2009年09月30日

カレル・チャペック作 栗栖 継訳『山椒魚戦争』岩波文庫 八六〇円+税

 今度の選挙は小泉首相の圧勝というかたちで終わったけど、与党が衆議院の三分の二以上を占めたっていうのはちょっとおどろきだったわね。この日わたしは天神の本屋さんでこの一冊の岩波文庫を買ったんです。なぜかっていうとちょうど選挙の日だったから。そして、自民党が圧勝しそうな予感をしてたから、かな。
 だいたいカレル・チャペックって人、知ってた? チェコの作家なのね。で、この本は一九三五年に書かれたもので、日本語訳になったのは一九七〇年で早川書房から出されたんだって。そして一九七四年に早川新書から再刊され、この岩波文庫版は一九七八年に出版されている。そんな古い本を今さら紹介することもないだろうと言われるかもしれないけど、歴史的な選挙の日なんだから意味があると思うからいいでしょ。
 訳者はどの訳も栗栖継という人。この栗栖継って人は生きてればたぶん九十五歳くらいになるみたいで、去年くらいまでは確かに講演なんかしてた痕跡はあるからきっと生きているんだろうと思うけど、最初のエスペランチストなんだって。それで戦後になってチェコ語を体得してチェコ文学研究家になったとか、けっこうすごい人みたい。わざわざ訳者を紹介したのは岩波文庫なんだけど訳がすっごく読みやすいのよ。ま、元は早川書房だからあたりまえかもしれないけど。
 ところで、早川書房といえばSF小説が看板の出版社ね。そしてその名に恥じず、この『山椒魚戦争』も立派なSF小説なんだわ。しかもめっちゃ面白いのね。どんな話かっていうと、一人の船長が東南アジアのある入江でかしこい山椒魚を見つけるの。そして山椒魚に真珠を取らせて一儲けしようとある社長に掛け合って、まあ、商談が成立する。で、この山椒魚を繁殖させて労働力として使い、ビジネスは一応成功するんだけど、この山椒魚たちはやがて言葉を覚え、さらに教育を受けることによって人間並みの知性を持つようになり、やがて人間をはるかに上まわるほど数が増えたあげく、ついに人間と戦争をして世界を制覇する、っていう話なの。
 あらすじを言っちゃえばもともこもないけど、チャペックという作家のひとつのテーマが人類は自ら生み出したものによって滅ぼされるというのを持っているのね。そうしたテーマにもとづいた作品の集大成みたいなのがこの小説なんだ。問題は人間が生み出したものって何かっていうこと。最初にこのテーマで書いた小説は人間がロボットに滅ぼされるという設定の話なんだけど、『山椒魚戦争』では人間がその欲望のために繁殖させた山椒魚っていうこと。
 そんな中で、人間に戦争を仕掛けたときに宣戦布告するチーフ・サラマンダー(山椒魚総統)というのが出てくる。こいつは「大征服者、技術者で軍人、山椒魚のジンギス・カン、大陸の破壊者なんだ。すごい人物だよ。」と紹介されるんだけど、作者自身の自問自答の中で事実が明らかになるのよ。

「……ほんとうに、山椒魚なのかね?」
「……ちがう。チーフ・サラマンダーは、人間なんだ。本名は、アンドレアス・シュルツェといってね。第一次世界大戦当時は、曹長だったんだよ。」
「道理で!」

というくだりなのね。つまり、チーフ・サラマンダーってのはアドルフ・ヒトラーを想像させるでしょ。だから、増殖する山椒魚はナチズムのことかもしれないし、広い意味での全体主義のことかもしれないの。こんなことを書いたせいでチャペックはナチにかなりにらまれたのね。結局追いつめられて寿命を縮めたみたいなんだけど、そのくらい風刺には毒があるのよ。けっこう思想的にも深いと言えるかも。
 でも、この小説のおもしろさってそんな教訓じゃなくって、「いかにも」って感じで実話を集めたみたいな手法で構成ができていること。だからかなりリアルに話が進むの。船長と社長を取り持った社長宅の門番が実は主人公というか、狂言回しみたいな役なんだけれど、彼は自分が船長を社長に「自分の意志」で取り次いだことが、この破滅の始まりだって思い込んで行くんだけど、彼が集めた資料で山椒魚の文明史が説明されていくのね。これがめっちゃおかしい。日本語の資料も出てくるけど、これがチョーおかしい。ここで紹介できないのが残念だけど、自分で買って見てごらんなさいな、笑っちゃうから。しかもね、最初に山椒魚が攻撃したらしいのはルイジアナを襲った地震と豪雨によるニューオリンズの水害なんだ。あのハリケーンを思い出しちゃった。七十年後をマジ予想的中させたSFかも。
 で、この小説のテーマは人間は人間の生み出したものによって滅びるってことだから、環境問題とか、IT化とか、なぞらえるものはナチズムやファシズムばかりじゃないのよね。それぞれの人にそれぞれの読み方もできると思うから、まずは読んでみて。

