2013年09月03日

前泊博盛『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』創元社 一五〇〇円+税

 民主党から自民党に政権が戻って、安倍さんが首相に再任されて、なんだかんだで半年が過ぎた。ところで安倍さんて「憲法を改正したい!」って言ってた人で、前に総理大臣をしたときにはその前哨戦として教育基本法を改定してくれた人だったな。以前から〈戦後レジームからの脱却〉と言い続けてきて、それが憲法改正という目標らしいんだな。
 で、〈戦後レジームからの脱却〉って何なんだろう。安倍さんに言わせれば「戦後レジームからの脱却を成し遂げるためには憲法改正が不可欠」(安倍晋三ホームページ二〇一三・六・一 http://www.s-abe.or.jp/policy/consutitution_policy)なんだそうで、それで安倍さんは憲法改正に向けて躍起になっているっちゅうわけなんだな。確かに戦争に負けて日本はしばらくアメリカの占領下にあったわけで、その間に現在の憲法が作られ、〈戦後〉と言われる日本の体制が構築された。その戦後体制を〈戦後レジーム〉と呼ぶそうで、その〈戦後レジーム〉が今も続いているというのが安倍さんの認識らしいし、その象徴が日本国憲法のようなのだ。
 そう言えば、去る四月二十八日のことだけど、政府は「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を開催した。一方で、沖縄では「政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」を開催したんだな。なぜならば、沖縄はまだ〈主権回復〉からほど遠い状況にあるし、あの昭和二十七年四月二十八日は「独立」日本から切り離されて、アメリカの信託統治領になった〈屈辱の日〉と感じている。だから、4・28というのはずっと「沖縄デー」と呼ばれてきたんだな。
 マジメに考えれば、つまり(戦争と)戦後の痛みを感じているところから考えれば、〈戦後レジームからの脱却〉というのは沖縄の屈辱を晴らすことではないんだろうか。そう言えば、沖縄では米軍の犯罪が起きたというので、米軍が禁酒令を出したそうで、そのおかげで沖縄の飲食店は大ダメージを受けているという。そういう絶対矛盾がまさに沖縄における〈戦後レジーム〉なんだ。それを黙殺して「主権回復・・・記念式典」なんて能天気なことを言うのは肝心の部分を見過ごしているか、意図的に国民の眼を逸らしているのか、どっちかしかないと思うんだが。
 そして、ほとんどの国民はそれが沖縄だけの問題だと思っているだけじゃないのか。実はたまたま沖縄というところが米軍にとって都合がいいからだけであって、実は日本全体が沖縄と同じなんだね。日本という国はどんな国なのか。それは日本国憲法が定めている。しかし、日本国憲法以上に日本という国のあり方を「法的」に決めているものがあるのだ。それが「日米地位協定」というものなのだ、というのがこの本の示している内容だ。
 と、むずかしいことを書いたところで、「それでも日本は平和だ」なんてほざいている人たちに訊きたい。
「なんで米軍が日本のあちこちにいるんだ?」
「なんで鳩山さんは基地を動かせなかったの?」
「しかも、何で失脚しちゃったの?」
「なんで福島があんなになったのに、原発をやめられないんだ?」
「なんでTPPに参加しなくちゃいけないんだ?」
 いずれも昨今の政治的ギモンなんだし、日本を愛している人ならばみんな聞きたいことだろう。それに対して、それなりにもっともらしい答えを言う人はいるだろう?でも、それって、本当に日本の国益に立っての意見かな。
 「中国や韓国に屈したり、左翼勢力に与したくないから・・・・」なんていう消極的親米派もいるのかもしれない。でもそれってこの国のことではなくてアメリカの利益を第一に考えた発想だよね。
 しかし、日本とアメリカが植民地と宗主国の関係だとすれば、すべてが氷解する。そして『日米地位協定』にはそのことが書いてあるのだ。だから本書には「本当は憲法より大切な」と修飾語がついているのだ。
 素朴なギモンに対するQ&Aが本書の中心になっている。だからわかりやすい。それを読んでいくだけで問題が氷解するだけではなく、この売国的な約束事を作った人たち、この屈辱的なルールの下でぬくぬくと権力者面(づら)している人たち、さらにこんな反日的なルールも知らずにアメリカに媚びを売って自分を愛国者だとかんちがいしている人たちが情けなくなってくる。そして憲法を変えてさらにアメリカのポチになろうという〈戦後レジームからの脱却〉なんて話を逸らしている政治勢力にも腹が立ってくる。
 そんなわけで、何も知らずに、いやいつ自分たちに同じ問題が降りかかってもおかしくないことを知らずに、厄介なことを沖縄に押し付けて知らん顔を決め込んでいるこの国の住人たちにこの一冊を読んでもらいたいし、あっちの同類にはなってもらいたくないな。


