2012年01月21日

団鬼六/黒岩由紀子『手術は、しません-父と娘の「ガン闘病」450日』新潮社

しばらく前になるが、母が長い闘病生活の末に亡くなりました。ちょうど年の瀬も迫った十二月のことだったと思います。田舎の妹から連絡があり、嚥下障害がきびしくなったので、胃に穴を空けて直接流動食を流し込むことにしたと言うのです。少しずつ弱っていく母ではありましたが、苺が好きなので、「春になったら福岡の苺を持って行ってあげるね」と言うとうれしそうな顔をして、「ああ、楽しみにしているよ。それまでは死ぬわけにはいかないね。」と笑っていたのはほんの一ヶ月前くらいのことでした。だから、その連絡は私にとってはかなりショックだったのです。医師の話ですと、「再び口から食べられるようになる人もいます。」ということでした。そのニュアンスの微妙なこと。医師は決して嘘はつかない。そしてその言葉に嘘はない。確かに嘘ではないのです。そして母が再び食べられるようになるとはひとことも言いませんでした。これも医師としては正しい判断なのでしょう。そしてその時の妹にはなにかを判断することはできなかったのです。

生き方を選べぬ老母の生き方は医師のルールで決められていく   休呆

 年が明けて田舎に帰り、病院に母を見舞いました。母はベッドの上に寝たきりになり、時間になると流動食の入った袋を看護師さんが点滴の器具にぶら下げ、胃に繋がったチューブとドッキングさせてくれる。それが母の食事でした。
 私が来たことを知ると母はまなざしで顔を寄せるようにと合図を送ってきました。母の口元に耳を近づけるとかすかな声で母が言ったのです。
「苺が食べたい。春にあんたが持ってきてくれた苺がおいしかった。あれをまた食べたいよ。あの苺を食べられたらきっと元気になるような気がするよ。」
 母がもう口から食物を摂取できないことはわかっていましたけど、私は嘘をつくしかありませんでした。
「もうすぐ春になるから、そうしたら苺を持ってくるね。それまでに苺を食べられるように元気になろうね。」
 しかし、春が来ても母は回復せず、流動食にしてから半年後母は亡くなりました。半年の間、苺を口にする夢だけを見続けて。叶うはずのない夢を追わせることってすごく残酷なことなのではないでしょうか。食べたいものが食べられず、ベッドの上から降りられず、命が消えるその日まで生き続けなくてはならない。「生きる」っていったい何なんでしょう。おそらく時が来れば私もそんな場面に向き合わざるを得なくなるのかもしれません。その時、自分で自分の生き方(=死に方)を選べるだろうとしたら、どうするだろうか。もしそれすら選べないときには・・・
 と言うことで、この本の著者である団鬼六は知る人ぞ知る大作家。知らない人には一生知らなくてよい大作家。あなたは知っているかなあ。その出世作は『花と蛇』。斯界では名作中の名作とも言われ、『花と蛇』に始まり、『花と蛇』に尽きるとも評価されているらしい。よくわからないけど。たぶん、このコーナーで紹介されるべき本ではないでしょうね、きっと(『花と蛇』〈1~10〉幻冬舎アウトロー文庫 各六八〇円)。
 団鬼六は七十八歳にして食道癌と診断されました。そして、その日からおかしな闘病生活が始まるのです。この本は団鬼六が「残日録」と題して『小説新潮』に二〇一〇年五月号、八月号、十二月号に掲載した文章と、その最後の四五〇日間をつきあった娘の黒岩由紀子さんの文章とが掛け合い漫才風に編成されています。そして娘さんの父親と父親の死に対する向き合い方がすごい。
 なにしろ「残日録」と名づけるくらいですから団鬼六は死を意識してこの文章を書いていたことが想像できます。団鬼六は慢性腎不全を抱えていてそれまで三年ほど透析を続けていました。透析を受けながらも彼は銀座や新宿で夜遊びをし、何かあればパーティを開き、酒は呑み、煙草は吸い、という生活を続けていたのです。
 その団鬼六が癌宣告の後どうしたと思いますか。まず手術を拒否したのです。彼は子供たちに言います。
〈親を無理矢理長生きさせることを、親孝行だと思うな〉
 うーん、食べたいものも食べさせず、半年ものあいだ母親をベッドの上で生かし続けた私にはずしーんと来るひとことです。そして団鬼六はそれまでと変わらず、夜遊びをし、透析と癌の治療のための通院と執筆活動を続けるのです。そして亡くなる直前にはなんとうな重まで食べてしまうというすごい生き方=死に方を見せてくれたのです。
 生きるとはどういうことなのでしょうか。それは誰にもきっとわからないだろうと思います。わからないからそれぞれの思いで生と死とに向き合います。身内の者は愛する人に一日でも長く生きていてもらいたいと願い、医師はあらゆる技術をもって患者を一日でも長く生かそうとし、その願いに応えようとします。当の本人はその時どう考えたらいいのでしょうか。もし、考えを述べるチャンスがあったら私はどういう死に方を選んだらいいのでしょうか。この本を読んで少し前へ進んだような気がします。


