2017年05月10日

学校沿革史研究部会;山谷幸司・米田俊彦 学校沿革史の研究 高等学校編1、2


 本書は野間教育研究所紀要第50集及び第57集として刊行されたものである。野間教育研究所で2000年10月に立ち上げた「学校沿革史」研究部会が、高等学校および大学の沿革史の研究をおこなってきたが、2008年7月にその成果として『学校沿革史の研究 総説』を刊行、次いで2011年9月に『学校沿革史の研究 高等学校編1 長野県の高等学校沿革史』、2013年7月に『学校沿革史の研究 大学編1』が、そして2015年8月に『学校沿革史の研究高等学校編2』、2016年2月に『学校沿革史の研究 大学編2』が刊行された。『総説』の「はしがき」によれば、「学校沿革史という作品がもつ教育史研究、歴史研究の側面について、その成果を確認し、評価してみようという趣旨」に基づくものであり、「評価の観点や基準を示すことができれば、今後編纂される学校沿革史に対して編纂の指針を提供することができるであろう」という目的が示されていた。であるから、総説、大学編も含めて紹介するのが妥当なのかも知れないが、本稿ではこのうち高等学校編について紹介しておくことにとどめることとする。
 前述のように『高等学校編1』は2011年の刊行であり、米田俊彦の単独執筆である。それから4年を経て『高等学校編2』の刊行となった。こちらは山谷幸司と米田俊彦の共同執筆となっている。「学校沿革史」研究部会の方針では高等学校沿革史においては(1)都道府県単位の比較分析、(2)テーマ別比較分析、(3)個別沿革史の検討という枠組みを設定している(『高等学校編1』「刊行に際して」)。
 『高等学校編1』は「長野県の高等学校沿革史」とサブタイトルが付されているように長野県を事例に「都道府県単位の比較分析」を試みた結果(5頁)である。長野県に限定したのは東日本大震災により宮城県担当の山谷氏が執筆できなくなった所為で、「宮城県については、高校沿革史の「(2)テーマ別比較分析」「(3)個別沿革史の検討」の検討結果を刊行する際に合わせて収録することとした」(「刊行に際して」)という。『高等学校編2』はそういう位置づけで執筆されたと考えたい。『高等学校編1』では長野県の高等学校沿革史についての概要を一覧できるようにした上で前身校が中学校、高等女学校、実業学校などの種別ごと、および「複数(異種)の学校を統合」したもの、戦後創立の高校、私立高校に類型化し、比較分析を行おうとしている。各沿革史の内容の特徴が簡潔に抽出されていて、それらを読み比べるとなるほど各沿革史の編集方針や姿勢のちがいはよくわかる。「おわりに」では類型別の比較分析のまとめがされているものの、これから沿革史を編集しようとする人間から見れば、読者自身の比較の眼に期待する部分も大きいと思う。それだけ的確に各沿革史の特徴が抽出されているので、新たに高校沿革史の編纂事業に取り組む高校があるならば、参考になる事例は類型を超えて存在すると思う。
 『高等学校編2』は大きく2部に分けてある。第1部は「都道府県単位での沿革史の比較」であり、第2部は「テーマ別比較分析」である。第1部の第1章が宮城県第2章が神奈川県を扱っているが、宮城県については6校のそれぞれの沿革史の編纂方針、構成と内容が要約されている。一方、神奈川県については旧制中等学校を前身とする県立高校という制限がつけられ、まずはそれらの沿革史の概要が網羅的に展開され、次いで通史的叙述が充実している横浜緑ヶ丘高校、川崎高校、鶴見高校の3校に絞って比較分析をおこなっている。第2部のテーマ別比較分析は長野県の定時制課程、神奈川県の男女共学という二つのテーマ別の検討をおこなっている。戦後のある時期、定時制課程は青年教育において重要な役割を果たしてきたはずである。本書では長野県に限ってはいるが、定時制課程の沿革史を並べてみていくことで戦後史における定時制課程の存在感が伝わってきた。また、男女共学も戦後〈民主〉教育の華であったが、沿革史の記述を比べて見ていくとそこに良いも悪いも戦後教育の衝撃が浮かび上がってくる。まさしく男女共学は戦後教育のもっとも大きな衝撃ではなかったか。それが沿革史の叙述を並べていくとすごみを帯びてくるからおもしろいものである。
 ところで、比較分析の手法が執筆者によって異なるのは地域の特性の所為なのか、執筆者の趣味なのか。読む方としてはもう少し整合性がほしかった。また、当初想定されていた(3)個別沿革史の検討といった枠組みはどこへ行ったのか。宮城県に関していえばそれに相当するものと考えていいのか、明確ではなかったと思う。しかし、本書が多くの沿革史編集者の手元に置かれることで、これからの高校沿革史編纂事業は確かな土台を得たということができよう。