☆☆☆☆ 橋下さんがどうして「アメリカ出ていけ!」と言わずに、風俗がどうのこうのと莫迦なことをほざいて恥をかいた理由もよくわかる。鳩山さんが失脚して、安倍さんが二度目の登板になった理由もよくわかる。
 
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野村路子『テレジンの小さな画家たち』偕成社 一五〇〇円+税

 野球が、野球だけではなくスポーツが戦争の中でゆがんでしまったのだとすると、それは悲しいことだけど、もっと悲しいことは戦争による理不尽な死よね。
 ちょっと前にね『テレジン収容所の幼い画家たち展』という展覧会をやっていたので何気なく入ってみたら、これは驚きだったのね。なんとナチスの強制収容所のひとつであるチェコスロバキアのテレジン収容所にいた子どもたちが描いた絵の展覧会だったのです。
 ナチスの強制収容所がどんなにひどいところだったかは、聞いたことがあると思います。人間扱いをされない状態だったのですが、あまりにもそういう生活が続くと収容所内で暴動が起きてしまいかねません。それでドイツ軍はユダヤ人に音楽をするのを認めたそうです。それで少しは気持ちをなだめようと考えたのでしょう。そういう時間を子どもたちにも与えたいと思ったおとなたちがドイツ軍と交渉して一週間に一、二度、夕食のあとに子どもたちのための〈教室〉を開くことを許可してもらいました。ただそこでは集まって歌を歌って、ゲームをすることだけが許されたのです。何かを学ぶことは許されませんでした。
 でもおとなたちは子どもたちになにかを伝えていきたいと思っていました。それが生きる希望だったのかもしれません。そういう中でフリードル・ディッカー・ブランディズという四十四歳の女性画家が子どもたちに絵を教えようといいだしたのです。そうしてフリードル先生の指導で子どもたちは絵を描くようになったのです。おとなたちは子どもたちのために紙や絵の具やクレヨンなんかをドイツ軍の目を盗んで手に入れてきました。それからフリードル先生は貼り絵や切り絵なんかも教えてくれたのです。
 そうやってだいじな時間を過ごしていた子どもたちも次々と〈東〉へ送られていきました。〈東〉とはあのアウシュビッツです。テレジン収容所には一万五千人の子どもがいたとされています。でも、戦争が終わったときに生き残っていたのはわずかに百人だったといいます。
 戦争が終わってテレジンの収容所は解放されます。テレジンの子どもたちの世話をしていた人が引き上げの途中にテレジンの収容所跡を訪ねて、何か子どもたちの想い出でもないかと探してみたら、なんと4,000枚の絵と数十枚の詩の原稿が出てきたのです。これが展覧会に並べられた絵だったのです。
 戦争って何て理不尽なんだろう。人間が人間であることを否定すること、それが戦争なのだということをテレジンの小さな画家たちは教えてくれました。こんなことはやはりやっちゃいけないんですよ。


