2013年09月03日

宮崎学+小林健治『橋下徹現象と部落差別』にんげん出版(モナド新書)九四〇円+税

 二〇一二年は、けっこう政治の嵐が吹きまくったな。年末に行われた総選挙は、自民党のこれまた歴史的な圧勝という結果になったけどよ、こんなに一つの政党が議席を占有しちゃうなんてのは、民主主義国家としてはちょっとまずいんじゃないかって気がするんだな。だけどよ、その投票率が過去最低だっていうのには、唖然茫然飯三膳。開いた口がふさがらなかったぜ。
 ところがよ、その三週間前に行われた大阪市長選挙は、府知事選挙とのダブル選挙でもあったが、前回選挙より一七・三一ポイント上昇した投票率で、これは四〇年ぶりの高投票率だったらしいぜ。このちがいっていったい何なんだ、って感じだな。
 それは、維新の会のブームということもあるけど、同時に行われた府知事選が前回比三ポイント程度の上昇だったのに比べれば、維新の会の人気より橋下徹個人の人気が強かったってことだろうな。
 そういう時期に、『週刊朝日』一〇月二六日号に橋下徹を攻撃する記事が載ったのを覚えているかい。それは、超大物のノンフィクション作家、佐野眞一の名で書かれた「ハシシタ 奴の本性」という記事だった。さらに表紙には、「ハシシタ 救世主か 衆愚の王か」「橋下徹のDNAをさかのぼり本性をあぶり出す」というキャッチコピーがあったそうな。そうかもしれねえ。ともかく俺は、その日散歩がてらに書店に立ち寄ってみた。そしたら『週刊朝日』は売り切れだった。なるほど橋下ネタが売れるのか、このえぐいキャッチが受けたのか、とりあえずすげえ売れ行きだったな。
 実は、前年の大阪市長府知事ダブル選挙の時にも、『新潮45』『週刊新潮』『週刊文春』の三誌が似たようなネガティブキャンペーンをはったことがある。いずれの場合も、橋下徹と被差別部落をからめて誹謗しようとする記事だ。殊に今回の『週刊朝日』は、ひどかったな。とにかく、これ以上はありえない罵詈雑言に近い汚い言葉で書かれた文は、「記事」という水準のものではない。まるで喧嘩の実況放送みたいな感じだ。
 「この男は裏に回るとどんな陰惨なことでもやるに違いない」、「やはりこの男はそんなおべんちゃらと薄汚い遊泳術で生きてきたのか、と妙に得心がいった」、「こういう下品な連中は、私から言わせれば“人間のクズ”という」といった、特に論証もなく橋下徹をののしっている文が続く。とりあえず公人を批判するのに、相当の悪態をつくことがないわけではないが、「奴の~」という言い方はふつうしないだろう。そうそう、その時は買いそびれたけど、ちゃんと原文は入手しているんだ。だけど、この文章は本当に佐野眞一なんだろうかね。彼の代表作『東電OL殺人事件』の文体とはまったくその落ち着きがちがうような気がする。まあ、週刊誌の記事のでき方をどうのこうの詮索するつもりはないが、名前を出しているんだから、佐野眞一に執筆責任はあるんだろう。
 そういう事情で発刊されたこの『週刊朝日』だが、橋下徹が猛然と反駁(はんばく)して、ついに連載はその一回限りでおしまいとなり、『週刊朝日』側が謝罪して落着した。しかし、問題が終わったわけではない。この背景には、橋下徹の率いる維新の会が初の国政選挙を迎えようとしている矢先に起きた。もちろん偶然ではなく、恣意的であることは明らかだろう。なにしろ、先端の社会状況を追いかけている週刊誌なのだからな。
 解放運動や「民主的」な政治姿勢の人たちから見れば、橋下徹は大阪人権博物館への補助金を打ち切った張本人であり、その右翼っぽい政策や強引なリーダーシップは、敵対そのものであろう。それゆえに、そうした人たちからずいぶんと嫌われている人物でもあるんだな。