財団法人 野間教育研究所 2011年9月発行 A5版 232頁 5,000円
公益財団法人 野間教育研究所 2015年8月発行 A5版 295頁 5,000円
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2012年01月21日

新谷恭明『なぜ中学生は煙草を吸ってはいけないの』福岡県人権研究所

 十一月三〇日は書評の締切なんだけれど、なかなかいい本が見つからない。ていうか、このところこの欄にふさわしい本を読むのをサボっていたということもあり、ぐずぐずしているうちに締切が来ちゃった。なので、県同教への道が遠い。実に遠い。足取りも重い。なもんで、途中で寄り道してコーヒーの一杯でもいただこうかと福岡県人権研究所に立ち寄った。お、そしたら、なんか新しい本がどっと積み上げられているではないか。
「何か新刊でたの?」
「あら、新谷センセイのブックレットよ」
「え?そんなの企画してたんだ」
 これは天恵だ。締切ギリギリになってようやくネタと出会えたか。
「ちょっと見ていい?」
 と言いながら僕はすでに一冊手に取っていた。
「なになに、『なぜ、中学生は煙草を吸ってはいけないの』というのか。『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』(光文社新書 七三五円)のパクリみたいだな」
 とつぶやくときつい言葉が返ってきた。
「パクリじゃないわよ。中にそういう章があるんだから」
「へぇ、そうかい」
 表紙は教室の写真に縦書きのラフな字体。なかなかいい感じだ。表紙を開いてみる。
「おや?」
 中表紙にはタイトルが書かれた黒板の写真。あれ、この字は見たことがあるぞ。まあいい。目次を開けてみる。おお、確かに「三 なぜ、中学生は煙草を吸ってはいけないの」とある。あとの章もどこかで見たことがあるなあ。おっ、最後の頁に「初出一覧」があって、なるほど、「羅針盤」に載ってた文章が多い。「羅針盤」ってほら、県同教の機関紙『かいほう』の最後の頁に載っているやつ。あとは『ウィンズ』に載っけてた文章か。あ、書き下ろしもあるんだ。まあ、一口で言うと新谷センセイのあの名著『学校は軍隊に似ている』(海鳥社 一二〇〇円+税)の続編なんだ。これはいい。
 もう一度最初に戻る。目次の次に、あ、やはり短歌があった。
 『学校は軍隊に似ている』では〈学校といふ旧き檻あり囚はれの子らは十二年の刑期に耐へて 休呆〉という短歌が載っていた。今度はどんなのかな,というと、こんなのであった。

日の暮れた街に子どもの居ることの罪なりし日を懐かしみをり 休呆

 ほほう、確かに昔は日が暮れたら子どもは家に帰らなくちゃいかんやった。夜に子どもだけで出歩くのは学校で禁じられていたのに、今では塾やらがあるせいか、ガキどもが盛り場をうろついちょる。あれは何とかならんのか、と思ってからずいぶんたつし。今じゃあたりまえの光景だもんなあ。
 ぱらぱらと中身をめくってみる。おや、写真があった。あれれ、「羅針盤」とはちょっとちがうかもしれない。なるほどだいぶ書き加えたところもあるんだ。この本、「わがまま書評」で紹介してしまおう。
 まずは「はじめに」を見てみる。これはたぶん「羅針盤」には書いてないはずだ。へぇぇ、スカンジナビア航空のことから書いてあるぞ。なるほど常識と偏見か。そして、うむ、最近の差別発言事件のことも書いてあるな。「はじめに」がおもしろいや。
 で、本文。最初は「一 通信簿の愉しみ」か。この「愉」という字がいいやね。教師のサディスティックな喜びが滲み出てくる。で「二 通信簿は怪しい」が書き下ろしか。ふむふむ、『学校は軍隊に似ている』もそうだったけど、「羅針盤」の連載もこうやってまとめてみるとおもしろいもんだ。
 あれ?北原白秋の短歌が載っている。「八 あゝ日本の児童は入学の当初から呪われている」だ。確か「羅針盤」の時にはなかったよな。

