2017年05月10日

南野森+内山奈月『憲法主義』PHP研究所 一二〇〇円+税

南野森+内山奈月『憲法主義』PHP研究所 一二〇〇円+税

 お堅い名前の本だけど、憲法が変わるかもしれない今日この頃、日本国憲法とはどういうものかという知識ぐらいは知っておきたいものよね。おそらく憲法改正に賛成する人も反対する人も、議論の前に〈憲法とは何か〉というキホンは知っておいた方がいいと思うわ。九条がどうこういうのが憲法問題じゃなくて、もっと深刻な問題が起きるような気がしてしかたないのね、あたしは。
 にしてもよ、南野センセイって九大の憲法学のセンセイでしょ。あたしは知っている。けっこうイケメンのセンセイよね。えっ!ちがうの?あれは、あっそうよ、この人(いま慌てて本をめくってご尊顔を確認)でまちがいないわ。いつもはネクタイなんかしてないからちょっと別人に見えるけど、ほら、イケメンじゃない。
 でもね、共著になっている内山奈月ってのはあたし知らない。で、誰かと思ったら、なんとAKB48のメンバーなんだって。へぇぇぇ、だね。あんなチャラチャラしたアキバ系のタレントなんて関心ないからね、あたしは。なにしろ教育一筋のカタブツなんだから。
 にしてもよ、なんでAKBのタレントが憲法なのかしら。って、ぱらぱらページをめくると、あらら…この娘日本国憲法をそらんじて言えるんだって。まあ、若いんだから、暗記くらいできるわよね。昔、インスタント・ラーメンの名前を全部言える芸人がいたけど、あんなもんかしらね。
 という偏見でもって、読み始めましょうか。この本は南野センセイが内田奈月ちゃんに講義をするという形で書かれているのね。まずは目次を見ましょう。「第1講 憲法とは何か?」、そうね、順当なところね。憲法ってどういうものだか、実は知らない人がけっこういるのよ。いちばん大切な法律だとか。法律の親玉だとかいう程度の理解しかしてない人って多いからね。そして「第2講 人権と立憲主義」、そうそう人権は憲法で決めてあるんだったわ。れれれ、「第3講 国民主権と選挙」、そうよ、これが近頃の若者にはわかってないのよね。それで「第4講 内閣と違憲審査制」、うーん、違憲判決とかいうやつね。そして最後が「第5講 憲法の変化と未来」か、9条とか集団的自衛権なんかが書いてあるのね。
 うん、読んでみるとすごくわかりやすい。この講義をしたときは内山奈月さんはまだ高校生なんだ。その高校生に大学の憲法のセンセイが講義するんだけど、この内山さん、高校生とはいえ賢い。南野センセイの質問にきっちり答えているし、それも的確ぅ!あたし見直したわ。そして南野センセイの講義もわかりやすい。て言うか、講義というより授業してんのね。二人で対話しながら憲法について理解を深めていく感じ。なんか一緒にあたしも授業に参加しているみたいで楽しいし、けっこう質の高い憲法の知識がすっと頭に入ってくるわ。これって南野センセイのワザもあるけど、奈月さんの受け答えがいいから、授業が成立するのね。彼女賢い!好きになっちゃった。
 それと講義のあとの奈月さんのレポートっていうの?あれがよくできていてこっちも勉強になるわ。あっという間に読んじゃったけど、憲法についてはしっかり勉強した感じ。ていうか大学で学ぶ程度の憲法学の素養は身についたって気がする。絶対にお薦めね。

☆☆☆☆ これって大学生はもちろん、中学生や高校生の教材にもいいかもしれない。それより、教員自身がきっちりこの本で勉強して、憲法について学ばなくっちゃ。だって人権の基本なんだものね。