 この本の著者である宮崎学・小林健治の二人も、橋下嫌いなのだという。橋下徹という政治家とその思想は嫌いだけど、それと差別とはちがう問題だ、というのがこの二人がこの本を作った理由だ。一〇月に『週刊朝日』が出て、この本の発行が一二月二五日というのは、まさに緊急出版である。もちろん丁寧に文章を書いたのではなく、この二人の対談を文章化したものである。だけど、じゃない。だからこそ、この二人の生の部落差別に対する立場が明確に出ている。
 橋下徹は「コスプレ不倫」で世間の顰蹙(ひんしゆく)を買ったが、その時の彼は反論も弁明もしなかった。それは彼自身の隠されたプライバシーであり、一般人であるならば私的な趣味までメディアに晒される必要はない。だが、彼はそれを受けとめた。それは、彼が公人であることの意味を知っていたからである。しかし、今回の彼はちがった。敢然と一人でメディアに立ち向かったのである。
 なぜか。『週刊朝日』の記事は「いちばん問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である」と橋下徹の人格を問題にしようというのである。今までいろいろと政治家の批判を聞いてきたが、人格を問題にしようというのは初めてだぜ。そして、「そのためには橋下徹の両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べあげなければならない」というやり方をしようというのだ。それが、橋下徹の「DNAをさかのぼり」という言い方になる。これは橋下徹の批判ではなく、橋下徹自身には責任のない血脈の問題であり、それが部落問題にかかわるならば、まさしく部落差別そのものなのである。
 しかも、「それくらい調べられる覚悟がなければ、そもそも総理を目指そうとすること自体笑止千万である」と断定するのであるから、野中広務が麻生太郎から受けた差別と同根のものである。
 まずは、この二人の嫌いな橋下徹が、『週刊朝日』たちを相手に一人で差別を糾弾し、勝利したことを評価しているんだな。その一方で、宮崎学の言葉に従えば、「反橋下派左翼・市民主義知識人・文化人の多くは、ほとんどが朝日と佐野を擁護して、『豊かな教養に正比例する度しがたい鈍感さ』を示した」ということになる。
 ところで、今回の『週刊朝日』事件の前年に同じく橋下徹を雑誌が攻撃したことがあったと先に書いたが、その時に『新潮45』に書いていたのが被差別部落出身を自称する上原善広だったことも本書ではあげて追求している。上原が部落出身者であることを、『新潮45』は「弾除(たまよ)け」に使ったのだと言う。なもんで、上原のような人間の役割についてもきびしく批判している。上原については、俺は好きだ。奇しくもこの本と一緒に買った『異貌の人々』(河出書房新社/一六〇〇円+税)は世界中の被差別民をルポして歩いた作品でついつい引き込まれてしまう。世界の被差別民の実態をそれなりの明るさで描いていて、差別問題の深淵に迫るものがある。ぜひ読んでほしい。また宮崎らが本書の中で同じ被差別部落出身の角岡伸彦の『ピストルと荊冠』(講談社/一五〇〇円+税)を薦めている。これは、『週刊朝日』と佐野眞一が橋下徹誹謗のネタに使った、部落とヤクザのつながりの中に生きた中西邦彦という人物が、「飛鳥会事件」で指弾されるまでの人生を描いた作品だ。被差別部落の影の部分を描いて悪いわけではない。問題はその描く姿勢なのだ。 
★★★★

 一気に読めるし、論理も明快。しかし、強くわれわれに問題を突きつけている。つまり、こういうことだ。「労働者や左翼のなかから出てきた差別事象をどうあつかうか、という問題」(宮崎)に対する答えをこの本は読者に要求しているのだ。
〈あんたの嫌いな奴が差別されたとき、あんたはどうするんだ〉と。
posted by ウィンズ at 19:21| 福岡 ☔| Comment(0) | 人権問題 | 更新情報をチェックする
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