君かへす朝の舖石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ

 名作だよな。おや、それに並べて〈駅までの君を見送る暗き道しんみり泣かす冬の雨かな〉というのが載っている。(新谷休呆『林檎の感触』)とある。これは新谷センセイと関係あるのかな。そう言えば巻頭の歌も「休呆」とあったし。
 とりあえず、こいつを一冊いただくことにした。何しろできたてのほやほやだ。今回の書評はこれにしよう。副題に「学校文化史の言い分」とあるから、学校を文化史的に見ていくと学校の持っている本質的な問題が見えるということなんだろうな。しかも、「羅針盤」からさらに内容は充実して深められている。こいつで理論武装すればこわいものなし。これを一冊読めば、酒場で知ったかぶりができる。この本を一冊教室に置いておけば子どもたちの学習意欲は急上昇するね、たぶん。いや、もしかすると。
「税込みで一〇五〇円ね」
 僕はポケットから小銭を出して代金を支払った。その時机の上にかわいい新書版の本を見つけた。めくると中身は歌集であった。新谷休呆『林檎の感触』櫂歌書房 一二〇〇円、とある。
「これだ!ついに見つけたぞ」
 そしたら「相聞歌ばかりの歌集よ」と教えてくれた。そうかい、けど相聞歌って何だっけ。まあいい、著者の写真があった。知らない顔だ。そしてカバーの裏に見つけた。なんと「写真 新谷恭明」とあるではないか。新谷センセイはカメラマンだったのか。確かにすてきな写真が短歌の間を埋めている。
「こいつも買いだな」
 だけどここでは買えない。ネットで注文しよう。



☆☆☆☆ 待望の「羅針盤」発『学校は軍隊に似ている』の続編。今や福岡の学校で最も危険と言われている「羅針盤」シリーズ第二弾だ。言うまでもなく「買い」だ。今回は福岡県人権研究所「ブックレット菜の花⑯」として刊行されている。
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2009年10月03日

新谷恭明『学校は軍隊に似ている 学校文化史のささやき』(社)福岡県人権研究所発行、海鳥社発売 一二〇〇円+税

 『ウィンズ』の読者のみなさんには学校の教員が多いだろうと思うし、中学やら高校のセンセイなら歴史を教えている人も多いだろう。そういう方々には釈迦に説法みたいなものだが、歴史というのはどういう教科なんだろうか。まさか入試のための暗記科目なんて思っている人はいないだろうね。まさか歴史なんてなんの役にもたたないものだ、と言う人はいないだろうね。もし、そういうふうにしか歴史について語れない人が近くにいたら是非この本を薦めてほしい。どうしてって?どうしても、さ。
 本書は「学校が病んでいるとおもえる現象があとをたたない」という書き出しで始まる。「学校が病んでいる」、それは現在の学校のあり方に対する一つの問題意識であろう。役に立たないと思われている歴史に何ができるか。ある意味で本書は現在の学校に歴史という刀で喧嘩を売っているのかもしれない。
 著者によれば現在の学校は生活習慣病を患っているのだと言う。そしてその生活習慣とは学校文化といわれるものであり、本書はそうした生活習慣を治療(学校改善・改革)の参考のために記したものだという。そう言われれば身に思い当たることのあるばいね。
 まずは「学校は軍隊に似ている」というタイトルに惹かれた。そう言えば学校では「規律、礼!」なんていうモロ軍隊みたいな慣行があるし、部活の上下関係とか教員の怒鳴り方とか、軍隊に似たところはいっぱいあるような気がする。しかし、そういう表向きのところだけが軍隊に似ているのだろうか。命令口調をやめたら子どもたちがタメ口をきいてきて収拾がつかなくなった、なんて話もよく聞く。それって軍隊だったら反乱なんだろうな。
 で、頁を繰ってみるとそんな話は最初のいくつかで、あとは学校の中にある(あった)いろんなできごと、しきたりなんかについて歴史的に説明されている。語り口の軽妙さにのせられてついつい読み進めていくと、すっごく重たい問題にもぶちあたってしまう。そういう魅力を持った本だ。例えば「蛍の光」という歌があるよね。卒業式によく唄う歌なんだけど、その四番とかがあるのを初めて知ったけど、なんちゅう恐ろしい歌なんだろうと思ったな。それから殉職というのも知って気づいたんだけれど、死んだ本人の意思とは別に人間の死っていうのはいろんな人、殊に権力者によって利用されてしまうものなんだな、とか感じちゃってうかつに死ねなくなったし、最近はやりの二学期制も四月に学年が始まる限りなじむのは無理なんだってこともわかった。そういうふうに読んでいくと歴史というのは暗記教科だって決めつけるのではなくってもっと深い教科になるものだってことがよくわかる。読んだそばから歴史の授業案を書き換えなくっちゃって思ったね。
 で、どこかで読んだことがあるなって思ったら、本書は県同教の機関誌『かいほう』の最後の頁に載ってる「羅針盤」というコーナーに書いた文に加筆してまとめたんだと。そういえば「羅針盤」はけっこうおもしろくて毎回楽しみにはしていたけれど、現物はどっかになくなってしまったりして、読み返したくても読み返せないし、今回出版にあたってはずいぶん文章も書き換えているみたいなのだ。そしてまとめて読んでみると「羅針盤」のおもしろさが倍増してやってくるという感じがする。