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2015年09月06日

穂花『籠』主婦の友社 一二〇〇円+税/神戸幸夫『転落 ホームレス100人の証言』アストラ 一四二九円+税

 著者の名は穂花、〈ほのか〉と読むみたいなのね。元AV女優なんだって。AVっていうのはもちろんアダルト・ビデオのこと。詳しい人ならこの人のことも知っているのかしら。この本は一人の女がAV女優になり、そして自分を取り戻していくまでの自伝と言っていいかな。読んでて、なんて運の悪い人なんだろうって思ってしまう。だけどその運の悪さはきっと本人のせいだけじゃない。子どもの頃にDVを受けたり、家庭が崩壊したり、看護師になろうとしたら莫大な借金を背負ってしまったり、そんな不運はみんな彼女の周辺から湧いてきて彼女をどんどん追い込んでいったのね。
 タイトルの『籠』って、鳥籠のことなんだって。この本を書くまでの彼女は鳥籠の中にいた。それも閉じ込められていたわけじゃなくって籠の入口は開いていたし、飛ぶ翼も持っていたにもかかわらず、ね。そのことにようやく気づいたんだって。それが遅すぎたと思わないわけではない。でも、気づくことができてよかったって、マジ思っちゃった。
 今の子どもたちってもしかしたら穂花と同じように自分が籠の中に閉じ込められていると思い込んでいるのかもしれない。それが不幸の出発点だということに気づかずにね。たまたま穂花はAV女優になってしまったけれど同じような生き方をしている子はいくらもいるんだと思う。
 で、さ。もっとAV女優がAV女優になっていったわけを知りたくて、中村淳彦『名前のない女たち 最終章』宝島社 一三〇〇円+税 をひもといてみた。これは著者がAV女優に取材して、いやAVメーカーの経営までして、AV女優たちの生き様を集めたものなのね。副題に「セックスと自殺のあいだで」とあるくらいで、どんどん人生を捨てていってしまう女たちの生きてきた軌跡と今の生活が描かれているのよ。AV女優という生き方をしなくてもよかったのだと思うのだけれども、そこへ堕ちてきてしまった彼女たちの下手くそな生き方がガッツリ書かれていて、読んでいるうちに辛くて涙が出てきてしまった。もっとも、あたいのそんな偽善的な同情心で彩られた涙なんかをみたって何の救いにもならないかもしれないけどね。
 確かにさ、この本に出てくる女の子たちも穂花と同じ籠の中から飛び出しそびれたのばかりなのね。著者の中村淳彦はあたいみたいに中途半端な同情心なんか見せない。彼自身も彼女たちと向き合って壮絶なたたかいをしていたのね。そして精神的に病んでいった女優や本当に自殺してしまった女優を見詰め続けてきた彼自身も重い仕事だったみたい。
 で、さ。神戸幸夫『転落 ホームレス100人の証言』アストラ 一四二九円+税 を開いてみたの。こちらは文字通りホームレスの人たちがどうしてそうなっちゃったかを取材したもの。中村淳彦のように取材対象の人生に深く入り込むことはしない。むしろサラリとそれぞれのホームレスの人たちの語りを採録している本なの。でも、サラリと書いていても、転落の人生が100も集まるとそれはすごい存在感があるんだわ。そして、感じたの。他人事じゃないって。この人たちと自分と何にも変わらなくって。ちょっとした手違いでホームレスになってしまう。日本はそういう社会なんだってことがよくわかるの。そしてすっごく怖くなってしまう。
 だってね、東大を出てホームレスになっていった人や、ふつうに六十歳くらいまで働いてホームレスになっちゃった人や、家まで建てたことのある人なんかがちょっとした運命の悪戯でホームレスになっちゃうのよ。まちがいなく他人事じゃないんだから。
 話を戻すとね、穂花は巻末に「母へ」と題した文章を載せているのね。その中に「私は何ひとつ難しいことなんて求めてはいない。ただ抱きしめてほしかった。あなたのぬくもりを一度でもいいから感じたかった」って書いていてね、中村淳彦は「この九年間で様々なトラウマや絶望、そして少しの希望を眺めてきて、ときに泣き、ときに笑ったりしたが、結論的にボクが彼女たちになにかをしてあげられることはなにもなかった。ゼロ、皆無である」と「あとがき」に記している。転落したホームレスの人々もほとんどが親しくあるべき人との愛が壊れてしまったようなのね。愛って人権の基本だってことの意味がよおくわかった気がした。