★★★★ この本は子ども向けの本だから教室に一冊置いてあげましょう。子どもたちのいのちがおとなたちの起こした戦争で奪われていく理不尽さを学んでもらいたいから。そしてこれはナチスだけが悪いのではなく、自分たちの敵は殺さなくてはならない、という戦争が悪いのだということを子どもたちと一緒に考えましょうよ。
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渡部良三『歌集 小さな抵抗 殺戮を拒んだ日本兵』岩波現代文庫 九八〇円+税

 戦争になったら人間が死ぬ。そう他人事のように言うことはできるが、人間が死ぬ、人間を殺すと言うことが我が身に起こるならばそれは尋常なことではない。また、そうした状況の中で、人間が生きる、それでも生き続けるということも並大抵のことではない。戦争が風化していくのをいいことに、「そんなことはなかった」と言いたがる人たちをしばしば見かけることに歴史が消されていくことの不安感を感じずにはいられない。
 この歌集は最初は私家版として一九九二年に纏められたものである。そして巻末に「本書は一九九四年、シャローム図書より刊行された」とあるように、キリスト教系の出版社から公刊されることになった。一九九九年の三刷が底本となっているから、三度は版を重ねたと言うことだろう。それが十余年を経て岩波現代文庫から刊行されたと言うことはこの歌集に歌集以上の意味があるということを意味している。それは「忘れるな」ということなのだろう。
 この歌集の作者である渡部良三氏は一九二二年生まれ。キリスト教徒であった。一九四四年、中央大学在学中に学徒出陣で中国河北省の駐屯部隊に配属されたのだが、ここで彼は戦争の現実に呑み込まれる。直面したのでも、遭遇したのでもない。まさに彼自身が戦争の現実となったのである。
 それから彼はその現実を短歌に詠んでいった。その現実の過程でも復員に際しても記録を取ることも、持ち帰ることも許されなかったが、彼はあり合わせの紙に書き留めた短歌を服に縫い込んで、生還した。そして戦後の長い時代を生き抜いた後にこれらの短歌を纏めて世に問うたのである。 

朝(あさ)飯(いい)を食(は)みつつ助教は諭したり「捕虜突殺し肝玉をもて」

 助教とは新兵の教育を担当する下士官のことである。二等兵の渡部良三にとっては直接に指導される上官である。その助教が朝食の時に何と言ったか。
「捕虜を突き殺せ」
 上官の命令は天皇の命令であった。

稜威(いつ)ゆえに八路を殺す理由(ことわり)を問えぬ一人の深きこだわり

 稜威とはここでは上官の命令であり、それは天皇の神聖な命令のことであった。それゆえに捕虜(八路とは中国共産党第八路軍のことであり、この八路は彼らが捕らえていた捕虜のことである)を殺す理由を問いただすことはできるはずがなかった。

獣めく気合するどく空(くう)を截(き)る刺されし八路(パロ)の叫びきこえず
深ぶかと胸に刺されし剣の痛み八路はうめかず身を屈(ま)げて耐ゆ

 虐殺は始まった。上官の指図のままに兵士たちは捕虜に剣を突き刺していく。捕虜の痛みを彼はじっと見ているしかなかった。

かくのみにいつくしみなし戦争(たたかい)を聖(ひじり)と宣(のぶ)るやまとの剣に

 これが聖戦だと宣(のたも)うた日本のたたかいなのだろうか。 

地に額をつけ子の生命乞う母の望み断たれぬさるぐつわにて
生命乞う母ごの叫び消えしとき凜と響きぬ捕虜の「没有法子(メイファーヅ)!」

 捕虜には母親がいた。その母親をさるぐつわで黙らせ、刺し殺す。渡部は捕虜の無念に言葉を失うのだ。「没有法子(メイファーヅ)!」は「仕方がない、諦めるさ」という意味だという。