★★★★ まさに目から鱗の二十五章。学校文化を考える宝石箱みたいな珠玉の一冊。読まないで学校について語れまい。ところで、厚さの割に高いのか、それとも濃いのか。それは問題だ。あちきは濃いほうに百点!



こちらからも買えます。
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2009年10月01日

北原かな子『洋学受容と地方の近代―津軽東奥義塾を中心に―』岩田書店、二〇〇二年二月、六四〇〇円+税

 東奥義塾は魅力的な学校である。私事であるが、四半世紀余前に私はこの魅力的な学校に出会った。もとはと言えば弘前藩校稽古館である。旧藩校の系譜をひくと自称する学校はいくつも存在する。そのほとんどは県立高校としてその地方の看板学校となっている。しかし、東奥義塾は私立である。そしてキリスト教の学校なのである。しかも、横浜とか長崎とかではない、雪深い東北の「奥地」である津軽の地にそうした学校がつくられたことに驚いたのである。
 東奥義塾に史料調査に赴いたとき、東奥義塾の戸沢武先生に二代目外国人教師マックレーの話をうかがった。戸沢先生はまだ若い青年が交通機関も発達していない時代に異国のしかもまさしく日本の「奥地」である津軽の地にやってきたことをまるで見てきたことのように語られた。その時私は愚かにも「マックレーはどういう気持ちでここに来たのでしょうね」とご意見をうかがった。戸沢先生は「おそらく若者らしい好奇心とか冒険心のようなものが彼を動かしたのではないだろうか」と言われたように記憶している。
 その好奇心とか冒険心を持っていたのはやってきたマックレーだけではない。戊辰戦争後の新しい国家の枠組みをつくる中で東奥義塾の創設を任された本多庸一や菊池九郎などは二十代半ばの若者たちであった。そうした若者たちの新しい時代に向かう夢のようなものが東奥義塾の歴史を繙いていくとずんずん伝わってきたのである。その若い息吹が東奥義塾という学校の魅力であった。
 そんなお話をうかがっていたときに賛美歌を歌いながら礼拝に向かう生徒たちの群が廊下を通っていった。東奥義塾はキリスト教主義の学校なのだからあたりまえのことだけれど、この学校がもとは旧藩校稽古館の系譜であったという先入観にとらわれてその光景を見たとき私は歴史のなかの異文化接触が現代に結実した姿として見えた。旧藩校と賛美歌という奇妙なつながりを現実に目の前にして私は歴史のロマンに感動した覚えがある。
 学術書の書評らしくもない書き方をしてしまったが、歴史研究には素朴な感動が必要なのではないかと思うのでよけいなことを書いてしまった。お許し願いたい。
 本書は北原かな子氏が東北大学に提出した博士論文だということである。しかも博士(国際文化)という学位を得られている。四半世紀前に私が東奥義塾についてささやかな論文を書いたときは小さな教育史の枠組みでしか見ていなかったような気がする。それに対して国際的な視野と地方からのまなざしとを融合させた実におもしろい著作として拝読した。本書の構成は以下の通りである。
第1章 東奥義塾開学
第2章 東奥義塾の洋学(1)
    ―ジョン・イング着任まで―
第3章 東奥義塾の洋学(2)
    ―ジョン・イングの貢献―
第4章 津軽地方初の海外留学生たち
第5章 アーサー・C・マックレーの活動

