2009年10月01日

坂本紀子著『明治前期の小学校と地域社会』梓出版社 5000円+税

 本書は二〇〇〇年五月に著者が早稲田大学に提出した学位請求論文「明治前期の地域における小学校支持基盤の形成過程―静岡県駿東郡富岡村の事例を中心として―」に加筆修正をして刊行したものである。学位論文の原題にあるように本書の主題は「地域における小学校支持基盤」にかかわるものであり、ねらいとするところは学制にはじまる近代小学校が「安定した地域基盤をどのような過程を経て獲得していったのか」(序章)という関心から「地域の支持基盤は、小学校普及に賛同する人びとの僧が徐々に広がりをみせながら形成されていったという」(序章)ことを丹念に資料を読み解きつつ叙述することにあるとみることができよう。
 本書の構成は以下の通りである。
序章  課題と対象地域
第一章 学区取締の活動と人びとの対応
第二章 学区取締兼教導職の学校観
第三章 小学校校舎の新築と地域の〈近代化〉
第四章 区町村会と小学校支持基盤の形成
第五章 区町村会法の改正と小学校支持基盤の変容
結章  総括と今後の課題
 もとより著者は早稲田大学大学院在籍中に『裾野市史』の編纂事業にかかわり、その過程で出会った史料類が本書の基幹史料となっている。ちなみに第一章の初出は『裾野市史研究』第四号に掲載されたものであるし、本書全体が『裾野市史』と密着した関係で作成されたと考えていいと思う。殊に中心となっているのが駿東郡御宿村の素封家湯山家の役割である。著者によれば湯山家は「静岡県内の他の豪農商層と比較すれば、けっして大地主ではなく中小地主である」のだそうだが、「当該地域はこの湯山家の財力と拡張した所有地を基盤に地方自治体制が確立されるという一つの歴史的日本社会構造の特徴を有した地域」であるという。実際本書を通読する限り、湯山家なくしてこの地域の歴史は語れない。
 第一章はこの地域の学区取締を勤めた湯山半七郎を中心にいわゆる学制期の学区取締の仕事にどういうことがあったのかを丹念に叙述している。湯山家は名望家であるばかりではなく伝統社会の中では経済的な優位性のみならず、地域の住民と「擬制的親子関係」を結んでおり、そういう状況下で人びとを「政府側に引き寄せ、教育政策の地域展開を具体化しようとした」という結論に至っている。
 第二章は学区取締湯山半七郎が兼務していた教導職としての説教を分析して湯山半七郎の生活観、学校観、国家観を読み解いた章である。湯山の思想的基盤が平田国学であったという点からの叙述がなされている。
 第三章はいわゆる教育令期の小学校建設の問題が描かれる。湯山家は半七郎から嗣子柳雄に権限が委譲される時期であり、同時に自由民権運動の昂揚の時期でもあって、この地域では政治的、文化的に過渡期であった。おりしも独立校舎建築をめぐる問題が登場し、校舎建築というテーマを中心に近代化への対応の葛藤が描かれている。
 第四章は参照と同じ時期を対象としているが、三新法体制下で連合町村会、学校連合村会、学区会などでの審議の分析がおこなわれ、審議の過程で村民の中に学校自治意識が醸成されていったことの説明がなされている。そして区町村会法が地域における小学校支持基盤を形成していく契機になったと結んでいる。
 第五章は区町村会法の改正(一八八四年)後に変容したであろう小学校支持基盤について教育連合村会での議論を中心に検討している。著者の結論とするところは「複数議員の参加による協議型から、限定された有力者による掌握型へと変貌した」と分析し、政府や県の圧力のもとで会議での審議内容も政府の教育政策の下請けに近くなったという結論を得ている。
 以上概観を見てわかるように、本書の特徴はまず素封家湯山家の勢力下にある地域の小学校史を繙くことで日本の近代小学校が支えられていく基盤が作られていった事情を解明しようとしたところにある。ミクロな社会構造の中で刻々と変化していく近代日本の農村と教育の姿が見事に描かれていて、実に楽しく読むことができた。「御宿村ほか七か村」において湯山家が近代化において重要な役割を果たしてきたことがよくわかり、本書によって地方教育史研究の大きな財産を我々は得ることができたと言えよう。
 問題は非常にミクロな教育史研究が近代教育史のグランドヒストリーに普遍化できるかどうかである。実際、著者は湯山家の物語で終始しないように長野県(下高井郡間山村、更科村、新野村)の事例をひきつつ、「本書のテーマを論じるのに補足した」という。そして「結章」において著者は人びとの小学校関与の形態は教育制度と地方制度の改革によって四段階のステップで形成されたとして一応の結論としているが、確かにこの四段階はおおむねまちがってはいないとおもう。しかし、自由民権運動とのかかわりについても協議型から掌握型への変容についてもややもすると普遍的な公式を導き出そうとしてはいないだろうか。私はこの研究が地方教育史的研究としてすぐれているがゆえにあまり普遍化を狙わないほうがよかったのではないかと思う。「御宿村ほか七か村」の特徴が存分に描かれていれば、本書の価値はじゅうぶんにあるのだと思う。その意味で長野県の事例をひいたのは私には中途半端な紹介に思えた。グランドヒストリーをめざすのならばもっと多くの多様な地方史研究を行うべきであると思う。著者は長野県の例を「駿東郡とは異なる地域性を持つ」と位置づけているが、その地域でなければならない必然性は感じられない。単に湯山家のような豪農がいなかったというだけでは地域性のちがいは説明できないと思う。失礼な言い方をしてしまうと、たかが山を一つか二つ越えただけのところではないかと言いたくなってしまうのだ。