☆☆☆☆ この本は団鬼六という異色の人物の闘病記なのではありません。また、団鬼六がSだとかMだとかいうこととも関係ありません。人権の基本にある〈命〉〈生〉というものを建前でなく,本音で考えるために読んでみませんか。
 
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上原善広『私家版差別語辞典』新潮社 一二〇〇円+税

 だいぶ前のことだけど、「バカチョンカメラ」って言ったら、「それは差別語だよ」って丁寧に忠告されたことがあるんだわ。どうしてかって言うと「チョン」というのは朝鮮の「朝」のことで、在日韓国・朝鮮人を差別的に言う使い方なんだと諭されたのね。そして「バカもいけない。知的障害に対する差別的な表現だ」とも言われたわ。
「えーっ!」
 そんなこと考えたこともなかったあたしはずいぶんと困ったのよね。全自動式の操作簡便なカメラを「バカチョンカメラ」ではない言葉で言わなくてはならない。ずいぶん苦慮したんだけど、ちがう言葉で言い換えようとするたびに知的障害者や在日韓国・朝鮮人の人たちに対するこだわりのような意識だけが増幅していって、なんか以前より差別意識みたいな感覚が強くなっていったのね。
 で、さ。そういう言い換えって、自分が差別そのものと向き合ってないで言葉をごまかして逃げようとしているだけじゃないのかな、って思うようになった。関東育ちのあたしには「バカ」なんて言葉は喧嘩の時に使うフツーの罵倒語だったし、男にふられたときなんかに「バカだなあ」って呟く自嘲的な表現だったのに(あっ、藤圭子の『新宿の女』だ。あれは名曲でした。藤圭子が「バカだなあ、バカだなあ、だまされちゃあああって♪」って呟くように歌うたびに切ない女心が震えたものよ)、そんな的確な言葉を失ってしまっちゃうじゃないのさ。
 それでさ、もしかしたら、って思って調べてみると、ちがうんだよね。「バカ」は元は梵語で「愚」の意味。僧侶の隠語として使われていたものだという。だから「莫迦」が正しい。意味はまず「知能の働きがにぶいこと。また、そのさま。そのような人をもいう」であり、もうひとつの意味は「道理・常識からはずれていること」となる。かなり幅の広い語だから、単純に障害者差別の言葉だとは言えないわね。
 「チョン」はね、それこそ元の意味は朝鮮とは全く関係なく、朝鮮に対する蔑視の始まる近代以前からあった俗語で、「一人前以下であること」を指すのよ。『西洋道中膝栗毛』に「ばかだの、ちょんだの、野呂間だのと」と書かれているそうで、もとより他人を貶める言葉ではあるけれど誹謗中傷の言葉をなくすわけにはいかないよね。だってそしたら日本語で喧嘩ひとつできなくなってしまうものね。(以上、『大辞林』を参照)
 いずれにしても差別より先に存在した言葉であって、あとから登場した特定の差別行為とくっつく言葉だと勝手に誰かが言い出して流布したもののようなのね。それって逆に差別の拡散じゃないのかなあ。