☆☆☆☆ こんなの立て続けに読んだらすっかり落ち込んでしまった。でもね、人間が人間らしく生きて行くには愛情が大切なのよね。それって人権・同和教育の基本だと思うのだけど、そのことがみんなわかっているのかなあ。そんなことをわかるためにもここに挙げた本はぜったい読んでおくべきよ。
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城内康伸『猛牛(ファンソ)と呼ばれた男 「東声会」町井久之の戦後史』新潮社  一六〇〇円+税


 いろいろあって、気分が塞いでいた。こんなときはビデオでも見るにかぎる。そしてそんなときは人権問題関係者らしく心温まる情愛に満ちた感動的ドラマなんかを無理して見たってだめだ。ますます気持ちが塞いでくるにちがいない。派手にドンパチやらかす派手なアクションものがいい。人が何人死のうが所詮映画の中だけの話、それで気分が晴れればいいではないか。そこで「命の大切さ」なんて言ったところで、そのほうがよっぽど偽善者になってしまう。こんなこと書いたら実直な人権擁護派の方から顰蹙を買ってしまうかもしれないが、気分転換のためだ。ええカッコなんかしてられない。
 で、見たくなったのがヤクザ映画だ。だいたいヤクザ映画全盛の頃にあらかた見ているから、だいたいが二度目、三度目になるんだけど、それでもいいのだ。もっとも、俺が若い頃は健さん、もとい高倉健の網走番外地シリーズや昭和残侠伝シリーズ、藤純子(現在の富司純子)の緋牡丹博徒シリーズなんかはことごとく見たなあ。そう言えば「網走番外地」はヤクザアクションとしてシリーズ化されたが、第一作は勧善懲悪的(ヤクザが善とは思えないが、見ている方はそんな気がしたものだ)切った貼ったではなくて、しんみりくる母物ドラマでもあった。
 しかし、ビデオ屋に行って眼に入ったのが「仁義なき戦い」シリーズだ。このシリーズはすでに見ているが、また見たくなった。というより友人が「僕は全巻持っている!」と豪語していたのを思い出してわさっとカゴに入れてしまった。そうしたらその並びに「実録東声会」というのがあった。「初代 町井久之 暗黒の首領」とサブタイトルがついている。そうだ、町井久之は在日韓国人だったはずだ。で、「完結篇」と合わせて二巻、カゴに追加する。レジに持っていくとこれだけ借りても三五〇円。一週間たっぷり楽しめるのだ。
 「仁義なき戦い」、「実録 東声会」、いずれも日本の戦後のヤクザ組織を描いたものだ。それは戦後史の裏面と言うより、戦後史そのものであったのかもしれん。一般にヤクザと言うが、日本の伝統的ヤクザは博(ばく)徒(と)と的(てき)屋(や)に由来するものがその主流である。博徒は文字通り博打打ちであり、ギャンブルを生業とする人たちである。的屋は香具師(やし)ともいい、神農道を信奉するという。寅さんもその意味ではヤクザな稼業の人間なのである。一方で、戦後の混乱の中で暴力を前面に出して台頭してきたのがいわゆる愚連隊という勢力であった。この中に戦後の日本社会において被差別的な立場におかれていた在日韓国・朝鮮人の中にも愚連隊組織を作るものが出てきた。関西では柳川次郎こと梁元錫率いる柳川組が有名であるが、関東では町井久之(鄭建永)の東声会ではなかったか。
 「実録 東声会」の中で小沢仁志扮する町井久之が言う。
「いいか、東洋の声に耳を傾けるのだ。われわれは東声会だ。われわれは日本と対抗しているわけじゃない。理不尽な差別に対抗してるだけだ」
 そうなのだ。反差別の闘いだと町井は言おうとしていた。というところで思い出したのがこの本だ。ビデオを停めて、書棚の奥を探した。出て来たのがこの本だ。表紙には映画とはちがって額の広い、しかし、映画同様にダンディで強面の男の写真が載っている。ぱらぱらとページをめくると、「実録 東声会」では描ききれていない町井と戦後史が、というよりもう一つの戦後史が底には描かれているではないか。俺はビデオを一時停止したまま、『猛牛(ファンソ)と呼ばれた男』を読み耽った。
 戦後、日本に残った朝鮮人は在日本朝鮮人連盟(朝連)を結成したが、この組織が共産主義化していくと、これに反発した人たちが朝鮮建国促進青年同盟(建青)を組織した。そうした民族団体の分裂、対立抗争の中で、暴力を背景に台頭したのが町井だった。しかし、町井が求めたのは暴力団としての権勢を拡張することではなかった。彼にとっては日韓の架け橋となることであり、東声会はヤクザ組織ではなく思想団体であるというのが彼の言い分であった。実際、山口三代目田岡一雄と兄弟の盃を交わしている。一方で思想的には児玉誉士夫を信奉し、同胞でもある力道山を支援し、まさしく日韓の橋渡しとなる釜関フェリーを創設しているのだ。
 戦後という時代であるがゆえに避けられなかった生き方であったのかもしれないが、町井久之こと鄭建永の在日韓国人としての波瀾万丈の人生が描かれている。被差別を生きるということの重たさがそこにある。
 ちなみに「仁義なき戦い」は美能組組長美能幸三(映画では菅原文太が演じていた)の手記を元に飯干晃一が小説化した『仁義なき戦い(死闘篇)』、『仁義なき戦い(決戦篇)』(角川文庫)もおもしろかったが、これは絶版なのかな。電子書籍だと四二〇円+税で読める。まあ、俺は持ってるんだがね。

