2017年05月10日

自衛隊を活かす会編『南スーダン、南シナ海、北朝鮮 新安保法制発動の焦点』かもがわ出版  二〇〇〇円+税


 
 新安保法制が成立して一年半以上が過ぎ、昨年は南スーダンに駆けつけ警護だなんだで自衛隊が派遣されたのは記憶に新しい。印象としては新安保法制が本格的に動き出したな、という実感がある。
 今さら言うのもなんだが、日本国憲法第九条というのがあって、この解釈をめぐって戦後の日本はいろんな議論をしてきた。そしてそれを横目でにらみながら自衛隊は大きくなってきたし、解釈の枠も徐々に広げられ、今や九条を変えなくてもじゅうぶんなところに来ているんじゃなかろうか。で、「もっと積極的に」というのが新安保法制だったんじゃないかな、というのがあっしの素人理解なのだが、どんなもんだろう。
 問題はここまで来てしまった日本の防衛の既成事実から何ができるか、ということだ。「何ができるか」って言ったからといって、「戦争ができる」という答えを求めているわけではないし、そんなことを期待している人間はごくごくわずかだと信じたい。
 新安保法制に
 「よくわからないが賛成だ」とほざいていたネトウヨにせよ、
 軍歌を高らかに鳴らして街宣をしていた右翼団体の方々にせよ、
 とりあえず安倍首相の言うことに賛成しておけという無条件保守派にしても、
 「尖閣諸島、竹島は日本の固有の領土だ、力尽くで死守せよ」と叫んでいた武闘派にせよ、
 中国と一戦交えたいとか、南スーダンで自衛隊の諸君に人を殺させたいとか、北朝鮮と日本海上で空中戦をしたいとか考えている人はどのくらいいるだろうか。よほど戦争で利権を得られる人(もちろん日本国内に生活拠点は持ってないだろう)か、人を殺したい人なんてそうそういるものではないだろう。今日も恙なく仕事を終えて、仲間と一杯やって、ラーメンの一杯でも啜るような生活が、空襲に怯える生活よりはずっといいと思うのだが。
 そうなるとわれわれの政治家の胸に期したところも国民の平和な生活であると思う。そのために自衛隊はいらないという人もいれば、だからこそ自衛隊が必要だという人もいる。新安保法制にしたって、そのほうがこの国の安全にとっていい選択だと考えた政治家が多かったということだろう。そんなことは考えず、自分の選挙だとか、なんらかの利権だとか、軍事産業との癒着だとか、アメリカにはものが言えないからとかという気持ちで選択した人はほとんどいなかったと思いたい。
 しかし、現実に日本の防衛をめぐる状況は新安保体制下で来るところまで来ている。私たちが現在直面しているのはしばしばミサイルを打ち上げては威嚇している北朝鮮であったり、尖閣諸島はもちろん東南アジア方面のちいさな島に手を伸ばしている中国との関係であったり、はたまたこの国の防衛範囲をめっちゃ超えていると思われる南スーダンとかにおける自衛隊がどう動けば〈国益〉に合致するのかということはリアリティのある問題となっている。北朝鮮や中国、もしくは韓国なんぞと戦争状態に入っていいことがあるかを考えたらいい。北朝鮮のミサイルが日本のどこかに落ちて戦争状態になったら北朝鮮はマジでその戦争に勝てると思っているだろうか。それこそ国家の壊滅を免れないことは承知しているはずだ。中国は経済的にも軍事的にも日本をはるかに凌ぐ国家となっている。ここでアメリカと中国が手を組んだら(「浅(あさ)海(かい)の悪夢」というらしい。これは一九七一年のニクソン訪中で現実となり、当時の佐藤内閣を震撼させたという。本書一〇八頁)、いわゆる第二の「浅海の悪夢」が現実のものとなったら、日本はどうしたらいいのか。いや、これは経済的な領域では現実化しているとも聞くし。
 物理的には遠方だけれど、南スーダンは内戦状態にあり、全く事態は沈静化していないという。その南スーダンで自衛隊が戦闘状態に巻き込まれ、「戦死者」が出たらいったいどうするのか。その時国民を護ることを誇りにしている自衛隊員諸君の大義はどう見つければいいのか。
 そういうふうに現在進行形で、南スーダン、南シナ海、北朝鮮という三つの戦争の可能性の中にこの国はあるのだ。それは現在の日本の状態から考えなければ現実的ではない。現在の自衛隊の置かれている位置、条件、そうしたものを前提に問題を考えなければ、明日の平和は危ういとは言えないだろうか。この本をまとめたのは自衛隊を活かす会は正式名称を「自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会」という。単なる軍事推進派でもなく、自衛隊の後援会でもない。基本は憲法九条を護るところに原点を置いているが、そうではない人もメンバーには入っている。それだけ現実的な状況認識の中でこの三つの戦争に直面した場面をどう見たらいいのか、そしてこの国とこの国の自衛隊はなにをすべきかについて本書の中で議論されている。
 ただ、頭の中で観念的な防衛論争をする時代は終わったと言える。この国は少なくともここに掲げた三つの戦争に直面しているということをまずは自覚しようではないか。そしてこの三つの戦争が今、どういう状況にあるのか。まさに戦争に直面しているのだから、そのための戦略、いや、どうやって戦争をしないで済ますかという戦略を立てなくてはならないだろう。それは政治家に付託した問題ではなく、われわれ国民が持たなければならない意思なのである。
 ・・・国民が考えなければならないことは、戦争がなければいいのか、戦争しても勝てばいい(その場合多少の犠牲はやむを得ない)と考えるのか、あるいは、戦争のもととなる対立そのものが解決した安心状態が欲しいのかです。これは主権者としての選択です。(本書二一三頁)
 そう、選択肢がそんなにたくさんあるわけではない。本書を手がかりに考えてみよう。

☆☆☆☆ 選挙権が十八歳に引き下げられて主権者教育が着目されるようにはなった。今度改定される学習指導要領では「主体的に、対話的に、深く学んでいくことによって、学習内容を人生や社会の在り方と結びつけて深く理解したり」(『幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)』二〇一六・十二・二十一)という学びの転換が求められるようだ。この程度には生徒たちの議論の質を深められるようにしておこうではないか。 
posted by ウィンズ at 15:37| 福岡 ☁| Comment(0) | 戦争と平和 | 更新情報をチェックする
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