2017年05月10日

田中辰雄・山口真一『ネット炎上の研究』勁草書房 二二〇〇円+税



 SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)が急速に普及して、今やFacebookだとか、mixiだとか、Twitterなどに参加してネット・コミュニケーションを楽しんでいる人は半端なく多いはずだ。あのトランプ大統領も記者会見よりもTwitterで発言することを重視しているみたいだし、もはやSNSなしの生活は考えられなくなっているのかもしれない。意外と学校の教員はやっていないのかな。確かに教員が何か書こうとすれば、子どもたちや学校の愚痴になりかねないので、手を出しにくいのかもしれない。
 一方で、ホームページやブログを通じて自分の意見を世間に公表したり、そうした発信メディアを持たない企業、団体は信用を獲得できない時代になったと言える。
 そうしたインターネットを通じて意見を表明するわけだから、異論をもった人たちから批判的な書き込みも多々あるのは当然のことだろう。さまざまな意見のやりとりは民主主義の基本かもしれないから、SNSの普及は民主主義の発展に貢献するものかもしれない。SNSを通じて大きな政治的変革が起きた例もずいぶんとあったのを思い出すだろう。
 一方で特定の対象に対して誹謗中傷が殺到する「ネット炎上」という現象もしばしば起きている。いや、しばしばではなく、社会現象というくらいに発生していると言えるのかもしれない。それらは個人攻撃の形を取ることも多いわけで、新たな人権問題を生み出していると言えよう。
 本書はそうした「ネット炎上」を採り上げたマジメな研究書である。
 「炎上」が誹謗中傷の束であるということじたい、この現象は人権問題であることを認識しておかなくてはならないだろう。自分はSNSをやらないから、と問題を避けていたならば、重大なことを見過ごすことになるだろう。
 で、本書は「炎上」を類型化し、分類することから始めている。そして炎上の社会的コスト、炎上の参加者に分析をすすめ、実際にはどういう構造になっているのかが解き明かされていくのだ。
 じっさい、ある大学のセンセが講義中の発言を学生にSNSに流されることから炎上を引き起こしたことがあったのを見たことがある。まあ、それは一過性のものであったのだけれど、関係のよくなかった大学当局に利用されて不遇を託つようになったとも聞いている。また、同様に、別の大学の講義の内容について炎上が発生し、講義内容に変更を強いられるという問題になったこともある。ある意味では炎上を理由に物事におかしなものが介入することが起きかねないのであるが、そこは本書をよく読み、学術的な解明をすることで道が開けると言うことができる。要は炎上如きに振り回されてはならないという教訓を学術的裏付けで説明してくれているのだ。
 研究書とは言え、本書はそう堅苦しいものではなく、フツーに読みやすいし、ネットにびびっている人間にもわかりやすく説明してくれる。インターネットはもはや空気のようなものになりつつある。その空気の中にはウィルスも雑菌も含まれており、ときに感染をして病床に伏すこともあるだろう。しかし、空気なしに生きてはいけないのであり、その意味で本書は情報教育の基礎でもあり、人権教育のマニュアルでもある。

☆☆☆☆ 子どもたちの中でネットトラブルはますます増えている。その対応策のヒントが本書には散りばめられている。教師だけが取り残されないように。
posted by ウィンズ at 15:39| 福岡 ☁| Comment(0) | 人権問題 | 更新情報をチェックする

『低きに立つ神』(大蔵一郎解説)コイノニア社 二二〇〇円+税

『低きに立つ神』(大蔵一郎解説)コイノニア社 二二〇〇円+税

 「ルカによる福音書」の中に「善いサマリア人」の話が載っている。
 こういう話だ。
 一人の律法の専門家という人物がイエスに質問をした。
「『隣人を自分のように愛しなさい』と律法には書いてあるが、わたしの隣人とは誰ですか。」と。
 それに応えてイエスは一つのたとえ話をはじめた。
「ある人が追いはぎに襲われて、身ぐるみを剥がされ、半殺しにして立ち去ったのだな。そこを神に仕える祭司やらレビ人やらが通りかかったんだが、その人を見ると二人とも通り過ぎてしまった。しかし、一人のサマリア人が彼を介抱し、宿屋に連れて行き、宿代まで支払ったんだと。」
 イエスはここまで語ると、律法の専門家に問うた。
「さて、あなたはこの三人の中で、誰が追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うかな。」
 律法の専門家は答える。
「その人を助けた人です。」
 そこでイエスは言った。
「行って、あなたも同じようにしなさい。」