☆☆☆☆ 在日韓国・朝鮮人に対してヘイトスピーチを投げつけている似而非右翼擬きよ、弱い者いじめなんかしてんじゃねぇよ。相手をまちがってねぇか。
posted by ウィンズ at 23:08| 福岡 ☁| Comment(0) | 人権問題 | 更新情報をチェックする

2013年09月03日

宮崎学+小林健治『橋下徹現象と部落差別』にんげん出版(モナド新書)九四〇円+税

 二〇一二年は、けっこう政治の嵐が吹きまくったな。年末に行われた総選挙は、自民党のこれまた歴史的な圧勝という結果になったけどよ、こんなに一つの政党が議席を占有しちゃうなんてのは、民主主義国家としてはちょっとまずいんじゃないかって気がするんだな。だけどよ、その投票率が過去最低だっていうのには、唖然茫然飯三膳。開いた口がふさがらなかったぜ。
 ところがよ、その三週間前に行われた大阪市長選挙は、府知事選挙とのダブル選挙でもあったが、前回選挙より一七・三一ポイント上昇した投票率で、これは四〇年ぶりの高投票率だったらしいぜ。このちがいっていったい何なんだ、って感じだな。
 それは、維新の会のブームということもあるけど、同時に行われた府知事選が前回比三ポイント程度の上昇だったのに比べれば、維新の会の人気より橋下徹個人の人気が強かったってことだろうな。
 そういう時期に、『週刊朝日』一〇月二六日号に橋下徹を攻撃する記事が載ったのを覚えているかい。それは、超大物のノンフィクション作家、佐野眞一の名で書かれた「ハシシタ 奴の本性」という記事だった。さらに表紙には、「ハシシタ 救世主か 衆愚の王か」「橋下徹のDNAをさかのぼり本性をあぶり出す」というキャッチコピーがあったそうな。そうかもしれねえ。ともかく俺は、その日散歩がてらに書店に立ち寄ってみた。そしたら『週刊朝日』は売り切れだった。なるほど橋下ネタが売れるのか、このえぐいキャッチが受けたのか、とりあえずすげえ売れ行きだったな。
 実は、前年の大阪市長府知事ダブル選挙の時にも、『新潮45』『週刊新潮』『週刊文春』の三誌が似たようなネガティブキャンペーンをはったことがある。いずれの場合も、橋下徹と被差別部落をからめて誹謗しようとする記事だ。殊に今回の『週刊朝日』は、ひどかったな。とにかく、これ以上はありえない罵詈雑言に近い汚い言葉で書かれた文は、「記事」という水準のものではない。まるで喧嘩の実況放送みたいな感じだ。
 「この男は裏に回るとどんな陰惨なことでもやるに違いない」、「やはりこの男はそんなおべんちゃらと薄汚い遊泳術で生きてきたのか、と妙に得心がいった」、「こういう下品な連中は、私から言わせれば“人間のクズ”という」といった、特に論証もなく橋下徹をののしっている文が続く。とりあえず公人を批判するのに、相当の悪態をつくことがないわけではないが、「奴の~」という言い方はふつうしないだろう。そうそう、その時は買いそびれたけど、ちゃんと原文は入手しているんだ。だけど、この文章は本当に佐野眞一なんだろうかね。彼の代表作『東電OL殺人事件』の文体とはまったくその落ち着きがちがうような気がする。まあ、週刊誌の記事のでき方をどうのこうの詮索するつもりはないが、名前を出しているんだから、佐野眞一に執筆責任はあるんだろう。
 そういう事情で発刊されたこの『週刊朝日』だが、橋下徹が猛然と反駁(はんばく)して、ついに連載はその一回限りでおしまいとなり、『週刊朝日』側が謝罪して落着した。しかし、問題が終わったわけではない。この背景には、橋下徹の率いる維新の会が初の国政選挙を迎えようとしている矢先に起きた。もちろん偶然ではなく、恣意的であることは明らかだろう。なにしろ、先端の社会状況を追いかけている週刊誌なのだからな。