血と人膏まじり合いたる臭いする刺突銃はいま我が手に渡る
「殺す勿れ」そのみおしえをしかと踏み御旨に寄らむ惑うことなく

 そして彼に順番が回ってきた。その刺突銃が渡された時、彼はキリスト者として自分は人を殺さないと決意する。「汝殺す勿れ」というキリストの教えに従う道を選んだのだ。だがそれは銃殺されても仕方のない上官への、そして天皇への反逆行為であった。
 渡部良三の呑み込まれた戦争の現実がこれだった。四十八人の新兵によって五人の八路軍の捕虜が虐殺され、その後面前で八路軍のスパイだとされる若い女性が乳房を焼かれ、水責めにされるという拷問を見せつけられる。そして「不忠者」の烙印を押された渡部はその日から耐えることのないリンチの日々を受けることになるのだ。

血を吐くも呑むもならざり殴られて口に溜(たま)るを耐えて直立不動
煮えたぎるこんにゃくふくむ熱りなりゲートル二足のこの連打はも

 ゲートルで両頬を殴るというリンチで、音がしないために消灯後に行われたという。リンチを受け続けた日々を綴った歌も壮絶なものがつづく。

「尽忠奉公慰安婦来たる」の貼紙を見つつ戦友等にならわぬひとり
いかがなる権力(ちから)の故に連れ来たり遠き戦野に人を売るとは
慰安所に足を向けざる兵もあり虐殺(ころし)拒みし安堵にも似る

 慰安婦のことも詠まれている。渡部は慰安婦も拒否する。そして力ずくでの人身売買を告発する。それは捕虜虐殺を拒んだのと同じ信仰の上にあるものであった。
 戦争は人を殺すことだ。それは限りなく重たいことであるが、いったん踏み外してしまうと人間は人間ではなくなっていく。しかし、人間であり続けることはさらに重たい。
 戦争が風化してゆく。そんな危機感を持ち始めてからもうどれだけの歳月が経っているだろうか。自分の教員生活の中でも二~三世代は戦争から遠ざかってきた実感がある。父母の記憶だったものが、祖父母の記憶となり、今や歴史の一コマでしかなくなっているからだ。時の流れが否応なく古い記憶を消していく。それは致し方のないことではなくて、だからこそ忘れてはならない戦争の記憶があるのだ。そうした記憶がこの歌集には満ちている。そして戦争の罪を否定しようとする者たちや新たに戦争をしたがる者たちに人間のいのちの重さを知らしめる語り部として、この歌集はここにある。


☆☆☆☆ 

戦争の責任ぼかされて歪みゆく時代(とき)の流れを正すすべなし  渡部良三

 これも『小さな抵抗』にある歌である。詠まれたのは東京裁判の頃。世の中は復興に向けて動き始め、戦争の記憶を消し去ろうとしていた。その姿勢のまま六〇年の星霜を重ねている。似たようなまちがいを犯しそうな気配が漂っているような気がしないわけでもない。

死ぬのにはちやうどいいだらうこの道を右に曲がれば戦争がある   休呆
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2011年01月01日