 そんなところに小林健治『差別語不快語』(にんげん出版 一六〇〇円+税)を見つけた。小林氏は解放同盟中央本部で差別表現事件に取り組んできた人で、にんげん出版の代表なのね。で、これはウェブ連動式管理職検定02と位置づけられ、その企画・制作は人材育成技術研究所(代表辛淑玉)なのね。ちなみに01は香山リカの「メンタルヘルス」、03が「パワハラ・セクハラ」、04が「職場復帰支援」、05が「クレームコミュニケーション」、06が「人事とコンプライアンス」、07が「企業とCSR」というラインアップになっている。まあ、これからの管理職は人権問題に精通していなければならないということなんだろうかな。
 にしても、対策としての差別語みたいなのって、抵抗があるなあ、と思わないわけでもない。
 そんなふうに考えていたところでこの本みっけ。上原善広『私家版 差別語辞典』だ。こちらの問題意識は対策じゃあなくって、差別の本質に迫ろうというところにある。差別行為はどこかに人間の業(ごう)のようなところがあるんじゃないかな。だって、容姿で差別的な意識を持っていたからあたしはあのイケメンと一緒になったんだしね。だからさ、厳密に言えばあらゆる差別をなくしちゃったら人生はおもしろくないっしょ。
 とは言え、色恋は差別だ、って言えば異論はあるでしょうね。でも美人は得だしぃ。得だってことは差別があるってことじゃないのかな、なんてひがんだ言い方をしちゃえば、差別とは何かについても考え直さなくちゃならないときなのかもしれない。差別用語だってはじめから差別のためにあったわけじゃない。その差別用語の歴史みたいなものにまで迫ることができれば、差別語や差別表現という意味も変わってくるんじゃないかな。
 差別表現に対する糾弾がある種の差別語についての警告を広めたのだけれども、それが機械的な言葉狩りに堕してしまったわけでしょ。それをこの上原さん、正面からぶつかろうとしているのね。と言うより、上原さん自身、被差別部落の出身で、それを中上健次の言った「路地」という表現から語りはじめる。「路地」が正解なのではない。それは彼の好む表現であって、向き合うべきは……そ、あたしなのだ。
 で、さ。上原さんをめっちゃ気に入ったのでこそこそ探していたらね、上原善広『被差別の食卓』(新潮新書 六八〇円+税)をみっけ。「はじめに」にはさ、「『これが日本のソウルフードだ』という口上が店内に掲げられているモツ鍋屋が福岡にあることを知った。その口上の横には『解放の父』と呼ばれた福岡出身の活動家松本治一郎の写真が額に入れて並んでいた」ってあるのを見て、思わず叫んじゃった。あたいらがよく行くあの店じゃないのさ。あああ、モツ鍋が食べたくなったなあ……
 それで上原さんの取材の姿勢がすごい。世界中の被差別民のソウルフードを求めて体当たりで喰いまくるんだね。旨そうなものから、遠慮しときたいものまでいろいろあるけど、食を通じて差別というものとガッツリ向き合う意味で、これはお買い得の一冊だね。