★★★★ たまには旧作の紹介もいいでしょう。この小説を読んで胸に手をあてればいろいろ反省する人は多いんじゃないかな。
『PLUTO』よりもっと思想的に深いし、エンターテイメントとしてもいけてる。全然古くないのね。



※この書評はかつて自民党が大勝した直後に書かれたものです。



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鈴木邦男『愛国者は信用できるか』講談社現代新書 七百円+税

 ワールドカップがやってくるとナショナリズムが高揚する。愛国者にとってはまさに至福の時だろうし、自称左翼の方々には日の丸の旗が観客席を埋め尽くしているさまに眉を顰める御仁もあろう。しかし、いずれにしても私たちはきちんと愛国心について考えることを避けてきたのではないだろうか。その一方で、愛国心に反発を覚えつつ、ぬくぬくと「この国」の慈愛の中で日々の平安を満喫している人もいるのかもしれない。
 それはさておき、世の中には自分は愛国者だと言いつつ、実際は不忠者が多々いるようだ。記憶にあるかどうかわからないが、日の丸・君が代を無理強いしようとして「強制しないように」と天皇にたしなめられた某自治体の教育委員なんぞはその典型のようなものだ。ただただ自分の卑小な生育史の呪縛から逃れられないやつ(換言すれば、自分の都合のいいようにしか社会を見てこられなかった人々)であろう。もっともこうした人間は自称左翼の中にも多々いるようだ。
 ところで、くだんの教育委員、もとい将棋差しがただその生育史の中において純朴に日の丸・君が代大好き人間であったからということで某知事の覚えめでたく教育委員になり、自分の小さな世界観を一千万の市民に押しつけていくという姿はどう見てもこの国をよくしていこうというふうには見えない。天皇がその愚かさをたしなめたのはまさしくこの国を思う天皇の見識であろう。その点からみてもこの教育委員とそれを雇用し、日の丸・君が代を強要している某知事などはまさしく不忠者ではないのだろうか。
 不忠とは愛国者ならば国家に対して背信行為をするということである。もとよりこの国を天皇制国家と信ずる天皇主義者ならば天皇の望むところにそわない奴等である。古より天皇は何より民の平安な暮らしを望んだと言う。ならば国民を戦場に駆り立てる者ども、威嚇的な街宣車で恫喝していく者ども、言論を力で抑えようとする者ども、愛国心を強制する者、君が代斉唱を強要する者は皆不忠者と言ってよいのだろうと思う。
 それならば忠なる者とは誰か。おそらくは愛国者であるにちがいない。そしてなんと言っても愛国心といえば右翼だ。それはまっとうな右翼にちがいあるまい。ということで本書は右翼団体一水会の代表鈴木邦男による愛国者と愛国心についての提言だ。この人は元日本赤軍の連中と友誼を交わし、日教組委員長と対談したことで物議を醸すということで耳目を集めてきた人だ。愛国心についてもその立場での見識を持っているであろう。ということで、本書は世の腐敗した右翼もどき・似非愛国者たちのみならず、愛国心について考えたこともなく愛国心通信表を見過ごした左翼もどきにも是非読んでもらいたい本だ。
 鈴木邦男は暴走した愛国心や強圧的に押しつけてくる愛国心を嫌う。他人と他国を愛さない、自己愛と自国愛でしかない凶器としての愛国心をまずは嫌うのである。そしてどうしたら愛国心を暴走させない、凶器にさせないかを本書を通じて考えようとしている。
 例えば鈴木氏は拷問死したプロレタリア作家小林多喜二が仁徳天皇と同じように民の幸福を願っていたということを指摘する。そして彼を国家の名において虐殺した特高こそが自己愛と自国愛しか持たない似非愛国者であり、不忠者だったかもしれぬというのだ。
 本書のキーワードは「愛国と憂国」に尽きる。憂国ってわかるかなぁ。その辺を読み解いていくと愛国心を押しつけたり、愛国者であると傍若無人の振る舞いをするやつらが不忠者であることがよくわかる。そういうふうに考えれば御上の真意を理解しない中間管理職って多いだろう(中間管理職っていうのは天皇と下々の中間にいる管理職ってことだから、総理大臣から教務主任までを含む)。また、愛国者気取りで恩師が左翼だからといって非難してまわっているコンドーくん(誰?)やらも不忠者だし、組合嫌いの自称体制派教師も不忠者だろうね。何しろ陛下はそんなことをお望みではないだろうから。
 そんなわけで鈴木邦男は憂国を主張する。この国がもっとよき国であるように現状を憂える。腐敗した似非愛国者の横行を憂うのだ。
 もっともあちきが忠義者だとは言わないが、列挙した不忠者よりはまっとうな生き方をしているとは思う。何しろこの国を不忠者が跋扈している時勢を憂いているのだから(憂国だ!)。

