2009年09月30日

島田雅彦他『中学生の教科書―死を想え』四谷ラウンド 1200円(税別)

 低学力の克服がどうのこうのと言っている御仁は多いけど、じゃ学力って何だろうか。それより、そもそも学校で教えられている教科っていったい人間にとってどういう意味があるんだろうか。数学の教員が果して数学を学ぶ意味をわかって教えているのだろうか。そのくせ子どもに向かって「どうしてわからないのか」とか、「ここは覚えとけ」とか、「とにかくがんばろう」とか無責任な声かけをしている教師は多いけど、教師自身が教科の意味を理解しているのかというとそいつは怪しいものではないだろうか。教えなければならない教科があるから教えているだとか、たまたま国語の免許を持っているから国語を教えているだとか、そういうのってものすごく子どもに対して無責任なことじゃあないだろうか。
 結局は問い詰められれば「受験に必要だから……」なんて説明しかできなくなってしまうわけで、そんな意味不明なものを教え込まれる子どもたちにしてみれば学校に行くことの意味だってわかんなくなっちまうのも無理ないのカモ。受験のためなら塾で用は足りると割り切る子もいれば、終日ワケのわからない時間を教室の中でじっと堪えて過ごす子もいる。それは教科の意味が教えるほうも学ぶほうもわかっていないからではないだろうか。
 本書は「すべての『教科』は、それぞれに深くどうしようもないものを抱えている。そしてさらに、そのそれぞれは奥深いところでつながっている。奥深いところにある、どうしようもないものとは、人間の『死』である。『生き死に』である。」という共通の問題意識に立ち、学習指導要領に縛られた教員ではないその道の達人が中学生にそれぞれの教科の意味を説いているのだ。
 執筆陣がすごい。島田雅彦(作家)は国語・外国語について、布施英利(美術評論家)は美術、野崎昭弘(数学者)はもちろん数学、宇野功芳(音楽評論家)は音楽、養老孟司(解剖学者)が理科、宮城まり子(ねむの木学園長)は社会、池田晶子(哲学者)は道徳についてそれぞれの達人的世界からわかりやすく中学生に語りかけてくる。例えば宮城まり子氏の社会は昔彼女がまのあたりにした売血の話から書き始めて、吉行淳之介の死で書き終えている。もちろんねむの木学園の話もある。読んだ直後はどこが「社会」なんだって思うけど、彼女が語ったすべての人間の苦悩に対して「社会」という教科は応えるべきなのだってことがじわっとわかってくる。一方で野崎昭弘氏はツルカメ算と高等数学を行ったり来たりしながらジュンジュンと数学の楽しさを語り、今、売れっ子の哲学者池田晶子氏は人間の死について中学生に哲学させようとしている。
 本の間に原稿用紙がはさまっていた。なんとこの本の読書感想文を募集しているのだ。テーマはフツーの感想文の他に「教科と私(例;国語と私、理科と私など)」「学校とは何か」というのが指定されている。これは明らかに中学生にではなく、教師向けの宿題みたいだ。みんなも買ってこの宿題に挑戦しよう。

★★★★ いらんことばっかり教え込まれている中学生、高校生に絶対のお薦め。自分が何を教えているのかわからない教師も読んでおいたほうがいい。


posted by ウィンズ at 11:03| Comment(0) | 教育及び教育問題 | 更新情報をチェックする
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