2011年09月22日

伊藤氏貴『奇跡の教室 エチ先生と「銀の匙」の子どもたち』小学館 一三〇〇円+税

 灘高等学校は知ってるね。そう、東大にバリバリ合格者がいる日本一の進学校だ。この学校がかつては公立の滑り止めだったって知ってたかな。この本の主人公エチセンセイこと橋本武氏が旧制灘中学校に赴任したときはまったく無名のボンボン学校だったんだな。それが戦後一気に進学校として急成長したのだ。
 進学校として実績を上げるようになったのにはいろんな事情があるだろう。生徒にバリバリ受験勉強を叩き込めば受験の成果があがるのかというと、必ずしもそうではない。ほら、そのあたりの高校は頑張ったところでそんなところだからだ。ちなみに、よく言われることだが、関西の私立高校が進学校として成長した背景には戦後の公立高校の学区制の問題があることは否定できない。通学区が制限されるので特定高校に成績のいい生徒が集まらないというので、その生徒が私立高校に流れたというのだ。しかし、そのことだけでは説明できない。その伸び方には学校差があるし、殊に灘高校が進学実績で成長したのはそれより少し遅れてなのだ。何でだろう。
 で、だ。本書の主人公であるエチ先生は新制中学・高校の教育に彼なりの期待をしたのだ。灘中学校は戦後の学制改革で新制の灘中学・高校の六年一貫校となる。そして一教科一教師で持ち上がるというスタイルで、授業の内容はすべて教師の自由というのが、灘中学・高校の特徴なのだった。そこでエチ先生は自分が新たに中学一年を担当するときからとんでもない授業に取り組むことにしたのだ。それは教科書を使わないことだ。そのかわり、中勘助の『銀の匙』(岩波文庫)一冊を中学校の三年間かけて読むということだった。エチ先生が最初の中学一年生を受け持ったのが昭和二十五年だった。その六年後の昭和三十一年に最初の卒業生が出る。この年、灘高校の躍進が始まったのである。全国の東大合格者高校別ランキングで二十二位にランクインしたのだ。そして二代目『銀の匙』組が卒業した昭和三十七年には京大合格第一位となり、三代目が卒業した昭和四十三年にはついに東大合格第一位の座を手にする。その後の灘校は誰もが知るあの灘校である。
 どういう秘密があるのか。まず、すべての教科の基本は国語力だということだ。受験勉強だって詰め込みでは限界があって、「観察力、判断力、推理力、総合力などの結集がものをいいます。その土台になるのが、国語力だと思います。」(七十九頁)とエチ先生は言う。そして一冊の文庫本を三年間かけて読むという読み方にその答えがあるのだ。
 えっ!早く教えろって?だめだな、自分でちゃんと読まなくちゃ。国語なんだから。しかし、これはすごい方法であることは確かだ。ただ、まちがいないことは、エチ先生は受験指導はしないということ。そして灘校の教育は詰め込みではなくて「自由」な教育だということだ。
 ともかくこの方法で学んだ生徒たちは確かな「学力」を身につけ、東大やら何やらに入っていっただけではなく、その後の人生もバリバリやってんだそうな。そして卒業生たちは未だにその授業の中で生まれたものを持っているんだと。そして、また残念なことに灘校でエチ先生の授業を受けられたのは六年に一度の学年しかないということだ。だから、昭和五十九年に七十一歳で退職したエチ先生に『銀の匙』の授業を受けたのは灘校の中でも五世代、一〇〇〇人程度しかいないのだと言う。なんという無駄なことをしているのだと思うかもしれないのだが、それでいいのだというのが、この学校の方針なのだろう。受験校の代表格のように言われる灘校は詰め込みではないらしい。そのことだけでも驚きだ。
 「あえて捨てる、徹する、遠回りする」「すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる」「正解よりも自分の興味に忠実であれ」…それが橋本流スロウ・リーディングの根底に流れる思想だ。ちょっとわれわれは目先の成果に焦りすぎてはいないだろうか。

☆☆☆☆ エチ先生の授業、『銀の匙』は中学生が対象だ。さて、受験、受験と生徒の尻をたたいている諸君、こんな授業をやってみる勇気はあるかな。
 ところで、エチ先生こと橋本武先生は現在九十九歳でお元気だそうな。
 

posted by ウィンズ at 10:14| 福岡 ☀| Comment(0) | 教育及び教育問題 | 更新情報をチェックする
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