☆☆☆☆ 不忠者必読のわかりやすい愛国心入門書だ。その稚拙な自己チュー的愛国心を洗い直せ!なんとなくあちきも右翼になったみたいな気がしてきた。そのくらいこの人は真面目に愛国心について考えているのだ。似非右翼よりも、似非左翼よりも、そして似非人権主義者よりも。(嗚呼!憂国的になってきたわい!)


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アリス・ウォーカー文 ステファーノ・ヴィタール絵 長田弘訳 『なぜ戦争はよくないか』偕成社  一二〇〇円+税

 二〇〇一年九月十一日。覚えているわね、あの信じられない同時多発テロのあった日のことを。あのとき、みんな何をしていたのかしら。確か、夜遅くのことだったと思うわ。
 確か、私は好きな人とワインを飲みながらテレビを見ていた。
家族で団欒していた人も人もいると思う。職場の仲間と電車の時間を気にしながら酔っぱらっていた人もいると思う。机に向かって勉強していた人も、夫婦喧嘩して茶碗を投げつけていた人もいたと思うし、子作りに専念していた人もいると思うわ。
 ある国ではちょうどお父さんがお昼の支度をしていたのかもしれないし、別な国のある村では学校帰りの子どもたちが道草を食っていたのかもしれないし、また別の国のちがった町では売れ残った品物をぶつぶつ言いながら片付けている商店主の憂鬱があったかもしれない。それでまた別の国の別の町では反応の悪い客に涙目になって歌っている歌手がいたのかもしれないし、その客の中には株で一儲けして有頂天になっているふざけたやつがいたのかもしれない。
 そんなこんなでいつもと同じように時間が過ぎていたはず。幸福な人も、不幸な人も、怒っている人も、泣いている人も、行き詰まっている人も、はしゃいでいる人も、みんなそれぞれの人生という時間を過ごしていたはず。
 そしてそのときニューヨークは新しい一日が始まろうとしていた。いつもと同じようにはじまり、いつもと同じように過ぎて、いつもと同じように終わっていく一日が始まろうとしていた。ところがぎっちょん、ニューヨークは大変な惨事に包まれてしまった。あのそれが新しい世紀の何かを予兆する一撃だったのかもしれない。わたしはそんな気がした。そしてその予感はあたった。
 それから何が起こったかって?そう、アメリカの報復よ。その報復の嵐はアフガニスタンの村々をおそった。いつもと同じように一日を始めようとしていた村人の上に、テレビなんか見たこともない子どもたちの上に、テロとはまったく縁のない女たちの上に、今日の安泰を祈ろうとしていた男たちの上に。爆弾が落ちてきた。銃弾がたたきこまれた。熱い炎がそそがれた。そして多くの村が焼かれ、いやとなるくらいの人が死んだ。
 戦争が始まったんだ。戦争はどんどん広がっていった。イラクという国がずたずたになり、たくさんの人が死んだ。
 『カラー・パープル』という小説でピューリッツァ賞を受けた作家アリス・ウォーカーはこの中で戦争の恐ろしさを知ってしまった。戦争はふつうに暮らしている人々を、ふつうに暮らしている生き物たちを、ふつうに流れていく時間をぜんぶ食べ尽くしていく。そのことを人は知らなさすぎる。知らないと戦争は私たちの上に突然降ってくる。あのアフガニスタンの子どもたちが予期しなかったように。
 戦争がgood ideaだと思う人がいたから、戦争は起きたのよ。Why war is never a good idea? アリス・ウォーカーは問いかける。そのわけを。答えはほらわかっているでしょう、あの後のふつうでなくなった村や町や国を。ふつうに暮らせなくなった村人や子どもたちや女たちや男たちを。ステファーノ・ヴィタールの説得力ある絵がアリスの文に力を与えている。読み返せば読み返すほど戦争がgood ideaではないことがわかってくる。ぜひ子どもたちに読ませてほしいし、それよりおとなが読むべきかもしれないわ。

☆☆☆☆
どの教室にも一冊は置きたいわね。えっ?予算がないって。そのくらい自分で買いなさいよ、それで戦争が少しは遠のくんだから。


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