 解放運動や「民主的」な政治姿勢の人たちから見れば、橋下徹は大阪人権博物館への補助金を打ち切った張本人であり、その右翼っぽい政策や強引なリーダーシップは、敵対そのものであろう。それゆえに、そうした人たちからずいぶんと嫌われている人物でもあるんだな。
 この本の著者である宮崎学・小林健治の二人も、橋下嫌いなのだという。橋下徹という政治家とその思想は嫌いだけど、それと差別とはちがう問題だ、というのがこの二人がこの本を作った理由だ。一〇月に『週刊朝日』が出て、この本の発行が一二月二五日というのは、まさに緊急出版である。もちろん丁寧に文章を書いたのではなく、この二人の対談を文章化したものである。だけど、じゃない。だからこそ、この二人の生の部落差別に対する立場が明確に出ている。
 橋下徹は「コスプレ不倫」で世間の顰蹙(ひんしゆく)を買ったが、その時の彼は反論も弁明もしなかった。それは彼自身の隠されたプライバシーであり、一般人であるならば私的な趣味までメディアに晒される必要はない。だが、彼はそれを受けとめた。それは、彼が公人であることの意味を知っていたからである。しかし、今回の彼はちがった。敢然と一人でメディアに立ち向かったのである。
 なぜか。『週刊朝日』の記事は「いちばん問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である」と橋下徹の人格を問題にしようというのである。今までいろいろと政治家の批判を聞いてきたが、人格を問題にしようというのは初めてだぜ。そして、「そのためには橋下徹の両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べあげなければならない」というやり方をしようというのだ。それが、橋下徹の「DNAをさかのぼり」という言い方になる。これは橋下徹の批判ではなく、橋下徹自身には責任のない血脈の問題であり、それが部落問題にかかわるならば、まさしく部落差別そのものなのである。
 しかも、「それくらい調べられる覚悟がなければ、そもそも総理を目指そうとすること自体笑止千万である」と断定するのであるから、野中広務が麻生太郎から受けた差別と同根のものである。
 まずは、この二人の嫌いな橋下徹が、『週刊朝日』たちを相手に一人で差別を糾弾し、勝利したことを評価しているんだな。その一方で、宮崎学の言葉に従えば、「反橋下派左翼・市民主義知識人・文化人の多くは、ほとんどが朝日と佐野を擁護して、『豊かな教養に正比例する度しがたい鈍感さ』を示した」ということになる。
 ところで、今回の『週刊朝日』事件の前年に同じく橋下徹を雑誌が攻撃したことがあったと先に書いたが、その時に『新潮45』に書いていたのが被差別部落出身を自称する上原善広だったことも本書ではあげて追求している。上原が部落出身者であることを、『新潮45』は「弾除(たまよ)け」に使ったのだと言う。なもんで、上原のような人間の役割についてもきびしく批判している。上原については、俺は好きだ。奇しくもこの本と一緒に買った『異貌の人々』(河出書房新社/一六〇〇円+税)は世界中の被差別民をルポして歩いた作品でついつい引き込まれてしまう。世界の被差別民の実態をそれなりの明るさで描いていて、差別問題の深淵に迫るものがある。ぜひ読んでほしい。また宮崎らが本書の中で同じ被差別部落出身の角岡伸彦の『ピストルと荊冠』(講談社/一五〇〇円+税)を薦めている。これは、『週刊朝日』と佐野眞一が橋下徹誹謗のネタに使った、部落とヤクザのつながりの中に生きた中西邦彦という人物が、「飛鳥会事件」で指弾されるまでの人生を描いた作品だ。被差別部落の影の部分を描いて悪いわけではない。問題はその描く姿勢なのだ。 
★★★★

