2017年05月10日

辺見庸『1★9★3★7』金曜日 二三〇〇円+税



 『1★9★3★7』と書いて「イクミナ」と辺見庸は読ませるのだ。なぜかって?まずはその一九三七年と言えば、夏に盧溝橋事件が起き、年末にはあの南京事件、いわゆる南京大虐殺が行われた年だった。おっとここで何かいいたがる御仁も出てくるであろう。昨年、南京の資料館が世界遺産になったときに日本の閣僚たちが渋い顔をしていたのを思い出してほしい。かれらはブツブツと何かほざいていたが、公式声明は出さずに不本意な顔をしていた。
 何でか。
 かれらはあのことをなかったことにしたいからだ。しかし、あったことはなかったことにはできないので、大きな声での否定はできなかったということだった。
 世間には南京虐殺がなかったと言う「愛国者」、もとい歴史修正主義者が多々いる。歴史修正主義というのは、なかったことをあったことにする、ないしはあったことをなかったことにする人たちのことを言う。
 なかったことをあったことにするというのは神話を歴史にしたがったり、「江戸しぐさ」みたいに昔はいいことがあったにちがいない、というでっち上げのことだ。
「昔はもてたのだ」という中年のおっさんの自慢話のようなものかもしれない。その程度では特に傷つく人もいないから笑ってすませられるが、そこに具体的な女性の名前や初めて聞く子どもの名前が出てくればただではすまないかもしれない。もしかすると骨肉の争いに発展するかもしれないからだ。
 一方、あったことをなかったことにしたがるのは、過去に起きたことが不都合だと思って変えたがる人たちのことだ。誰でも自分のまちがいは隠そうという意識はあるだろう。先ほどの例で言えば、過去は清算しておきたいものだからだ。一九三七年当時、日本はなぜか中国にいた。中国のおかれた国際的な立場はあった。なぜか日本も便乗してそこにいたのだ。そして盧溝橋事件みたいなものが起きる。誰が原因か、というのは歴史的には問題のすり替えだ。なぜそこにいたのかというほうが問題だからだ。自宅でだれそれに殴られたというときに、どちらが先に手を出したかということより、その誰それがなぜそこにいたのかというほうが問題であるにちがいない。
 多くの兵士たちが南京に行って、いいお兄さんのままで帰ってきたわけではないだろう。辺見庸は主語を明確にしてこの年のことを問う。
「父祖たちはおびただしい数のひとびとを、じつにさまざまなやりかたで殺し、強姦し、略奪し、てっていてきに侮辱した」(16頁)と。
 えっ!そんなことはなかった、って? そんな虐殺はしてない、って?
 それでは、あの「百人斬り競争」の記事が「皇軍」兵士の誇るべき武勇談として、写真入りででかでかと載っていたではないか(18頁)。と言うと、「あれは捏造だった」とか「あれは誇張だった」とか言う声が上がる。そうしてコトをなかったことにしたい人々の不都合が問題なのだ。「日本国の名誉を守りたい」①と言う人もあるだろう。しかし、このことが武勇談として新聞記事となり、国民はそれに何の異論も唱えずに喝采を送り、本人たちも戦後になるまでは否定しなかったことは何を意味するのだろうか。
 辺見庸は言う

自らの父親について問う。
「こいつは人を殺したのか」と。
 父親は何も語ることはなかった。辺見庸はそこに人間の闇を見る。その闇を描いたのは描くことでしか、生きることが出来なかった小説家であったのかもしれぬ。辺見庸は本書を書いた理由を次のように述べる。
・・・わたしじしんを「1★9★3★7」という状況に(ないしはそれと相似的な風景)に立たせ、おまえならどのようにふるまった(ふるまうことができた)のか、おまえなら果たして殺さなかったのか、一九三七年の中国で、「皇軍」兵士であるおまえは、軍刀をギラリとぬいてひとを斬り殺してみたくなるいっしゅんの衝動を、われにかえって狂気として対象化し、自己を抑止できただろうか―と問いつめるためであった。おまえは上官の命令にひとりそむくことができたか、多数者が(まるで旅行中のレクリエーションのように、お気楽に)やっていた婦女子の強姦やあちこちでの略奪を、おい、えまえ、じぶんならばぜったいにやらなかったと言いきれるか、そうしている同輩を集団のなかでやめさせることができたか―と責問するためであった。(19頁)
 こういう辺見庸の問題意識をまずは共有しようではないか。辺見庸は多くの、いや殆どの当事者が語らない事実に迫っていく。辺見庸はそこに人間の闇を見る。闇は闇のままにしておきたいものだろう。辺見庸はその闇をひるむことなく読み解いていく。そして自身の父親をうたぐり、ついに父親の体験にまで迫るのだ。父親もまた黙して語らずに戦後を生きて来たのだが、その言葉の端に体験したものでしか口にできないことを辺見庸は見出す。
 思えば、僕の友人が言ってた。自分の父親となにかのはずみで戦争体験の話になったときに見た父親の目の昏さに、「ああこいつは人を殺したことがあるな」と感じたそうだ。どういうかたちで感じたのかはわからないが、辺見庸の場合は具体的な言葉を引き出してしまった。
 そう、言葉なのだ。事実を歴史の闇の中に隠蔽したとしても、体験者の言葉のはしはしに事実の記憶がついてくるのだ。それを辺見庸は戦争文学の中から拾い出し、体験者の発言から引き出してくる。「生肉の徴発」「シトツ」「ツンコピン」「スリッパで殴る」というような言葉が実際に現実を記憶する言葉としてあらわれてくるのだ。なかったことならばありえない言葉として。
 本書はわれわれ自身に強く問いかける。じぶんだったら、そこで何をするだろうか。戦場に行ったら何をするだろうか、と。そこには自分の自由選択の場はない。そこには「敵」なる人間と親しく交際する場はない。殺しあう場であり、自軍が優位になれば殺す一方の場になる。それはその場にいる人間一人の責任ではないのだが、行為に対する報いは個人に返ってくる。「皇軍」兵士として敵兵を殺したとしても、一人の人間を殺したことは個人のしたこととして。「皇軍」兵士として強姦や略奪に荷担したとしても、やった自分というのは消えることはない。みな自分のしたことを自分で引き受けなければならないのだ。だから人間はそうした記憶を闇の中に葬ることにする。いつか若き愛国者たちが、「父祖たちは悪い人たちではない。此の国は良い国だから、そんな非道いことをするはずがない」と自分のしたことをなかったことにしてくれる日が来るときを待って。
 そしてこの状況は今もあちこちで続いているのだし、わたしたちが再び体験しかねないことでもあるのだ。
 
☆☆☆☆  歴史というのはかくかくしかじかの出来事がありましたよ、と並べてみせるものではない。歴史を作り、歴史の中で生きて来た人間の記憶の中に染み込んでいるものなのだ。その記憶が消えて行くにしたがって、なかったことにしたい事情を抱えた人々があらわれる。此の国を愛するのならなかったことにするのではなく、起こらないようにすることがたいせつなのだから。そしていったん犯してしまった罪はひとりひとりの兵士の中で消えることはないのだから。
posted by ウィンズ at 15:20| 福岡 ☁| Comment(0) | 戦争と平和 | 更新情報をチェックする
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