巻末資料
 第1章は東奥義塾開学の概要が記される。この時期の東奥義塾にかかわる資料の紹介と検討、主要人物や開学時の東奥義塾の状況や位置づけが描かれている。第2章、第3章は3代目外国人教師であったジョン・イングを中心として東奥義塾の異文化摂取の実態が綿密な資料を紹介しつつ描いている。第2章ではウォルフ、マックレー、イングという3代にわたる外国人教師の足跡と本多庸一の人物についての素描がなされ、第3章でイングの功績が仔細に叙述されている。イングが東奥義塾に遺したものは多々あるが、本書では「『東奥義塾一覧』の作成」「文学社会」「キリスト教」「女子教育」をあげている。『東奥義塾一覧』は私も使わせていただいたことのある資料であるが、北原氏はイングの母校インディアナ・アズベリー大学カタログと比較することで『東奥義塾一覧』を位置づけるとともに当時の東奥義塾の知的水準を検証している。私もかつて東奥義塾の知的水準を慶應義塾と比較する試みをしたことはあったが、本書の試みによって東奥義塾の実際の知的水準が明確になったと言えるだろう。「文学社会」は東奥義塾の活動において非常に重要なものであるが、やはりインディアナ・アズベリー大学との比較という視点が生きている。
 イングは5名の生徒を母校インディアナ・アズベリー大学に留学させている。第4章ではこれら東奥義塾が送り出した海外留学生たちの米国での学びの実態を豊富な資料をもとに生き生きと描いている。
 冒頭で第二代外国人教師マックレーに触れたが、実は彼が若かったことや在職期間が短かったことなどから存在そのものは軽く扱われてきた。しかし、マックレーは帰国後『日本からの書簡集』という著作を著しており、第5章はこの著作をもとにマックレーの再評価をはかろうとしている。
 以上見てきたように、北原氏は東奥義塾の初期を担った人物にまなざしを向けることで、日本の「地方」が近代を迎えるにあたり異文化を摂取しようとした過程を描こうとした。言うまでもなく津軽は日本の「奥地」であった。しかも弘前藩は戊辰戦争後の政治的選択を迫られていた。そして近代への生き残りをはかるために若い力を活用しようとした。それが東奥義塾だったというのが私の東奥義塾に対する見方である。そうした私の期待に本書の試みはじゅうぶんに応えてくれたと言えよう。そして魅力的な学校であった東奥義塾の魅力を引き出してくれている。
 ところで、巻末資料として東奥義塾所蔵洋書目録とマックレーの弘前城紹介文を含む英文資料が掲載されている。東奥義塾所蔵洋書は東奥義塾の知的実力を推し量る上で貴重な財産である。
 惜しむらくは本書には索引がない。せっかく人物に関する記述がふんだんに盛り込まれているので、索引があるともっと本書を楽しむことができると思う。


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坂本紀子著『明治前期の小学校と地域社会』梓出版社 5000円+税