 一気に読めるし、論理も明快。しかし、強くわれわれに問題を突きつけている。つまり、こういうことだ。「労働者や左翼のなかから出てきた差別事象をどうあつかうか、という問題」(宮崎)に対する答えをこの本は読者に要求しているのだ。
〈あんたの嫌いな奴が差別されたとき、あんたはどうするんだ〉と。
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安田浩一『ネットと愛国―在特会の「闇」を追いかけて―』講談社

 近頃、ネットの世界での人権問題というのが大きな課題になってますねぇ。人権に限らないですが、猥褻なものから残虐なものまでその表現は際限なく自由になっています。それって手塚岸衛の言う「消極的自由」なんですかね。
 えっ!「なにそれ?」と言う声が聞こえましたのですけれど、説明しますとですね、その昔、千葉師範学校付属小学校に手塚岸衛というセンセがおったんですと。千葉師範ていうのは今の千葉大学教育学部のことだと思うんだけど、その人がいわゆる大正自由教育の音頭取りの一人で、モロに「自由教育」論をぶっていたわけですよ。その彼がですね、
「自由には消極的自由と積極的自由がある」
 と言ったわけですよ。
 手塚の言う「消極的自由」というのは、例えば、籠の中の鳥は行動が制限されているから不自由なのだ。それで籠をとってやったら自由になる。そういう自由なのですね。それは限りなく勝手気ままになるのでよくない。つまり、そのままほっとけば、
「空気もじゃまだ」
 とか言って、空気まで取り去ってしまうことになる。そしたら死んでしまうじゃないか。まあ、そういう自由だってことでね、この消極的自由というのはあまりお薦めできない、ということのようなんですね。
 それにたとえれば、まさにネットの世界は消極的自由の世界なのですよ、今や。2ちゃんねる、というのは知ってますよね。ネット上でいろんなことを匿名で語り合っているサイトです。年中、管理者に不適切な書き込みがあるので削除するように勧告があるらしいけど、なかなか対応はされていないって、この間の新聞に出てたわ。それで覚醒剤の売買なんかにも使われているみたいだと書いてありましたですね。それって「消極的自由」をやりすぎて空気までとっちゃった、みたいな状態だと思うのね。
 それで、インターネットと人権の問題がいろいろ取り沙汰されるけれど、なんか放置されたまんまみたい。手の施しようがないのかしらね。人権侵害についてはめちゃめちゃだもん。検索してると部落差別やら、民族差別やら書き込みしほうだいね。差別発言ってシャバではきつく禁じられているから、ネットの中では匿名だということもあって勝手気ままに発散できるのかもね。そうして多くは弱い者いじめのスタンスと愛国を強調するので、〈ネット右翼〉なんて言い方もされているようですね。
