2017年05月10日

ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ著『竹林はるか遠く』ハート出版 一五〇〇円+税



 戦争体験というのはだんだん希薄化してきます。それはそうです、戦後七〇年近く経ったのですから。あれから七〇年近く戦争をしていないこの国の人々の記憶にはもう戦争体験は残っていませんよね。確かに私たちは平和教育を通して日本のアジア侵略や広島・長崎の原爆や、沖縄戦や、空襲などについて学んできたし、教えてきたのだと思います。でも私たちにとって、戦争はだんだん遠い昔のものになっていきます。子どもたちにとってはなおさらでしょう。だけど、現在も世界中のあちこちが戦争状態になっているのです。いったん戦争になったらそれがどんなに残酷なものであるのかということを私たちは知っておかなくちゃなりませぬ。そのためにはもっとたくさんの戦争の恐ろしさ、哀しさ、酷さを知っておくことが必要でしょう。もうすぐこの国は戦争を始めるかもしれません。その時に後悔しないように私たちは戦争、というより国際紛争が私たち自身の身にもたらすであろう災厄について知っておいた方がいいだろうと思います。
 戦争は土地と利権の奪い合いです。いくらきれい事を言ってもそうであることにちがいはありません。戦争によって他の国の土地を自分の国のものにして、そこに国民を住まわせ、その土地が他国に取り戻されれば住みついた国民はたちまち難民と化していくことになります。そういう難民が世界中にあふれかえっているのまちがいなく現在の世界の実状です。
 難民という人たちの存在は遠い国のことのように思っているのかもしれませんが、震災のような自然災害で一時的に住む家を奪われる人たちがいることは私たち日本に住む人間には現実的に自分たちの周辺で起きていることですから、理解はできるのかもしれません。それでも震災の被害から立ち直れない人々がまだ数多く残されていることに思いをいたすならば、幾分かの想像はつくのかもしれません。
 だけど、です。戦争は相手の国があることで成り立ちます。そして戦争は軍隊と軍隊との間で行われるものです。軍隊はそれぞれの国民を護るために存在するはずなのです。ところが、戦争が終わったあとには軍隊はありません。
 戦争と侵略は国境線のせめぎあいであり、戦局が転換すれば、そこは住む権利を失ってしまう場所になってしまいます。満洲、朝鮮半島、台湾・・・・・、敗戦までに日本が占領していた地域に多くの日本人が暮らしていました。その土地にそれぞれの事情で棲み着くようになり、またその土地で生をうけた人々も多かったと思います。戦争が終わったあと、この人たちにはなにが起こったのでしょう。
 夜の明けの空の轟音ソ連軍の艦砲射撃は耳をつんざく       寺澤小雪子
 「すみやかにもと居た街に戻りなさい」マイクを通す日本語流暢
(『北限』87 二〇〇七年十一月)
 散りぢりの家族の安否思ひつつ行く先不明の夜の避難路 寺澤小雪子
 樺太の思ひ出抱き乗船す心残りは波間に消えず
(『北限』75 二〇〇五年十一月)
 この方はおそらくは樺太で終戦を迎え、そして引き揚げてきた人なのでしょうか。その記憶を六〇年を過ぎてから歌に詠んでいるのです。しばしば思い出したように。おそらくは誰も護ってくれないという恐怖が身に染みついたのでないかと思います。
 本書は一九四五年という年に朝鮮北部羅南に住んでいた一人の少女擁子の旧植民地朝鮮からの脱出の記録なのです。その年の七月二十九日にこの脱出の物語は始まります。擁子は母と姉の女三人で脱出の途につくのです。父や兄と一緒に逃げることはできませんでした。突然の脱出行に家族を待つ時間はなかったのです。着の身着のままに日本へ日本へと逃げていく彼女たちをさまざまな試煉が襲います。国家に護られないということがどんなに心細いことか。擁子たちは必死の思いで日本に辿り着きますが、そこでもまた試煉が待っていたのです。一方、擁子の兄もまた、一人で日本をめざしていました。兄もまた生命の危機にさらされながら、単独で日本へ帰ろうとするのです。
 この脱出はさまざまな問題を含んでいます。それまで生活していた土地が他国のものになる。いや、もとい他国の土地に住んでいたのですから、他国に取り戻された土地であり、そこにソ連軍のような新しい武装権力が侵入してくるわけですから、状況は単純ではありません。暴力そのものに正義も悪も色づけはできません。暴力は受ける側からすればそれは恐怖以外の何者でもありません。そしてそれが戦争であり、その戦争が突然攻守逆転したようなものです。そこでは暴力に乗ずる人間、それはかつての日本人の姿であったことでしょう。そして暴力を嫌悪し、暴力から護ってくれる人たちも出てきます。もちろんかつての日本人にもやさしい心を持った人はいたはずです。そういう個々人のやさしさに救われて生還することはできたのですが、そうした出会いのなかった人は無惨な結末を迎えたのだろうと思います。
 戦争という極限状況の中で生き延びた人間の恐怖を思えば、戦争はそれ自体が悪だと言えるでしょう。それはまちがいありません。この本をどう読むのかはみなさんそれぞれの問題ですが、こういうことがあったということは絶対に知っておかなければならないことだと思います。
 著者は後にアメリカ人と結婚し、米国に住んでいます。そんなこともあって、本書は英語で書かれ、アメリカの中学生のための副読本として読まれたと言います。アメリカの中学生がこの本からなにを学んだのかはわかりませんが、日本の中学生がこの本から学ぶことは多いと思います。
 ところで同じハート出版から、清水徹『忘却のための記憶―1945~1946恐怖の朝鮮半島』(一六〇〇円+税)という本も出ています。こちらは当時羅南中学の生徒だった少年の脱出の記録です。全く同じ地域から逃げ出してきた人の記録ですから、併せて読むとますます戦後の引き揚げのすさまじさがわかることでしょう。


☆☆☆☆ 戦争には始めがあれば終わりもあります。そして戦後もあります。戦争の悲劇はどの場面にもついて回ります。それはいつの時代だって変わりません。そして今も世界のあちこちで同じことが繰り返され、また日本もそうならない保証はありません。そうならないために私たちには何ができるのでしょうか。



posted by ウィンズ at 14:56| 福岡 ☁| Comment(0) | 戦争と平和 | 更新情報をチェックする
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