2011年09月22日

野依智子『近代筑豊炭鉱における女性労働と家族―「家族賃金」観念と「家庭イデオロギー」の形成過程―』明石書店 四五〇〇円+税

 会社勤めをしている旧友と呑んでいたときだった。こいつが酒の勢いでからんできた。
「学校のセンセイはいいねぇ。給料は安定してるし、ダブルインカムで、、、ええ車乗ってるし、……」
 もとより酒癖のいい奴ではないが、その日は少し荒れていた。どうやら長い不景気風が彼の会社にも強くあたりはじめたらしい。
「給料がね、ずいぶん下がったんだよ。オレ一人の稼ぎで家族を食わせるのはもう無理だぜ。いいなガッコのセンセイは…」
 呑み友だちのくどいからみにだんだん腹が立ってきた。バブルの頃にこいつは所帯を持った。「女を食わせるのは男の甲斐性だ」とかなんとかえらそうなことを言って、彼女には仕事はさせず、結婚当初から専業主婦をさせていた。確かにその頃は厚い財布を見せびらかしていたし、充分に一家を支える稼ぎ手だったはずだ。それ がここに来て年収はかつての半分以下になったと愚痴る。
「嫁にね、少しは働けって言ったら、何であたしが働かないかんのってふてくされてね。確かに手に職はないから働いたにしてもしれているけどな。それに比べてあんたはいいよな、かあちゃんも教員だろ。二人とも一人前の給料だもんな。ずるい、ずるい、ああずるい!」
 あの頃のこいつの羽振りの良さを知っているだけにかわいそうにも思ったのだが、「ずるい」はないだろう。不愉快だ。なもんで、二次会はよしにして、千円余計に払ってやってタクシーで帰ったのだ。帰ってもおさまらないので飲み直した。二杯目のグラスが空いたとき、ふと妙な疑問が酒の染みた脳をよぎった。
〈給料というのは働いている人間個人に払われているんだろうか、それとも家族を養う前提で払われるんだろうか〉
 ダブルインカム・ノーキッズなどと言って家族を抱えたサラリーマンから揶揄されたのはだいぶ前のことだ。そういう揶揄の背景には夫一人の給料で家族を養うのがあたりまえであり、そのしきたりに従わずに稼ぎ手が二人で、子どもも作らないような生き方がある種の妬みも含めて僕たちのような二人家族に向けられたのではな いだろうか。実際、僕一人の給料で妻子を養っている同僚もいる。というより、世間ではそれが常識なのはなぜなんだろう。なのにその給料を二家族分取り、家族を持たない。それじゃ、ズルッ子と思われたのかもしれない。
 そしたら、「家族賃金」という熟語が目に飛び込んできた。…「家族賃金」観念と「家庭イデオロギー」の形成過程……と小さく黄色い文字で背表紙に書いてある。眼を凝らせば『近代筑豊炭鉱における……』とタイトルにある。筑豊の炭鉱の歴史を調べようと買った本だったけど、副題に「家族賃金」と「家庭イデオロギー」か 。ちがった興味で頁をめくった。そしたらおもしろい。第一章に〈夫婦共稼ぎの筑豊炭鉱〉ってある。筑豊の炭鉱って共稼ぎだったんだ。そう言えば、女性の鉱夫ってなんかの絵で見たような気がするなあ。うむ。なるほど明治の終わりくらいの共稼ぎというのは一先山一後山の採炭労働、つまり夫婦ワンセットで働いていたのか。 つまりは夫婦で一家族分の給料が支払われてたということなんだ。
 で、第二章は〈坑内保育所の成立・発展と女性鉱夫〉か。へぇぇ、共稼ぎが前提なので保育所を作るのはあたりまえだったと言うことか。で、第三章は〈女性鉱夫の変容〉ね。この共稼ぎの女性鉱夫はどうなるのだろう。なになに、女性の坑内労働が禁止されたって。ははあ、これは政府の政策かあ。第二の国民を産み育てるのが 女の役割だって…。そうか昭和初期になると世界はきな臭くなる。戦争が影響するんだ。おっ、それと機械化ね。機械化が進めば後山夫がいらなくなるのか。でも妻の仕事がなくなったら給料は減るんじゃないの?あらら、女性を坑内労働から排除するために男の給料を挙げたってわけか。でも倍にするんじゃないしね。ふむふむ、 で、失業した女性には内職をまわすんだ。ありゃりゃ、わが呑み友だちの置かれた状況に近くなってきたな。ほほう、ついでに保育所もなくなって幼稚園に変わるのか。うーむ、納得っ。
 で、第四章は〈炭鉱主婦会による生活改善運動〉か。えっ!主婦というのがここで登場するのか。女性鉱夫は失業して夫の給料とささやかな内職で暮らすようになり、主婦会に顔を出すんだ。おお、ここで彼女たちはいわゆる良妻賢母にさせられるのか。そうか、僕たち夫婦に向けられていた眼差しはこれだったんだ。
《家庭イデオロギー》
 僕たちの生き方はこのイデオロギーを逆撫でしていたのか。それで妬まれていたんだな。おお、それにわが呑み友だちの運命のように今や男一人の「家族賃金」では生活が成り立たなくなっている時代になってる。そうだ、そうだ、僕たちはこの《家庭イデオロギー》に洗脳されていたのかもしれない。何が男の甲斐性だ。女性を 労働から締め出し、家庭に押し込んでちっとばかし給料を上げてもらったのが「男の甲斐性=家族賃金」じゃねえか。それは甲斐性じゃなくって《家庭イデオロギー》の所産なんだ。かと言って、今更あいつに説教してもしょうがないしな。でも、この本はおもしれぇ。


★★★★ あ、これって九州大学に出した博士論文なんだ。博士論文ったって、こんなにおもしろいんだなあ。明日学校に行ったらみんなにも勧めよう。筑豊の歴史もよくわかるしね。
posted by ウィンズ at 10:17| 福岡 ☀| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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