 これは聖書の中では非常に有名な話なのだ。よく「汝の隣人を愛せよ」というフレーズが使われるが、出所はここだ。問題は誰が「汝の隣人」かということである。それは思いつきで慈善を行うことではない。先日、この本の著者の一人である犬養光博氏のお話を聞いたが、彼はカメラマンの岡村昭彦がよく使っていた「同情は連帯を拒否した時に生まれる」という言葉から「汝の隣人」を説明してくれた。同情ではなく連帯なのだと。そしてこのサマリア人にとって追いはぎにあった人が隣人なのではなくて追いはぎにあった人の隣人がサマリア人なのだと。
 つまりは「わたしの隣人は誰か」という連帯を拒否した問いではなく、「わたしは誰の隣人となるのか」と問うべきなのだ、と。
 本書は六人のキリスト者が日本社会の辺境と向き合い、辺境の民と連帯して生きてきた歴史を書き綴ったものである。その辺境には同和教育や、解放運動が露わにしてきた「差別の現実」が横たわっている。辺境という言葉が適切かどうかはわからない。しかし、そこがキリスト者にとって隣人となることができる境界であり、敢えて辺境という言葉で本書を紹介したい。
 本書はまず伊藤之雄の「問いかける神」という章から始まる。伊藤は教会のもつ知的・プチブル的な教養主義に疑問を懐き、「裸の人間とふれ、自分も裸の人間になり、生きたキリストを信じるには、この家族と階級のなかにいてはだめだ」と思い、山谷に入って労働者となるところから「隣人」をはじめたのだ。伊藤は山谷に隅田川伝道所を開いて活動をはじめた翌年の一九六七年にこの文章を書いた。そして伊藤は本書が編纂されるずっと前の一九八〇年に亡くなっている。だから本章は「山谷1967」という位置を与えられている。
 この伊藤の文章に倣い、五人のキリスト者が己と己のかかわってきた辺境について語るという構成になっている。
 その五人とは岡田仁「苦界に座す神」(水俣)、犬養光博「おらぶ神、黙す神」(筑豊)、菊池譲「痛む神」(山谷)、小柳伸顕「共なる神」(釜ヶ崎)、渡辺英俊「地べたに在す神」(寿町)である。それぞれが伊藤の遺産を引き継ぐかのようにそれぞれの辺境とそれぞれの生きてきた道を語る。一つ一つの「隣人」としての歴史は重たい。それを要約することはおそらくは何の意味もあるまい。重要なことは彼らはみな伊藤が直面した教養主義的なキリスト教に対する批判のまなざしを受け止めることになった者たちだということだ。
 それぞれの章の名に記された神の名はそれぞれの辺境に住む個性豊かな神たちである。一神教であるキリスト教に「神たち」もないものだが、まぎれもなく辺境の人たちの「隣人」となろうとしたキリスト者たちはそこに神の言葉を見出したのである。
 水俣、筑豊、山谷、釜ヶ崎、寿町。これらの辺境でキリスト者は磨かれ、キリスト教は救いを必要とする人間のものとして再生されることになったのだと思う。キリスト教徒であるならばおのれ自身のキリスト教を問い直すには格好の本だろう。他の宗教を以て信仰とする者も同様であろう。いや神を必要としない唯物論者であれ、ヒューマニストであれ、何らかの信条を以て生きる者は本書を通しておのれの信条と生き方を問い直してみることができるだろう。なぜならば、この国には追いはぎに襲われた人、つまり社会の矛盾の中で呻吟する人間がいて、一方で「知的・プチブル的な教養主義的」な自分がいることを知らされるからであり、その自分自身が試されることになるからだ。おまえはその人たちの隣人たり得るのかと。
 おっ、ちょっと熱くなってしまったか。
 まあ、いい。たまにはおのれの生き方を深く掘り下げてみよう。私たちは日々それぞれの職場で働きつつ生きている。何もここに登場したキリスト者たちのようにわざわざ辺境の地に赴く必要はない。しかし、私たちの仕事は日々子どもたちと出会い、つながりを持って行くことではないか。差別と被差別の現実はそこにあるのだ。そして、あなたのかかわりが被差別者への同情なのか連帯なのか。果たして自分は子どもたちの「隣人」として存在しているのか。人権・同和教育にかかわるあなた自身に問いかける一冊だ。



