2009年09月30日

西村和雄編『学力低下が国を滅ぼす』日本経済新聞社 二〇〇一年 一五〇〇円+税

 日本の教育について最も危機感を感じているのは財界ではないだろうか。なぜならば育ってくる人材が自分たちの将来を直接左右するからであろう。かつて高度経済成長の頃までは能力主義的な知育中心主義で有能な人材を発掘してきたし、そのための教育システムを作ってきた。経験主義から系統主義への転換はそういう意味で象徴的であったし、偏差値の高い大学を出た学生はそれだけで一定の能力を保証されたも同然という考え方が財界内部には定着していたし、それはたぶん当時としては正しい選択だったのだと思う。
 しかし、受験という選別システムが愚かな技術競争に堕してしまうとはその頃は予想しなかったのかもしれない。東大出はなんだかんだ言っても優秀だったからだ。しかし、このところそれはそうでもなくなってきたみたいなのだ。とくに理科系では理科離れの傾向を含めて危機感が高まっているようなのだ。
 理科離れに関する問題提起は既に産経新聞社会部編『理工教育を問う―テクノ立国が危うい』(新潮社 一九九五年 一二〇〇円 必読!)でなされているので承知の方も多いと思う。理科的経験を高校までに体験させず(学力を剥ぎ取っている)、上っ面だけの受験勉強をさせていることの問題が指摘されていた。そして一九九九年に話題となった『分数ができない大学生』(岡部恒治他編 東洋経済新報社一九九九年 一六〇〇円+税)は理科離れに限定される問題ではなく基礎科目全体にわたる学力低下に言及するに至った。
 本書は「教育が危ない」シリーズの第一冊目として刊行されたもので、執筆者の面々をみると『分数のできない大学生』の続編として読んでもいい本である。いよいよ深刻になった大学生の学力低下の現実をあげるばかりでなく、元凶を現行学習指導要領にあるとして実証的に批判している点が特徴的である。さらに新学習指導要領がひどい学力低下を招くであろうと危惧する論を展開している。
 ここで紹介して来た一連の「学力低下」危機論が経済界系の出版社から出されていることに注目してほしい。知っておくべきは文部省と経済界は必ずしも仲良しではないことである。それより「同和」教育からは学力に対して危機感はないのかと関係者の見解を聞いてみたい。経済界、理科系の大学人から問題提起はされるが、「同和」教育の現場から学力低下について発言はないのだろうか。被差別部落の子どもたちに科せられた低学力の克服という最も深刻な学力問題から端を発した教育運動から現行の学力観に対する意見がないというのは奇妙なことである。それとも学力保障とやらは内容のある学力を子どもたちに保障してきていると自信をもって言えるのだろうか。もし、何ら問題をも感じずに工夫のない学習指導を続けているとすれば、それはきびしい状況にある子どもたちから学力保障という美名のもとでさらに学力を剥奪していく愚を犯すことになるのだと思う。

★★★★ どういう生徒を私たちは育てようとしているのか。よく考えてみよう。よもや、高校に入れるための勉強の指導を部落の子どもたちにしているとすれば、それはさらに彼らから学力を奪う行為をしていることになるであろう。

posted by ウィンズ at 11:06| Comment(4) | 教育及び教育問題 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
Posted by 唐突ながら at 2010年11月28日 13:19
あんたのいう「学力」とかいうのは
「解放の学力を身につけたから雇わんかいワレ!」
「・・・・で、どんな仕事が出来ますか?・・・」
「はあ?それより給料と有給をちゃんとよこさんかいボケェ!」
Posted by 投下給油 at 2010年11月28日 14:38
しかし、学力不足のコメントですなあ。
表現力や論理的能力が欠落しているんでしょうね。
Posted by 河東真也 at 2011年05月09日 12:02
どうやら同一人物らしいし。
Posted by 河東真也 at 2011年05月09日 12:02
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