2017年09月06日

宋美玄他『各分野の専門家が語る 子どもを守るために知っておきたいこと』メタモル出版 一三八〇円+税

 去年のこの欄に原田実『江戸しぐさの正体』という本を紹介した。何しろ〈江戸しぐさ〉という偽史が文部科学省の『私たちの道徳』やら、とこぞの教科書なんかに載っているという現実があり、その問題性を歴史考証の専門家が批判した本だった。
 教育の世界というのは実に広い世界だ。教師はその広い世界の知識を子どもたちに伝え、子どもたちの育ちを支援しなくてはならない。ところが〈江戸しぐさ〉がそうであったように、子どもを取りまく知識や、諸問題については教師は専門家ではない。子どもたちを教える専門家ではあるが、知識の中身については残念ながら専門家ではない。子どもの心や生活環境についても実は不確かな情報で動いているのかもしれない。だからいつのまにか〈江戸しぐさ〉が教育の場にこっそり登場しても、多くの教師はそのまちがいに気づくこともできないのである。
 最近ではチーム学校とやらを文科省は提案しているが、あれは教師が子どものすべてについての専門家ではないことを暗に認めているのだろう。われわれ教師が専門家であるのはどの場面か、となるとはたまた心許ない。自信をもって、
「この子にはこういう対応をするとこう伸びる」
という正解を導き出せない。もしかすると一つの指導が親の批判を浴びるかもしれないし、ちがう立場の教員から罵倒されるかもしれないし、教育委員会から叱られるかもしれない。というより、教育については誰もがそれなりに一家言持っているので、それらのご意見と教師某の見解とどちらが正しいか、などという争いになったときに教師の立場は実に弱いものだ。
 じゃあ、教師が教育の専門家であるとはどういうことを言うのか。教師は授業をするということにおいては専門家である。これはまちがいない。何を教えるかではなく、どう教えるかについては専門家であろう。
「あの先生は教え方が下手だ」
などという非難があったとしても、だいじょうぶだ。それは「あの医者は藪医者だ」という以上の批判にはならないからだ。
 そして医者は患者の治療以外は素人だが、教師は子どもと向き合う専門家である。但し、向き合うだけで、授業以外の向き合い方に関しては他の専門家の知見をお借りしているに過ぎないので、そこはお借りする先の専門家の知見を信用するしかない。その意味では教師は他人のふんどしで相撲を取る専門家なのかもしれない。
 その他人のふんどしを選ぶときに文科省の素人は『私たちの道徳』に〈江戸しぐさ〉を載っけてしまうという愚を犯した。彼らに専門家の意見を参照する業がなかったからだ。
 で、だ。われわれ教師は、他人のいろいろなふんどしを選んで活用する眼を養わなくてはならない。つまりは、誰の何が専門で、その専門性の何が信用できて何が信用できないのかを、私たちはよく考えなくてはならないのである。
 本書が「各分野の専門家が伝える」と書名に冠を載せているのはそういう意味である。教育現場には医学の問題、栄養学の問題などが存在しているし、それらの専門家の知見を超える見解をわれわれは持たない。教科にかかわってはそれぞれの背景の科学的知見がある。それらについてわれわれは最も的確な専門家の知見を選び、活用する力を持っている。そこが教育の専門家としての教師の力量というものだろう。
 先に挙げた原田実氏も本書の中では「江戸しぐさ」と「親学」について知見を示している。「親学」は高橋史朗氏が提唱して始めたものらしいが、「江戸しぐさ」を引用し、いくつかの怪しげな俗説を引っ張りだし、「高橋氏自身の好き嫌いの感情によって、形作られた概念です。結局、高橋氏は自分の偏見を強化したうえに、人にまで押し付けているだけです」(一五七頁)と断罪している。
 また、「誕生学」 なるものについても、産婦人科医の宋美玄氏は「誕生学」が提唱する自然分娩(医学用語ではないらしい)が科学的にも倫理的にも問題があることを指摘している。また、精神科医の松本俊彦氏は、誕生の素晴らしさを伝える「誕生学」プログラムが自傷経験のある子どもたちを追い詰め、時に死に追いやっていることを告発しています。まあ、このあたり「いのちの大切さ」を訴える人権教育なんかでも落とし穴になっているんではないだろうか。
 「親学」にしても「誕生学」にしても、「学」と名づけ、学者や専門家らしき人が名を連ねて発言しているので、私たちはつい迷い込んでしまう。そこで、われわれ教師には、専門家の知見を選ぶ専門家としての判断力が必要なのだ。赤ちゃんの時のことを想い出させて「いのちの大切さ」を説くとき、専門家としての教師の知見は、クラスの不遇な子どものことを最も大切にすることではないか。子どもと向き合う専門家であれば、親に虐待された子、愛情を注がれていない子、そうした子どもたちの前で「愛されて育ってきた」自慢話を読み聞かせて「いのちの大切さ」を伝えようとすることの、危険を察知するだろう。
 本書は、子どもをめぐるまちがいやすい知識・情報について、特定の領域の専門家の知見をまとめてある。本書を通して、専門家を選ぶ眼を鍛えようではないか。


☆☆☆☆ この本を読んで『かがやき』やら『あおぞら』やら『ぬくもり』を見直してみようか。自分たちの人権教育に対する思い込みも、時には省みることが必要だ。

posted by ウィンズ at 19:19| 福岡 ☁| Comment(0) | 人権問題 | 更新情報をチェックする
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