☆☆☆☆☆ 福岡の教師なら、まずは犬養光博の「おらぶ神、黙す神」を読んでみようか。さて、何を見つけられるか。
posted by ウィンズ at 15:35| 福岡 ☁| Comment(0) | 人権問題 | 更新情報をチェックする

加藤陽一『キーワードで考える 部落問題はじめの一歩』公益社団法人福岡県番犬研究所 一〇〇〇円+税



「もしもし、あ、おかあさん、今度学校で部落史の授業やるって言ってたでしょう。でも部落史って難しいよね。そこでね、授業の準備にとっても便利な本が出たんだ。『キーワードで考える 部落問題はじめの一歩』っていうの。近世政治起源説とか、賤民廃止令とか、水平運動とかね。そういうよく知らなかった言葉を目次から探すと部落史の基礎知識がわかるようにできているんだ。そうそう部落史だけではなくてね、同和対策事業とか、地名総鑑とか、全国統一応募用紙みたいな戦後の部落問題や同和教育にかかわる言葉や現代の人権問題でよく使われる言葉もキーワードとして載っているから人権の授業や研修にはすごく役に立つ参考書だと思うんだ。ほら、知っているようでいて、きちんとは説明できないみたいな、そういう言葉があるでしょう。C・S・Rみたいな。そういうのも載っているんだから、親切でしょう。そうしたキーワードから部落問題の知識がていねいに説明されているから、まったくの初心者でもすぐにわかるし、おかあさんみたいなベテランの教師でも便利に使えるんだ。それにね、これはブックレット菜の花シリーズのいちばん新しいものだからわかると思うけど、邪魔にならない大きさなので持ち運びにもいいと思うの。だから授業の準備じゃなくても、いつでも読める読み物としてパラパラっと目次を開いて気になるキーワードからそこを見れば簡潔にわかりやすく、それでいてけっこう詳しく書いているので読むのにかまえる必要はないの。読みたいときに読みたい箇所を拾い読みしていけばいいから、おかあさんみたいに時間のない人にもいいみたい。そしてそれぞれの項目の中を読んでいくとまたまた要注意のキーワードが太字になっていて、次の学びがしやすくできているのね。そうそうこの本を書いた加藤陽一って人は北九州市で中学校の先生をしてきた人で北九州市の同和教育を引っ張ってきた人みたいよ。そうそう加藤さんが部落問題と向き合ってきた歴史も第二部で『識字学級三十年』としてまとめられているのね。もちろんこちらは六十頁くらい通して読まなくてはいけないから、ほら通勤のバスの中で読むといいかもしれないよ。えっ、車酔いするんだっけ?それなら寝る前にベッドで読むのがいいかな。加藤さんが歩んできた道っておかあさんの教師歴と重なるんじゃないかな。でも加藤さんの部落と向き合ってきた生き方ってすごいよ。ついつい引き込まれて読んでしまった。そうそう注文はお近くの書店に申し込むのもいいし、福岡県人権研究所に直接注文するといいよ。電話番号を言うからメモしてね。〇九二ー六四五ー〇三八八。〇九二ー六四五ー〇三八八だよ。パソコンが使えるならネットで注文するのが便利だからこのアドレスを検索するといいから書き留めておいてね。福岡県人権研究所の注文フォームだけど頁のずっと下の方だから探してみることね。
http://www.f-jinken.com/books.html

☆☆☆☆ 「そうそう忘れてた。福岡県人権研究所のブックレットはこれで十九冊目。本書を買うのを機会にいろいろ合わせて買ってみるのもいいと思うよ。ネット注文は簡単だよ。」
posted by ウィンズ at 15:18| 福岡 ☁| Comment(0) | 人権問題 | 更新情報をチェックする