☆☆☆☆ これが差別であれは差別じゃないなんてものはたぶんない。敢えて差別と向き合い、ナマの人間関係を作り上げていくことがだいじなんだと思う。その意味で上原善広に注目!ってとこかな。

春吉のふか川旨しもつ鍋のたましい煮込み自由を語る  休呆
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2009年10月01日

村上龍([絵]はまのゆか)『13歳のハローワーク』幻冬社 二六〇〇円+税

 中学生に職場体験学習をさせるのがけっこう流行っているみたいね。よく近所のうどん屋なんかに中学生がボーっと立ってるやつね。あれって進路指導のひとつなんだろうか。そんなことせんでもアルバイトをフリーにしてやればいいのにさって思うのはアタシだけだろうか。
 そもそも進路指導って『学習指導要領』で、各学校の「創意工夫を生かし、全体として、調和のとれた具体的な指導計画を作成するもの」という中で「配慮するもの」として「生徒が自らの生き方を考え主体的に進路を選択することができるよう、学校の教育活動全体を通じ、計画的、組織的な進路指導を行うこと」とされているところに基づいて行われている。
 そう考えてみれば中学校って義務教育の最終段階だから「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」(教育基本法第一条)という日本の教育の目的を果たすために行われるもんだ。つまり、「健康な国民」となる権利を保障するものとして進路指導は行われるべきなのだな。
 ところが、学校を出て、学校に勤めて、学校しか知らない学校の先生が学校以外の職業なんて知らないだろうし、学校を出て学校に勤めるというもっとも安直な進路選択をしてしまった人間にそんな深遠な進路指導なんてできるもんかいねぇ。まぁ、アタシには無理だね。それになまじ「同和」教育なんてかかわっちゃうと「職業に貴賤なし」なんて言っちゃって、子どもたちの向上心を抑え、「どんな仕事も世の中の役に立っているんだよ」なんて適当に子どもたちを社会の底辺層に配置して、「それでよかった、満足して生きなさい」なんて、まるで新自由主義的な昨今の階層化政策に荷担したりしちゃうんだからしょうもないよね。
 そういうアタシに、もとい諸君に恰好のネタ本がこれだ。職業を選択するっていうのはどういう生き方をするかっていうことだと思うよね。本書は「子どもは誰でも好奇心を持っています」(はじめに)というところから出発している。そして大人が好奇心を持って生きることの楽しさを子どもに示すことがだいじなんだって言っている。その「好奇心」から目指す職業に到達するように作ったのが本書だというわけだ。そんなわけで本書には全部で514種の職業が好奇心を切り口に紹介されている。しかも四五五頁で二六〇〇円、しかも上質紙でずっすりと重いのでお買い得だ。
 こりゃあ便利だ、なんてスケベ根性出さないでよ。教師っていうのはすぐに「こういう仕事がいいよ」なんて指導したがる。そうじゃなくって何に向いているか、なんて本人にしかわからないのだ。しかも「多くの親や教師が、どう生きればいいのか知らない」(はじめに)と指摘されているんだ。だからこの本は教師が読むんじゃなくて生徒に読ませるものみたいだね。目次に示された「好奇心」は「自然と科学」、「アートと表現」、「スポーツと遊び」、「旅と外国」、「生活と社会」にわけられている。また、Special Chapterとして「サービスや物を売る」、「日本の伝統工芸」、「職業としての自衛官」の章が立てられ、それでも好奇心と出会わない子のために「何も好きなことがないとがっかりした子のための特別編」まで準備されている。
 読んでいくと、ちょっと待て!と言いたくなるようなお仕事、たとえばパチプロとかストリッパーなんかもある。但し、それらの仕事に伴うリスクやメシの喰え方についても説明がある。いろんな仕事についていろんなことが書いてあるので片端から読んでいくだけでも楽しい。おお、こんな仕事もあるのか、とかいう具合に目を開かされる場合もある。まあ、ヤクザとか、革命家とかテロリストなんていうのがないのが残念である(!)。もちろん泥棒もない。但し、自衛官については特別に一章を設けて説明を加えている。今やモーニング娘が「戦争に行こうよ!」じゃなかった「GO GO PEACE!」とかいって勧誘しているけれど、そのための基礎知識についてはたっぷり書いてある。それは自衛官が特殊な職種であるということを村上龍は意識しているからだろう。だからといって「自衛隊に行くな!」とも「自衛隊に入ろう!」とも書いていないよ。それは向き不向きなのさ。それともセンセの教え方かな。

 ホームレス横たはりたる駅裏に自衛官募集の看板があり  休呆

 また、「何も好きなことがないとがっかりした子のための特別編」という章が設けられているが、もしかするとこの章に該当する子が一番多いのかもしれない。多くの子どもが生き方に迷ってなるように進学し、人生のどっかで後悔しているのだろう。ほら教員の中にだって不向きなところに来てしまって後悔しているのがいるじゃないか。そういう子どもたちや教師(?)のためにもいろいろアドバイスが書かれている。
 そして最後に「明日のための予習」として現実的な進路指導のためのエッセイが記されている。雇用形態の変化から将来の可能性の高い職種についての解説まで書いてあって、これは教師も役に立つよ。ここだけ切り取れば進路指導の授業が何回かできるね。
 でもなんたってこの本の魅力は随所に書かれた村上龍のエッセイだ。いろんな仕事についての彼のエッセイは読んでいてあきない。読んでいるうちに職場体験学習の狭量さを思い知ることになる。下手な進路指導をするよりもポケットマネーでこの本を買って教室の片隅に置いておくのがいいと思うよ。
 

★★★★ 村上龍に言わせれば人間には二種類の人間がいるんだって。「自分の好きな仕事、自分に向いている仕事で生活の糧を得ている人と、そうではない人」なんだって。ほら胸が痛いでしょ。


