちろんセンセイのお小遣いで、よ。
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2009年10月01日

『茶色の朝』フランク パヴロフ・物語/ヴィンセント ギャロ・絵/高橋哲哉・メッセージ/藤本一勇・訳

 ファシズムって何かってことは難解な政治学の議論をしなくたっていい。誰だって体感でわかることだ。そして誰もが気づかずに染まっていくことだ。本書は心理学者で人権運動家の著者による短い政治的寓話である。茶色でないというだけで猫や犬が処分されていく、そんなお話でファシズムの怖さがみごとに描かれているのだ。ふんだんに入れられたギャロの挿し絵もいい。高橋哲哉のメッセージがよけいで鬱陶しいけど、それはこの手の出版社の企画のせいかも。



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