2018年08月13日

寺島俊穂抜粋・解説『復刻版 戦争放常棄論』(参議院事務局編『帝国憲法改正審議録 戦争放棄編』抜粋 三和書籍 三五〇〇円+税)

 道徳教育が教科として始まったのだが、悲しいかな、世は不道徳なオトナたちで充ち満ちている。あえて列挙するまでもないが、各業界で嘘つきが流行し、「不道徳であっても犯罪ではない」と開き直る御仁がとある業界のトップにいるようなありさまである。次々と不道徳な事象が登場して、マスコミを賑わせているが、それでは道徳教育はままならない。なぜならば『学習指導要領』の「総則」には「道徳教育を進めるに当たっては、人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭、学校、その他社会における具体的な生活の中に生かし、豊かな心をもち、伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛し、個性豊かな文化の創造を図るとともに、平和で民主的な国家及び社会の形成者として、公共の精神を尊び、社会及び国家の発展に努め、他国を尊重し、国際社会の平和と発展や環境の保全に貢献し未来を拓く主体性のある日本人の育成に資することとなるよう特に留意しなければならない」とある。要は、「人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念」を持って「平和で民主的な国家及び社会の形成者」をつくるのが道徳教育なのだということだ。
 これって教育基本法に書いてある文言ではないか。そのとおり、第一条にそう書いてある。で、教育基本法といえば、「日本国憲法の精神にのっとり」(教育基本法前文)作られた法律だということで、昨今の一連の不道徳な動きは日本国憲法にとって赦しがたい問題だということになる。そして、憲法学習こそが今必要な道徳教育なのだと言うことだってできる。
 そうそう忘れかけていた。こんなに不道徳な方々が次々出てくるとは思わなかったのだが、ちょっと前にはこの日本国憲法を変えようという動きがあったはずだ。それでこれらの不道徳な方々が道徳的な憲法を変えたがっていた意味がわかってきたような気がする。
 それで、その日本国憲法だが、それがどういう議論の中で作られたのかというとなかなかわれわれ素人にはつかみにくい。なので、あやしげな人たちがアメリカの押しつけだとかなんとか吹聴して憲法を変えようとしているし、そんな考えを真に受けてしまう子どもたちもいるのではないか。
 で、だ。私たちは日本国憲法が作られた過程をその実際の議論を史料として、そこにどういう精神が日本人の国会議員たちによって議論されたのかを検証し直す必要があるのではないだろうか。日本国憲法が制定され、日米講和条約が締結されて日本が独立したのは一九五二年四月二十八日であった。おりしも朝鮮半島では朝鮮戦争の真っ最中であり、そういう情勢を背景に独立した日本では既に日本国憲法を改正しようという人たちが登場し始めていた。
 そうした中で憲法は改正するにせよ、しないにせよ、きっちりと研究し直さなくてはならない。そのための解説書として最適なものはまさに日本国憲法が作られた第九〇回帝国議会における衆参両院本会議録及び憲法改正特別委員会の議事録なのであり、憲法学説はすべてここから議論を始めねばならないとこれらをまとめたのが当時の参院事務局であり、『帝国憲法改正審議録 戦争放棄編』である。その原本は九〇〇頁を超えるものであると同時に今では入手困難な文献でもあると言う。
 ということで、内容を抜粋し、読みやすいように編集し直したのが本書である。日本国憲法をつくる議論は、今軽々な改正論を思いつきで言うような安直な議論はしていない。真摯にこの国の未来を考えての議論をしている。だからこの本は面白い。たとえば日本共産党の野坂参三は「戦争には我々の考へでは二つの種類の戦争がある。二つの性質の戦争がある。一つは正しくない不正の戦争である。是は日本の帝国主義者が満洲事変以後起したあの戦争、他国征服、侵略の戦争である。是は正しくない。同時に侵略された国が自国を護る為めの戦争は、我々は正しい戦争と言つて差支へないと思ふ。…中略…此の憲法草案に戦争一般抛棄と云ふ形でなしに、我々は之を侵略戦争の抛棄、斯うするのがもつと的確ではないか」と問うたのに対して、吉田茂首相(麻生太郎財務大臣の祖父)は「戦争抛棄に関する憲法草案の条項に於きまして、国家正当防衛権に依る戦争は正当なりとせらるゝやうであるが、私は斯くの如きことを認むることが有害であると思ふのであります。(拍手)近年の戦争は多くは国家防衛権の名に於て行はれたることは顕著なる事実であります。ゆゑに正当防衛権を認むることが偶々戦争を誘発する所以であると思ふのであります。」と答えている。
 現在の改正論議と比してみれば、隔世の感があるだろう。これを読み解いていけば当時の保守的な立場であった人たちに於いて九条をどう見ていたのか。また、「従来堅く禁止されてきた共産党も合法政党としてその代表を送り、完全なる言論自由の下に、久しくタブーとされてきたわが国体や天皇制等に対しても、忌憚なき検討と批判とが加えられたのである」(三八〇頁 附録 参議院事務総長近藤英明「刊行の辞」)と日本共産党という新たな言論勢力を交えての議論が行われていたのである。
 いったい何がこの日本国憲法に願いとして、はたまた理念として、理想として込められていたのか。嘘つきたちの祭典がに決着がつき、憲法改正論議が再燃したとき、本書を読んでおくことはまずはイロハのイではないだろうか。日本国憲法の改正を考えるも、護憲にしがみつくにも、その基本理念を知っておかなければならない。まずは一家に一冊必携の憲法読本であろう。そして憲法研究の基礎文献でもあるだろう。

☆☆☆☆ にしてもだ。ここに登場する人たちの末裔たちのなんと嘘つきなことか。あっちもこっちも。それをみつけるのも楽しい。

posted by ウィンズ at 07:17| 福岡 ☀| Comment(0) | 戦争と平和 | 更新情報をチェックする
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