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山田真美『死との対話』スパイス 一五〇〇円+税

 「同和」教育が人権教育なんて方向に間口を広げていくと、「いのちの大切さ」なんて取り上げるよね。で、「いのち」について語れる人間ってどれくらいいるんでしょ。もともとわれわれ教師なんてのは俗人の凡人でさぁ(心理屋さんには言われたくはないけど)、未来しかない子どもたちに「いのちの大切さ」なんて説くことができるんだろうか(いや、説けるわけがない-反語的表現)。結局「いのちは尊いものなんですぅ…」という結論だけを押しつけちゃうんだな。じゃあ、坊さんとか、牧師さんなら説明できるかっていうと学校は宗教教育を行う場所ではないからそれも無理だしぃ。
 まじめに『かがやき』とか『ぬくもり』とかを開いて「いのち」の教材をひもといてみても子どもとの間に温度差があるのはぬぐえないのよね。なにしろ奴らは毎日プレステか何かで何度も死んだり生き返ったりしてんだから。結局、「いのち」の尊さがわかるのは自分が死と向き合って始めてわかるんじゃないかしら。別にワタシが死にかけているわけじゃあないからまだわかんないけど、若い時なんて死の実感なんてなかったもんね。
 「死と向き合う」…わかったようでわかんないことですよ。ま、いちばんわかりやすいのは死者と直に出会うときでしょう。そうは言っても死者なんてそんなにその辺にはいないものでっす。自分の親しい人が亡くなったときにわかるかと思えば、そんなに機会は多くないでしょ。なにしろ平均寿命は長くなっているし、死は一人一回しかないしね。ところが、本書の著者である山田真美さんはまじに死者=死体と出会っちゃうのね。どうしてかっちゅうと、六年間インドで生活してた人なんだけど、インドでは苦もなく死体と出会えちゃうらしいのね。街角でも、病院でも、畑でも…。日本では街角で死体と出会うなんてよほど大事件に巻き込まれないとないことだし、人が死ぬ病院でだって死体と会うことはまずないんじゃない。ところがインドじゃ死体とは日常的に出会っちゃうわけで、そこから死に対する見方っちゅうか、死生観みたいなものが日本とちがってくるんだって。てゆーかぁ、日本のように死を隠したりしないできちんと死と向き合えるんだね。それが実に雑でさぁ、街角でさりげなく人生を終えた人の上を平気で通勤の人波が通り過ぎるとか、病院の待合室で死んだ子どもなんていうのを、診察のついでに見てしまうとか、そんな具合に死体とひんぱんに出会っちゃうと、死について日本にいるのとはちがう見方を持ってしまうのはあたりまえだよね。例えば日本では葬式のために何百万円もかけるけど、インドでは五〇〇〇円くらいで済むらしいし(死体を焼く薪代の実費らしいけど)、墓も戒名も坊さんに払う手間賃(おっと、日本ではお布施というらしいが)もいらないみたいなんだ。考えてみれば立派な葬式なんて、のこった人間の自己満足みたいなもんだよね。だって死んだ人間には関係のない話だもん。
 本書では死者=死体と出会うことから始まって、インドでのいろんな体験を踏まえて著者の死との対話が記されている。と言ってもこの本は「死についての哲学的考察」みたいなものじゃなくて、あくまで著者の死についてのルポなんだと考えればいい。死を日常から隠し、生き残った人間の都合で葬儀をビジネス化している日本のしきたりとちがって、生身の人間の、ただそれだけの死がそこにある。そうやって死と対話することが、ゲームで体験する死とか、教室でわかってない人にわからないまま教え込まれる死なんかじゃなく、ほんものの自分の死や、家族の死や、仲間の死を語ることになるんだろうね。どうせ一回迎える死なんだから人生の一コマに過ぎないとも言えるし、だからすごく大切だとも言える、そんなところから死について考えてみるとそのうちやってくる自分の死が楽しみになるかもよ。
 おおっ、忘れてた。特別サービスで著者とダライ・ラマとの死についての対談も載っている。こいつはお得だ。


★★★★ 人権読本とかで「いのちの大切さ」をやる前におのれの死生観をみがいておくことは教師としての責任じゃん。


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狩野俊猷『坊主午睡』円通院発行 二〇〇〇年六月刊 一五〇〇円(税込)