百田尚樹『永遠の0』講談社文庫 八七六円+税

 戦争とはむごいものである。そんなことは百も承知なのだが、そのむごさを僕たちは忘れてしまったのかもしれない。殊に日本がやってしまったあの戦争は無謀な戦いでもあったが、それに対する異論を一切許さなず、異様な精神状態を煽られるようにして破綻に向かっていった。そのことはあちこちで書かれているから今さら繰り返して言う必要は無いだろう。
 この戦争で闘った兵士たちはどういう気持ちで闘っていたのだろうか。単純に熱狂的な愛国者であったとか、みんな軍国主義者へと洗脳されていったのだ、とか非難がましいことを言うのは簡単である。特攻隊として死んでいった人間がほんとうに自ら死を望んで志願していったのか。実際、志願していったのであるから、そうなのだろうと言ってしまっては極限状況の中での人間について理解することはできないだろう。
 戦後、平和教育は戦争の悲惨さを語り、その過ちを追求し、平和のありがたさを子どもたちに伝えようとしてきた。しかし、戦後六十五年という歳月が過ぎた。その戦争を体験した人も高齢となり、日本の戦争体験そのものが風化しているのかもしれない。だからこそ現在のわれわれと血の繋がる実感の中で戦争体験は残しておくべきなのではなかろうか。
 本書は平和教育のテキストじゃあない。一篇の小説である。んで、ちょっと厚い(文庫本で二・五センチ)。
 『永遠の0』の0とは太平洋戦争で活躍した海軍の戦闘機零戦(ゼロせん)のことだ。今の若者がどれだけ零戦について知っているかはわからないし、まして子どもたちは知らないんじゃないかな。だけどある年齢以上の人なら誰でも知っている名機なのだ。ゼロという名前はアメリカの兵士にとっては不気味なイメージを与えていたようだ。何しろ何にもない0を名乗っているのだから。だけど、そういう不気味さを漂わせるために付けた名前ではない。零戦の0とは昭和十五年に作られたことに由来する。その年は皇紀二六〇〇年という記念すべき年として日本全国が盛り上がった年だ。皇紀というのは西暦に対抗して日本独自の紀元を作ったもので、神武天皇が即位した年を元年として定めたものだ。まあ、歴史的な信憑性は全くないのだけれどね。この皇紀二六〇〇年の0をとって零(れい)式艦上戦闘機と命名したもので、通称ゼロ戦と読むのはその後の成り行きだったみたいだ。
 という寄り道はともかく、本書は一人の零戦搭乗員をめぐる物語である。物語はフリーライターの姉と司法試験に挫折している弟の二人がひょんことから自分たちの祖父について調べ始めようとしたことから始まる。この姉弟の祖父は健在なのだが、実は血のつながりがない。祖母は再婚であり、夫は娘、つまり彼女たちの母親を残して特攻隊員として亡くなったのだという。彼女たちは若くして亡くなった祖父の人物像を明らかにしていくために戦時中の祖父を知る人を訪ね、祖父の人間性を訊きだしていくのである。まず最初に聞かされたのは祖父が臆病者であったということ、なんと戦闘機乗りたちがみんながこぞって死を覚悟していた時に「死にたくない」と公言していたというのだ。孫である二人を前に祖父への嫌悪感を剥き出しにする人、祖父が戦闘機乗りとしては卓越した技をもっていたこと、部下に対しても敬語を使うような人物であったことなど、少しずつに祖父なる人物の実像が明らかになっていくのだ。新しい証言者に会うたびに祖父の人間像は固まっていく。舞台はラバウルであり、ガダルカナルであり、大村であり、所を変えてはいくが、いずれにせよそこは戦場であり、祖父も、また姉弟に当時を語る老人たちもみな毎日誰かが死んでいくという極限状況の中にいたのである。その異常な世界の中で死にさらされた人々の人間の思想、死生観は言葉の裏の裏もしくはその裏で屈折して吐露される。
 そうやって彼女たちの未知の祖父の実像が解き明かされていく過程は息もつかせず、ぐいぐいと読む者を引き込んでいくのだ。そして日本という国が、日本軍が、いかに愚かな戦いをしていたのかも明らかになってくる。そして日本軍の指導者たちの人命に対する感覚、彼ら自身の保身、思慮のなさ、そんなものも白日のもとに曝されていく。
 その中で人間の真実というものに読者は出会う。平和教育をしっかりと行うつもりならば、このような人間の本質に迫るものでなければならないだろう。本書中に登場してくる姉の恋人は特攻隊を「テロリストと変わらない」と言い、彼らは洗脳された熱烈な愛国者だと非難する。この程度の平和イデオロギーはわれわれの周縁にはいやと言うほど蔓延している。だけどそのリアリティのなさをわれわれは気づくべきではないのか。本書はこういう薄っぺらい人間観、平和主義を俎上にあげて本書は特攻隊員たちの真情に迫っていくのだ。彼らは単純に国家や天皇に殉じて死んでいった妄信的な愛国者なのではない。それを読み取る力が平和教育には必要だし、ある教職員団体が「教え子を再び戦場に送るな」と言っていた原点はここにあるのだろう。この標語を標語として風化させないためにも、また人間の命の尊さを再確認するためにもこの小説は読んでおきたい。
 本書は実在の撃墜王と呼ばれた人物を登場させ、特攻に象徴される日本軍の人命に対する感覚、作戦のまちがい、指導者の無能などを史実をもとに的確に叙述し、あの戦争のあり方がいかにまちがっていたのかを見事に描ききっている。この小説は平和教育に実を与えるものをたっぷりと盛り込んでいる。ミステリーと言ってもよい小説なので、中学生なら読めるし、是非とも読んで貰いたい。まして平和教育にかかわる教師ならなおのことである。