 私見だが、地方教育史研究は徹底して地方の視座から教育史を見つめる作業ではないだろうか。軽々な比較研究や地域の類型化みたいなものは地方の特質をすべてそぎ落として、結果的に本質までもそぎ落としたものが時としてある。誤解の内容に言い換えるならば、本書がそのような研究だというのではない。本書は地方教育史的な視座を頑として持っているので高く評価できるのだが、それゆえに長野の事例は中途半端であったかな、と感じただけである。
 ところでこのことにかかわっていくつか気になったことがあるので、指摘しておきたい。第一章は学区取締の職務についてがテーマであった。ここで「試験」について検証がなされている。もちろん湯山の日記から試験の実態が説明されているのだが、長野県の事例が引用されることで湯山半七郎の日記から抽出された御宿村の状況が読み取りにくくなる。そして花井信氏の「村の数少ない行事として、競争試験は村人たちの関心が集まる一大イベントであった」という評価をひき、「村のあたかも行事のようなイベントになったといえよう」と埼玉のしかも一九〇〇年の史料からまとめている。これはせっかくの湯山の役目としての試験が見えなくなってしまう。あくまで湯山と御宿村を通してこの村では試験はどう扱われていたのかという分析を行うのが地方教育史研究のめざすところではないだろうか。
 同じように、第二章では教導職湯山半七郎が平田国学の信奉者であったことから「地域支配者層は、むしろ国家的課題や天皇の存在を地域改革をおこなう正当性の根拠として取り込み、学校をそのための機軸として積極的に受容し利用することによって、地域と自身の致富と安穏を実現しようとしたと思われる」(129頁)と地域支配者層一般の思想に敷衍しているのはやや無理があるのではないだろうか。これはあくまで湯山個人の思想の問題であって、そうした湯山のあり方が地方教育史としては意味のあることなのだと思う。安易な一般化は好ましくないと思う。
 そうした甘さはこの章の結論及び第三章における自由民権運動の位置づけにもあらわれている。湯山のように国学に傾倒した地域指導者の「地域改革推進の正当性や保証は、…中略…近代天皇制という枠組みの中に収斂される」として「地域社会は国家的秩序の中に取り込まれ、国民国家形成の実現を地域末端で支えていくことになる」という評価に対立させて「自主自立の自覚は、また一方で、人びとの政治参加や経済的権利獲得のための自由民権運動への道につながる」(132頁)という位置づけはやや乱暴すぎはしないだろうか。なぜなら、自由民権運動は必ずしも天皇制や国家に対立するものではなかったはずである。そのことは著者も感づいているのだが(156頁)、それを「近代化論の対立」と言ってしまってよいのだろうか。あたかも天皇制を否定する勢力があったかのような対立構図に見えるのがかなり気になる。この時期の自由民権運動を含めた政治的対立の枠組みは天皇制をめぐるものではなかったと思う。天皇制をめぐっての政治的な対立というのは社会主義ないし無政府主義が入ってきてからのものではないかと思うのだが。こうしたことも正確にこの地方の政社の政治理論についての考察が必要であろう。
 しかし、第三章では「自由民権運動と教育をテーマに掲げるものではない」と議論からはずしているのだからこうした批評は当たらないのかもしれないので、言い過ぎた部分はご容赦願いたい。とは言え、この章の「はじめに」は自由民権運動と教育に関わる先行研究の紹介が大半なのでついついひっかかってしまった。
 ところで第四章で登場してくる西嶋準平と貧民党であるが御厨銀行襲撃を計画するなどの過激な党派であったにもかかわらず、西嶋は議員として発言もしている。彼らの政治思想及び教育思想がもっとあきらかになればおもしろいと思ったのは私の単純な好奇心である。いつかそれを示す史料に出会われたら紹介してほしい。
 おそらく地方教育史的な視座は近代日本の大きな歴史潮流の一部をなすものではあるが、その歴史潮流の流れに沿って展開するものとはかぎらない。地方的な紆余曲折が集積されてある種の化学反応を起こし、大きな潮流を生み出してきたのだと思う。そうした地方教育史の個性的な構造を解明していくこと、そしてその化学反応を再検証していくことによって大きな歴史の一般理論に時として意義を申し立てることも可能ではないだろうか。「試験」はその一例にすぎないし、自由民権運動をめぐる評価も地方から書き換えていけるのである。
 最後にいささか細かすぎる話だが、45頁と180頁に「先行研究では…」と記されているが、誰の研究なのか何も書かれていない。再版に際しては配慮していただければ幸いである。

posted by ウィンズ at 15:08| 福岡 ☁| Comment(0) | 教育史及び教育学 | 更新情報をチェックする
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