 本書は二〇〇〇年五月に著者が早稲田大学に提出した学位請求論文「明治前期の地域における小学校支持基盤の形成過程―静岡県駿東郡富岡村の事例を中心として―」に加筆修正をして刊行したものである。学位論文の原題にあるように本書の主題は「地域における小学校支持基盤」にかかわるものであり、ねらいとするところは学制にはじまる近代小学校が「安定した地域基盤をどのような過程を経て獲得していったのか」(序章)という関心から「地域の支持基盤は、小学校普及に賛同する人びとの僧が徐々に広がりをみせながら形成されていったという」(序章)ことを丹念に資料を読み解きつつ叙述することにあるとみることができよう。
 本書の構成は以下の通りである。
序章  課題と対象地域
第一章 学区取締の活動と人びとの対応
第二章 学区取締兼教導職の学校観
第三章 小学校校舎の新築と地域の〈近代化〉
第四章 区町村会と小学校支持基盤の形成
第五章 区町村会法の改正と小学校支持基盤の変容
結章  総括と今後の課題
 もとより著者は早稲田大学大学院在籍中に『裾野市史』の編纂事業にかかわり、その過程で出会った史料類が本書の基幹史料となっている。ちなみに第一章の初出は『裾野市史研究』第四号に掲載されたものであるし、本書全体が『裾野市史』と密着した関係で作成されたと考えていいと思う。殊に中心となっているのが駿東郡御宿村の素封家湯山家の役割である。著者によれば湯山家は「静岡県内の他の豪農商層と比較すれば、けっして大地主ではなく中小地主である」のだそうだが、「当該地域はこの湯山家の財力と拡張した所有地を基盤に地方自治体制が確立されるという一つの歴史的日本社会構造の特徴を有した地域」であるという。実際本書を通読する限り、湯山家なくしてこの地域の歴史は語れない。
 第一章はこの地域の学区取締を勤めた湯山半七郎を中心にいわゆる学制期の学区取締の仕事にどういうことがあったのかを丹念に叙述している。湯山家は名望家であるばかりではなく伝統社会の中では経済的な優位性のみならず、地域の住民と「擬制的親子関係」を結んでおり、そういう状況下で人びとを「政府側に引き寄せ、教育政策の地域展開を具体化しようとした」という結論に至っている。
 第二章は学区取締湯山半七郎が兼務していた教導職としての説教を分析して湯山半七郎の生活観、学校観、国家観を読み解いた章である。湯山の思想的基盤が平田国学であったという点からの叙述がなされている。
 第三章はいわゆる教育令期の小学校建設の問題が描かれる。湯山家は半七郎から嗣子柳雄に権限が委譲される時期であり、同時に自由民権運動の昂揚の時期でもあって、この地域では政治的、文化的に過渡期であった。おりしも独立校舎建築をめぐる問題が登場し、校舎建築というテーマを中心に近代化への対応の葛藤が描かれている。
 第四章は参照と同じ時期を対象としているが、三新法体制下で連合町村会、学校連合村会、学区会などでの審議の分析がおこなわれ、審議の過程で村民の中に学校自治意識が醸成されていったことの説明がなされている。そして区町村会法が地域における小学校支持基盤を形成していく契機になったと結んでいる。
 第五章は区町村会法の改正(一八八四年)後に変容したであろう小学校支持基盤について教育連合村会での議論を中心に検討している。著者の結論とするところは「複数議員の参加による協議型から、限定された有力者による掌握型へと変貌した」と分析し、政府や県の圧力のもとで会議での審議内容も政府の教育政策の下請けに近くなったという結論を得ている。
 以上概観を見てわかるように、本書の特徴はまず素封家湯山家の勢力下にある地域の小学校史を繙くことで日本の近代小学校が支えられていく基盤が作られていった事情を解明しようとしたところにある。ミクロな社会構造の中で刻々と変化していく近代日本の農村と教育の姿が見事に描かれていて、実に楽しく読むことができた。「御宿村ほか七か村」において湯山家が近代化において重要な役割を果たしてきたことがよくわかり、本書によって地方教育史研究の大きな財産を我々は得ることができたと言えよう。
 問題は非常にミクロな教育史研究が近代教育史のグランドヒストリーに普遍化できるかどうかである。実際、著者は湯山家の物語で終始しないように長野県(下高井郡間山村、更科村、新野村)の事例をひきつつ、「本書のテーマを論じるのに補足した」という。そして「結章」において著者は人びとの小学校関与の形態は教育制度と地方制度の改革によって四段階のステップで形成されたとして一応の結論としているが、確かにこの四段階はおおむねまちがってはいないとおもう。しかし、自由民権運動とのかかわりについても協議型から掌握型への変容についてもややもすると普遍的な公式を導き出そうとしてはいないだろうか。私はこの研究が地方教育史的研究としてすぐれているがゆえにあまり普遍化を狙わないほうがよかったのではないかと思う。「御宿村ほか七か村」の特徴が存分に描かれていれば、本書の価値はじゅうぶんにあるのだと思う。その意味で長野県の事例をひいたのは私には中途半端な紹介に思えた。グランドヒストリーをめざすのならばもっと多くの多様な地方史研究を行うべきであると思う。著者は長野県の例を「駿東郡とは異なる地域性を持つ」と位置づけているが、その地域でなければならない必然性は感じられない。単に湯山家のような豪農がいなかったというだけでは地域性のちがいは説明できないと思う。失礼な言い方をしてしまうと、たかが山を一つか二つ越えただけのところではないかと言いたくなってしまうのだ。