 そんな中でネット空間から飛びだしてきちゃった人たちがいる。それが〈在日特権を許さない市民の会〉なのね。略称〈在特会〉。街角に出て在日朝鮮人に対する差別語満載の暴言を叩きつけていくカタチで出没し、それを動画に撮ってインターネットに流すというやり方で会員を増やしている連中だ。そして京都朝鮮学校妨害事件とか、徳島県教組乱入事件とかを引き起こして、こちらは逮捕者も出している。そうね、徳島県教組乱入事件は学校の先生ならよく知っているかもしれませんね。
 彼らの標的は在日韓国・朝鮮人の人たち、そして被差別部落。ともかくそれなりに批判することに対してタブーがあると考えられてきた被差別者に対してそうした暗黙のタブーを破ることを目的とするかのように耳を塞ぎたくなる差別的暴言を吐き続ける。
 著者の安田浩一氏はこの在特会の動きを追いかけてきたルポ・ライターなんですね。会長の桜井誠(本名高田誠、北九州市出身)をはじめとして、在特会の活動家をずっと追いかけて彼ら、彼女らに嫌われながらもその心の底にあるものを引き出そうとしているのがこの本なのですよ。
 この在特会、っていうのは愛国を語ったりするから右翼のようにも見えるけど(ネット右翼と言われるのはだいたいこういうものみたいなのだけれど)、最初は在特会を支えようとして「大人」の右翼たちも見放すようになったという。なぜなら在特会には、
〈思想がない〉
 のだと「大人」たちは見限ったらしい。とすると、彼らの活動は何をめざしているのでしょうかね。安田氏の取材を受ける在特会のメンバーの中には当然安田氏を忌み嫌うのもいるが(例えば桜井会長)、けっこう人なつっこい若者やふだんは物静かであったり、おだやかな人物もいるようなのですよ。そしてそれぞれがそれぞれに屈折したものを持っているみたいなんですね。同じような存在はあなたの隣にいるだろうと安田氏は言う。確かにいそうな気がします。もしかしたら、現代社会はそういう人たちを生み出しているのかもしれませんね。そして学校教育が教えてきた人権だの平和だのといった教師という「左翼」「エリート」の作った教条をぶちこわしたい在特会のような世代が続出してくるのですかね。こうした流れが人権や平和に影響を与えなければいいのにと不安におののいてしまいました。
 あ、そうそう、最初に書いた手塚岸衛の自由ですけれど「積極的自由」というのは理性に従って選択する自由なのでほぼ服従と同義なんですって。今ふうに言い直せば、「将来、いい生活したいよね、それなら勉強して、いい点取って、いい大学行って、いい会社に入ろうね。」という理性的な価値観に乗っかる自由で、たぶん「いい子」であり、「エリート」であり、学校の教師(日教組)の好みそうな生き方のことなのかな。そうしたら、在特会の「闇」が人権教育や平和教育にとって他人事ではないと思えるのですけれども。


☆☆☆ そう言えば福岡で在特会同様に部落解放同盟や日教組を攻撃してきた近藤将勝氏や、福岡市内でバーを経営しているという自称革命家の外山恒一氏なども在特会について取材を受けている。近藤は彼らの「言葉が宙に浮いている」と突き放し、外山は彼らを「うまくいかない人たち」と評した。
posted by ウィンズ at 19:16| 福岡 ☔| Comment(0) | 人権問題 | 更新情報をチェックする