☆☆☆☆ あくまでこれはミステリーなのだ。謎解きが仕組まれている。想定外の結末が待っているのだが、その結末を知ったとき私は止めどなくあふれてくる涙を抑えることができなかった。そして涙を拭いたとき、この小説が何より美しい人間の心情を描いた崇高な恋愛小説であることを知った。
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2009年10月01日

大江健三郎『沖縄ノート』岩波新書七四〇円+税

 また、沖縄で米兵による少女暴行事件が起きましたね。なんべん同じことが繰り返されたら気が済むのでしょうか。いきどおりで胸がいっぱいになりました。このニュース、朝の報道番組でやっていました。アナウンサーが「沖縄は今、怒っています!」と訴えていました。わたしも「そうだ!」と思ったんですけど、その番組に出ていた出ていた評論家みたいな人が「今、○○さんは原稿を読んだだけだろうけど、沖縄はいま怒っています、って言うのは沖縄は日本とは別だろうということになりますよ。日本が怒っていると言うべきじゃないかな」というふうな意見を言ったんです。これってけっこうショックだった。わたしもそのアナウンサーの方と同じに「沖縄は怒っている」って思いこんでいたんですから。ていうより、与えられた原稿を読むように沖縄に同情的な言葉だけをいじくっている自分に気がついたんです。そうなんですね、沖縄のことをわたしたちはなんか他人事みたいにいつも思っているんじゃないかなあ。この事件は確かに日本の問題だし、そういうことは自分自身の問題でもあるはずなんですね。だけど、私たちの頭の中には沖縄=米軍基地って結びつけるだけじゃなく、自分たちとは関係ないって処理しているところがあるんだと思う。
 いや、それだけじゃないね。相前後して岩国の市長選挙もあって、米軍の再編の問題が問われたんだけれど、岩国と沖縄はやっぱりなんか違う感じがするのね。どうしてだろう。沖縄って、昔は琉球王国で、ひとつの国だったんですよね。それが琉球処分という形で日本に属することになり、そして戦争を理不尽に体験したところであるし、戦後二十七年間アメリカの支配下にあったってのは岩国とはまったくちがうとこかな。
 そしたらこの本を思い出したんですね。『沖縄ノート』。これが本棚の隅にあったわけですよ。岩波新書で薄いから目立たなくってね。手に取ってみたらずいぶん昔の本みたいなので奥付を見ると一九七〇年九月だって。母に聞いたら学生時代に読んだ本なんだって懐かしがってました。
 一九七〇年といえば、沖縄は復帰前。まだアメリカの支配下にあった時代ですよね。それでベトナム戦争なんかがあって、沖縄は重要な軍事拠点だったってんですよね。そして、沖縄の本土復帰って一九七二年だったのだから、ちょうどこの本は復帰のちょっと前に書かれたことになる。この頃大江健三郎は沖縄に通ってこの本を書いたんだ。
 この本で大江は日本人とは何かということを問い続けている。これが本書の主題だ。日本人とは何か、っていうのはナショナリズムを鼓舞するために問うているのではないのね。沖縄という存在と向き合いことで日本人に生まれてしまった自分を問い直す作業のようにわたしには思えた。たとえば「沖縄の、琉球処分以後の近代、現代史にかぎっても、沖縄とそこに住む人間とにたいする本土の日本人の観察と批評の積み重ねには、まことに大量の、意識的、無意識的とを問わぬ恥知らずな歪曲と錯誤とがある。それは沖縄への差別であることにちがいはないが、それにもまして、日本人のもっとも厭らしい属性について自己宣伝するたぐいの歪曲と、錯誤である」なんてね、すごい問題意識だと思う。