 私見だが、地方教育史研究は徹底して地方の視座から教育史を見つめる作業ではないだろうか。軽々な比較研究や地域の類型化みたいなものは地方の特質をすべてそぎ落として、結果的に本質までもそぎ落としたものが時としてある。誤解の内容に言い換えるならば、本書がそのような研究だというのではない。本書は地方教育史的な視座を頑として持っているので高く評価できるのだが、それゆえに長野の事例は中途半端であったかな、と感じただけである。
 ところでこのことにかかわっていくつか気になったことがあるので、指摘しておきたい。第一章は学区取締の職務についてがテーマであった。ここで「試験」について検証がなされている。もちろん湯山の日記から試験の実態が説明されているのだが、長野県の事例が引用されることで湯山半七郎の日記から抽出された御宿村の状況が読み取りにくくなる。そして花井信氏の「村の数少ない行事として、競争試験は村人たちの関心が集まる一大イベントであった」という評価をひき、「村のあたかも行事のようなイベントになったといえよう」と埼玉のしかも一九〇〇年の史料からまとめている。これはせっかくの湯山の役目としての試験が見えなくなってしまう。あくまで湯山と御宿村を通してこの村では試験はどう扱われていたのかという分析を行うのが地方教育史研究のめざすところではないだろうか。
 同じように、第二章では教導職湯山半七郎が平田国学の信奉者であったことから「地域支配者層は、むしろ国家的課題や天皇の存在を地域改革をおこなう正当性の根拠として取り込み、学校をそのための機軸として積極的に受容し利用することによって、地域と自身の致富と安穏を実現しようとしたと思われる」(129頁)と地域支配者層一般の思想に敷衍しているのはやや無理があるのではないだろうか。これはあくまで湯山個人の思想の問題であって、そうした湯山のあり方が地方教育史としては意味のあることなのだと思う。安易な一般化は好ましくないと思う。
 そうした甘さはこの章の結論及び第三章における自由民権運動の位置づけにもあらわれている。湯山のように国学に傾倒した地域指導者の「地域改革推進の正当性や保証は、…中略…近代天皇制という枠組みの中に収斂される」として「地域社会は国家的秩序の中に取り込まれ、国民国家形成の実現を地域末端で支えていくことになる」という評価に対立させて「自主自立の自覚は、また一方で、人びとの政治参加や経済的権利獲得のための自由民権運動への道につながる」(132頁)という位置づけはやや乱暴すぎはしないだろうか。なぜなら、自由民権運動は必ずしも天皇制や国家に対立するものではなかったはずである。そのことは著者も感づいているのだが(156頁)、それを「近代化論の対立」と言ってしまってよいのだろうか。あたかも天皇制を否定する勢力があったかのような対立構図に見えるのがかなり気になる。この時期の自由民権運動を含めた政治的対立の枠組みは天皇制をめぐるものではなかったと思う。天皇制をめぐっての政治的な対立というのは社会主義ないし無政府主義が入ってきてからのものではないかと思うのだが。こうしたことも正確にこの地方の政社の政治理論についての考察が必要であろう。
 しかし、第三章では「自由民権運動と教育をテーマに掲げるものではない」と議論からはずしているのだからこうした批評は当たらないのかもしれないので、言い過ぎた部分はご容赦願いたい。とは言え、この章の「はじめに」は自由民権運動と教育に関わる先行研究の紹介が大半なのでついついひっかかってしまった。
 ところで第四章で登場してくる西嶋準平と貧民党であるが御厨銀行襲撃を計画するなどの過激な党派であったにもかかわらず、西嶋は議員として発言もしている。彼らの政治思想及び教育思想がもっとあきらかになればおもしろいと思ったのは私の単純な好奇心である。いつかそれを示す史料に出会われたら紹介してほしい。
 おそらく地方教育史的な視座は近代日本の大きな歴史潮流の一部をなすものではあるが、その歴史潮流の流れに沿って展開するものとはかぎらない。地方的な紆余曲折が集積されてある種の化学反応を起こし、大きな潮流を生み出してきたのだと思う。そうした地方教育史の個性的な構造を解明していくこと、そしてその化学反応を再検証していくことによって大きな歴史の一般理論に時として意義を申し立てることも可能ではないだろうか。「試験」はその一例にすぎないし、自由民権運動をめぐる評価も地方から書き換えていけるのである。
 最後にいささか細かすぎる話だが、45頁と180頁に「先行研究では…」と記されているが、誰の研究なのか何も書かれていない。再版に際しては配慮していただければ幸いである。

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