第Ⅰ部と第Ⅱ部に分かれ、第Ⅰ部は松下氏の誕生から研究者として一人立ちするまでの言うなれば松下志朗青春記である。第Ⅱ部は地域史研究者としての松下志朗の曲折が描かれている。
一人の研究者が、というより一人の人間が懸命に生きるとはどういうことなのか。私たちは比較的そういうことを考えてはいないのではないだろうか。なぜなら現代は懸命に生きようとしなくともそれなりのレールが敷かれていてどのレールが適当かを教師の示唆に待てばいいからである。しかし、人間の人生なんてそんなに単純ではないのである。そのことを私たちはこのような先人の生き方に学ぶべきなのではないだろうか。
もっとも松下氏の生きた戦後という時代の特性はある。確かに松下氏が生きた戦後の社会についての素描は貴重な証言である。それ自体がひとつの社会史になっていると思うし、歴史家として十分意識して書かれている。
松下氏は十一歳の時に父親を亡くされた。そこから氏が歴史研究者として自立するまでの苦闘の日々はついつい引き込まれて読んでしまう。少年期に受けたいじめであるとか、貧しさの中での苦心、大学選択での迷い、高校教師としての葛藤等々が記憶の糸をたぐりながら描かれている。九州大学の大学院に入ったときは他の大学院生より七年も遅れていたという。詳細はそれぞれ読んでほしい。いろいろな人との出会い、そして人間関係の葛藤なども含めかつて文学を志した松下氏の文章は読む人を引きつけて離さない。また、少年期の貧しさやいじめとのたたかいの中に後年部落史に情熱を傾けた氏の原点を見る思いがする。
第Ⅱ部は福岡大学から九州大学経済学部に移ってからの研究者としての模索について書かれている。九州大学に来て松下氏は被差別部落史研究と出会う。今や松下志朗を通らずに部落史を語ることはできないが、その松下部落史が誕生した事情についても書かれている。なんとあの森山沾一さんとの出会いなどということも事件として出てくるし、部落史研究への開眼、そして福岡部落史研究会の設立という事情にも触れている。
松下史学といえば部落史だけではない。松下氏が在外研究を機にはじめたハワイ移民史研究のエピソード、そして福岡県史、宮崎県史といった地域史研究にかかわっていった事情がつぶさに書かれている。もちろん読者諸氏の中には知った人の名も出てくるであろう。それもまた読む楽しみというものだ。なぜ松下氏が地域史にこだわるのかという側面も共感できるのである。そればかりではない研究に対する松下氏の精力的な取り組みの姿勢を通して研究者として生きることの凄さが伝わってくる。
一人の人間がこの世に生を受け時代の波に翻弄されつつもそれを乗り越えて重要な社会的な仕事をするに至る。今風に言えば貧困の中から自尊感情を獲得していく過程が描かれていると言える。また、書きにくいことなのにもかかわらずいくつかの人間関係の行き違いにつついても言及されている。生きていくということはそういうことなのだろう。
本書はもとより二〇〇三年四月に亡くなられたお母様の一代記を書くつもりで書き始めたものがいつの間にか松下先生の自伝になってしまったのだという(あとがき)。しかし、読者としては部落史界の巨頭松下志朗氏の半生を本書を通じて知ることができたのは何よりの幸福であった。
★★★ 部落史に関心を持つ人間は知っておかなくてはならないことがいっぱい書いてある。なにしろ部落史は歴史学なのだということを知らせてくれる。そしてきちんとした学問が解放への近道なのだ。それより人間松下志朗を知ろう(シロウをシロウ)。
最近の父は大変穏やかに毎日を過ごしております。現役時代もうちでは一切仕事の話はしませんでしたが、「仕事に向かううしろすがた」だけは常に見てきたし、私自身影響も受けたと思います。ありがとうございました。