中川聰監修・日経デザイン編『ユニバーサルデザインの教科書 増補改訂版』日経BP社 三〇〇〇円+税



 バリアフリーという言葉は知っているだろう。障害の壁(バリア)をなくしていこうという考え方だ。ちょっと前だが、うちの爺さんが脳梗塞で左半身が麻痺してしまった。それまで元気にバリバリ働いていた人だったのでよほどショックだったのだろう。
「もう俺もおしまいだ。一人前には働けねぇ」とぼやいていた。それまでは障害のある人などにはけっこう無神経な発言なんかもしていた爺さんだったが、自分が障害者になってしまったもので、落ち込んでしまったんだな。
 ところが、それから数ヶ月して訪ねてみたらすっかり元気を回復していた。
「おう、これからはな、バリアフリーだぜ」
 どうやら家の大改修をしたというのだ。なるほど玄関先には手すりが設置されていた。タクシーを降りたところからそれにすがれば家にたどり着けるというわけだ。玄関前の階段もなくなってスロープになっていた。家に入るとその手すりは至る所に設置されている。部屋と部屋の境目にあった小さなでこぼこもなくなって家中の床が真っ平らになっていた。
「茶でも淹れよう」
「あ、僕がやるよ」
「けっ、茶くらい淹れられるよ」
 爺さんは卓上のポットから急須に湯を注いだ。
「こいつは便利だぜ」
 その急須は初めて見るもので把(は)(取っ手の部分)がやたらと大きい。
「こいつは持ちやすくてね、わしは右利きだから脳梗塞の後遺症で左がダメになってもなんとかできるんだが、それでも片方が動かないというのはバランスが悪いもんだ。その点こいつは安心して持てるというものよ」
 思わず関心して爺さんの手先を見ていた。注がれる先の湯飲みもドデンと重心が低いカップだった。そしてやはりハンドル(持つところ)が大きく指が四本は入りそうな形状である。
「隣の婆さんはなその右手を捻挫してだな、えらい難儀しておった。で、な。こいつを教えてやったら、それはそれは大喜びでよ、ほら、これがその礼にもろうた糠漬けじゃ。茶請けによかろう。」
「年寄りに便利な時代になったんかいね」
と適当に相づちを打ったら、ムッとした声が返ってきた。
「なんや、知らんのか。ユニバーサルデザインというてな、年寄りや障害者だけのものじゃないとよ。誰でも公平に使えるという原則がある」
「へぇぇ」
「世の中にはいろんな人がいるからな。たとえばおまえさんは外国に行ったことがあるだろう?」
「ああ、もちろん」
「外国でトイレを探すときはどうしてるね?」
「・・・・」
「字のわからない国の場合なんかどうね、タイとか、ラオスとか」
「ああ、あれは困るな。台湾で往生した」
「台湾は問題なかろう、漢字圏だし」
「いや、その漢字が読めなかったのさ、何やら難しい漢字でね」
「おお、舊字軆というやつだな。それで臺灣とでも書いてあったんだろう」
「そうだよ」
「あああ、情けねぇ。そんな程度の字も読めないのかいい年をしてよ、まあいい、そういうときにはどうすんだ?」
「こういうマークを探すよ」





「それさ、字が読めなくてもそれでわかる。そのマークがあれば非識字者ばかりでなく外国人や子どもにもわかりやすい。わしは足にマヒが来たもんだから階段がダメになってな、最近はエレベーターばっかり使うとる。だけど、疲れたときはおまえさんも使うだろう」
「ああ、そうだね」
「それにだ。階を示すボタンね。近頃は低いところにもボタンがついているだろう?」
「車椅子用のだね」
「いやちがう。荷物を両手に持っているときなんか手が挙がらないからあのボタンを使うんじゃないのか」
「そういえばそうだ」
「つまり、誰でも便利ということなのだよ。それがユニバーサルデザインというものなのだ」
「へぇぇ、そうなんだ」
「これからの世の中はよ、何でもユニバーサルデザインで作られることになるだろうよ。パソコンだってキーボードが苦手な人でもタッチパネルでいけるだろう。〈障害のある人が使えるために〉ではなく〈誰でも平等に使えるために〉という発想の転換をしなくちゃいかんのだな」
「そういえば僕の学校も障害を持った子をどうするかとか、外国人の子どもにどう対応するかという議論をしてたけど,発想の転換をする必要があるね」
「そうよ、それにはきちんとしたやり方がある。こいつをやるから基礎から勉強するんだな」
 爺さんは真四角でちょいと重たい本を本棚から出すと僕にほうった。
『ユニバーサルデザインの教科書 増補改訂版』というタイトルの本だった。ぱらぱらとめくると資料編、基礎編、実践編、応用編からなっていて、端に色がついているからすぐにそこを開ける。まずは冒頭の資料編を見る。一覧表が載っていた。PPP(Product Performance Program)とある。どうやらユニバーサルデザインのガイドラインらしい。これを見ると爺さん言いたかったことがよくわかる。
「ちょいと勉強させてもらうわ、ありがとう」
 そう言って僕はそそくさと席を立つことにした。学校をUD化しようという野望を抱えて。