 今年の夏は格別暑かったけれど、此の日は特に暑い日だった。私はゆっくりゆっくり蝉の声を確かめるようにして長い坂道を登り円通院の門をくぐった。狩野俊猷さんのお葬式だった。故人の遺志だということで簡素な式だった。そしてこの本を手にしたとき、狩野さんがどうしてこういうお葬式にしようとしたのか解ったような気がした。
 本書は「おしょうさんのひるね」と読む。狩野さん自身が書いた「あとがき」は二〇〇一年四月の日付になっている。だからこの本は狩野俊猷さんの遺書みたいなものなのだろう。本書の大部分は若州一滴文庫の会報『一滴』に連載した「坊主午睡」という一連の文章であり、これに書き下ろしなどを加えて一冊にしたものだ。作家の水上勉さんが描いた椿の竹紙画が一枚扉に貼られている。渡辺淳さんの挿し絵も素敵だ。丁寧な、そしていろんな人の手が掛かった本になっていて、病床にあった狩野さんのまわりにいっぱい友情の糸が繋がっていたことを彷彿とさせる、そんなつくりの本である。生前の狩野さんの人柄が偲ばれてくる。
 本書中唯一の書き下ろしである「お浄土への道が分からず立ち往生」という文章は「和尚さんの『坊主午睡』を読んでいると、死ぬ事ばかり書いてあって嫌ですね。」と問い詰められるところから始まる。この書き出しが示しているように本書には死の影がチラチラちらついている。まるで自らの死を予感しているかのように始まる最初の文章は「此の世の出入口に雪が降る」だ。「大きな柿の木の下に」ではチャボの雄鶏ピーの死の瞬間が淡々と描かれ、ピーの「いのち」の思い出が語られる。決して情に流されず、静かにピーの死を見つめている冷たいくらい感傷的表現を抑えた狩野さんの文章は「いのち」というものの神秘を体感させてくれる。いのちあるものはいつか死を迎える。そのことを狩野さんはそのまま受けとめ、私たちに伝えてくれているのだ。
 「木の葉 落ちて 枯れぬ間の」では自分の葬式のことをあれこれ考えている。まるでほんとうに死の直前にすべてを悟って書いたかのように自分の葬式の段取りを想い描いているのだ。だがこの時亡くなったのはお母様であった。校正刷りの段階でお母様の死のことが書き加えられた。「一日でしぼむ芙蓉の花が」は予期しない突然の死を迎えた人の話を日常の生活の風景として描いている。死の重さより日常の死、あたりまえのこととして誰もが体験する死のことが奇妙に優しいユーモアのある文体で述べられていく。そんなふうに死が描かれているのを確かに嫌がった人もいたのであろう。しかし、死というのは生と裏表の関係である。生がなければ死はない。死があるという事は其処に確かに生きた痕跡があるという事なのだ。
 生きるということは「いのち」を伝えること。それは人間であろうと、動物であろうと、植物であろうと変わらない。「遠くから来たヒメジョオン」は主役がヒメジョオンの花だ。「いのち」には植物も動物も人間もない。「いのち」は「いのち」なのだ。そうした達観は仏門にある狩野さんだから到達できた境地なのかもしれない。
 人権教育の中で「いのち」を主題にすることがよくある。その際に「いのち」の大切さを深刻なほどの重みを加えて教えることは多い。ところが狩野さんの文章にはそんな仰々しさはない。おそらくは円通院の周辺の豊かな自然の中で出会うさりげない「いのち」との出会いのなかで「いのち」の連鎖と自然の偉大さが語られている。「動くものにミズヒキの赤点々が」や「冬の山寺ウバユリ神楽」は植物を通して「いのち」の連鎖をユーモラスに描いている。ちょこっと狩野さん自身が連鎖のお手伝いをするのが何ともほほえましい。時には子連れのイノシシと出会ってしまったようにさりげなくはない出会いもあるけれど(「イノシシの子どもの糞に」)、狩野さんの「いのち」へのまなざしは此の本を一貫して流れているのである。
 子どものころ病弱だったという狩野さんは「いのち」に囲まれ、「いのち」と向き合いながら、「いのち」へのまなざしを育ててきたのだろう。「山羊の毛のなかを光と陰が」にはそんな狩野さんの原点がかいま見られる。私には死と「いのち」を見つめる狩野さんのまなざしが宗教者としてのみならず自然の観察者、社会の生活者としての生き方の中で培われてきたのだと思える。それは自然の秩序を壊そうとするものに対する怒りである。人間が桜の花を愛でるために改良を加えて子を産めぬからだにした染井吉野への屈折した思い(「ダルマストーブに火を入れて」)、コンニャクづくりの手間の中で見出した人間のばらまいている毒のこと(「寺の灰にも気になるものが」)などが語られていく。
 読み終えるとまた読み返してみたくなる魔力が本書にはある。ぐいぐいと引きつけられていく文章の巧みさはまさに名文なのだが、それは小手先の技巧ではなく、狩野さんの「いのち」を見つめるまなざしに促されたものであろう。読み返すたびに心が洗われていく。もう一度、元気な狩野さんと語る時間がほしかった。
合掌


posted by ウィンズ at 14:28| 福岡 ☁| Comment(0) | 人権問題 | 更新情報をチェックする