 そして大江健三郎は「日本が沖縄に属する」という命題を提起するんです。えっ?だよね。沖縄の本土復帰運動のさなかに「沖縄が日本に属する」と言う人は数多いただろうけど、「日本が沖縄に属する」なんて倒錯した命題を立てるに至った大江はすごいなあ。でも、それってどういうことかって?それは自分で読んでよ。
 ともかくね、プロローグも入れて十編の大江健三郎の思索が詰まっている。それらをひとつずつ読みながら大江と一緒に思索していくと、一九七〇年という時代の中で沖縄と日本を問い詰めていった大江の問題意識はちっとも古くはないと感じました。ていうより、あの戦争を免罪しようという、まして住民を巻き込んでいった沖縄戦を正当化しようという人たちが平然と出てきている昨今では逆に新鮮な問題意識が伝わってくるのね。
 そういえば、渡嘉敷島での住民に対する日本軍による自決命令をなかったことにしようという動きの中で、この『沖縄ノート』は非難されている。そうかなあ、と思って読んでいくとさすがに大江は先をよんでいました。当時の守備隊長が沖縄に来たという報道に触れて、「おりがきたら、この壮年の日本人は、いまこそおりがきたと判断したのだ、そしてかれは那覇空港に降りたったのであった」と、その守備隊長の判断を分析しています。「おりがきた」すごい的確な判断基準ですね。大江は言います、「日本本土の政治家が、民衆が、沖縄とそこに住む人々をねじふせて、その異議申し立ての声を押しつぶそうとしている。そのようなおりがきたのだ」というくだりはまさに今、今の日本をあらわしてはいませんか。集団自決命令はなかった、なんてここに来て言い出すのは二度目のおりがきたことを意味するのだろうなって。そういえば平成の御代になって南京虐殺はなかったとか、従軍慰安婦なんていなかったとか、言う人たちが増えてきましたね。なんかそうやって過去を否定するおりがきたと見ているんでしょうね、あの人たちは。
 『沖縄ノート』にはこんな話が書いてある。「たとえば、米軍の包囲中で、軍隊も、またかれらに見捨てられた沖縄の民衆も、救助されがたく孤立している。そのような状況下で、武装した兵隊が見知らぬ沖縄婦人を、無言で犯したあと、二十数年たってこの兵隊は自分の強姦を、感傷的で通俗的な形容詞を濫用しつつ、限界状況でのつかのまの愛などとみずから表現しているのである」と。そのようなおりがきたところでの記憶の歪曲をもって大江は自分自身に問いかけているのでしょう。
 そういえばこの『沖縄ノート』を以て大江を告発している人たちが重要視している曽野綾子の『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実』(WAC 九三三円+税)では、そうした命令は出した記録はないということまでを言い、「勿論、当時は軍人が何よりも偉く、恐ろしかった時代だから、軍から頼まれたことは、即ち命令としか聞こえなかったであろう」(二八九頁)と書いていました。そのことをおりがきたら「命令なんかしてない、勝手に死んだんだ」なんて開き直っているんだと思いました。
 そうそうこの『沖縄ノート』は出版され続けているのできっと読んでね。

★★★★ 四〇年近く前の本だけど、本質は何も変わっていない。沖縄もすっかり変わったようだけど、今回の事件や教科書問題での動きを見れば、本土の人間にとって都合のいいおりがくることなんてあってはいけない。そのためにもぜったいに読んでね。曽野綾子の本も読んでおくといい。おりがきたときの言い訳の参考になるから。

しかし、世の中いろいろだ。僕のいいたいことも読んでほしい。



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