☆☆☆☆ 何しろ教科書と銘打ってあるだけにユニバーサルデザインの技法が丁寧に描かれている。これからはUDだ。
 
posted by ウィンズ at 15:10| 福岡 ☁| Comment(0) | 人権問題 | 更新情報をチェックする

南野森+内山奈月『憲法主義』PHP研究所 一二〇〇円+税

南野森+内山奈月『憲法主義』PHP研究所 一二〇〇円+税

 お堅い名前の本だけど、憲法が変わるかもしれない今日この頃、日本国憲法とはどういうものかという知識ぐらいは知っておきたいものよね。おそらく憲法改正に賛成する人も反対する人も、議論の前に〈憲法とは何か〉というキホンは知っておいた方がいいと思うわ。九条がどうこういうのが憲法問題じゃなくて、もっと深刻な問題が起きるような気がしてしかたないのね、あたしは。
 にしてもよ、南野センセイって九大の憲法学のセンセイでしょ。あたしは知っている。けっこうイケメンのセンセイよね。えっ!ちがうの?あれは、あっそうよ、この人(いま慌てて本をめくってご尊顔を確認)でまちがいないわ。いつもはネクタイなんかしてないからちょっと別人に見えるけど、ほら、イケメンじゃない。
 でもね、共著になっている内山奈月ってのはあたし知らない。で、誰かと思ったら、なんとAKB48のメンバーなんだって。へぇぇぇ、だね。あんなチャラチャラしたアキバ系のタレントなんて関心ないからね、あたしは。なにしろ教育一筋のカタブツなんだから。
 にしてもよ、なんでAKBのタレントが憲法なのかしら。って、ぱらぱらページをめくると、あらら…この娘日本国憲法をそらんじて言えるんだって。まあ、若いんだから、暗記くらいできるわよね。昔、インスタント・ラーメンの名前を全部言える芸人がいたけど、あんなもんかしらね。
 という偏見でもって、読み始めましょうか。この本は南野センセイが内田奈月ちゃんに講義をするという形で書かれているのね。まずは目次を見ましょう。「第1講 憲法とは何か?」、そうね、順当なところね。憲法ってどういうものだか、実は知らない人がけっこういるのよ。いちばん大切な法律だとか。法律の親玉だとかいう程度の理解しかしてない人って多いからね。そして「第2講 人権と立憲主義」、そうそう人権は憲法で決めてあるんだったわ。れれれ、「第3講 国民主権と選挙」、そうよ、これが近頃の若者にはわかってないのよね。それで「第4講 内閣と違憲審査制」、うーん、違憲判決とかいうやつね。そして最後が「第5講 憲法の変化と未来」か、9条とか集団的自衛権なんかが書いてあるのね。
 うん、読んでみるとすごくわかりやすい。この講義をしたときは内山奈月さんはまだ高校生なんだ。その高校生に大学の憲法のセンセイが講義するんだけど、この内山さん、高校生とはいえ賢い。南野センセイの質問にきっちり答えているし、それも的確ぅ!あたし見直したわ。そして南野センセイの講義もわかりやすい。て言うか、講義というより授業してんのね。二人で対話しながら憲法について理解を深めていく感じ。なんか一緒にあたしも授業に参加しているみたいで楽しいし、けっこう質の高い憲法の知識がすっと頭に入ってくるわ。これって南野センセイのワザもあるけど、奈月さんの受け答えがいいから、授業が成立するのね。彼女賢い!好きになっちゃった。
 それと講義のあとの奈月さんのレポートっていうの?あれがよくできていてこっちも勉強になるわ。あっという間に読んじゃったけど、憲法についてはしっかり勉強した感じ。ていうか大学で学ぶ程度の憲法学の素養は身についたって気がする。絶対にお薦めね。

☆☆☆☆ これって大学生はもちろん、中学生や高校生の教材にもいいかもしれない。それより、教員自身がきっちりこの本で勉強して、憲法について学ばなくっちゃ。だって人権の基本なんだものね。


posted by ウィンズ at 15:01| 福岡 ☁| Comment(0) | 人権問題 | 更新情報をチェックする