2011年01月01日

百田尚樹『永遠の0』講談社文庫 八七六円+税

 戦争とはむごいものである。そんなことは百も承知なのだが、そのむごさを僕たちは忘れてしまったのかもしれない。殊に日本がやってしまったあの戦争は無謀な戦いでもあったが、それに対する異論を一切許さなず、異様な精神状態を煽られるようにして破綻に向かっていった。そのことはあちこちで書かれているから今さら繰り返して言う必要は無いだろう。
 この戦争で闘った兵士たちはどういう気持ちで闘っていたのだろうか。単純に熱狂的な愛国者であったとか、みんな軍国主義者へと洗脳されていったのだ、とか非難がましいことを言うのは簡単である。特攻隊として死んでいった人間がほんとうに自ら死を望んで志願していったのか。実際、志願していったのであるから、そうなのだろうと言ってしまっては極限状況の中での人間について理解することはできないだろう。
 戦後、平和教育は戦争の悲惨さを語り、その過ちを追求し、平和のありがたさを子どもたちに伝えようとしてきた。しかし、戦後六十五年という歳月が過ぎた。その戦争を体験した人も高齢となり、日本の戦争体験そのものが風化しているのかもしれない。だからこそ現在のわれわれと血の繋がる実感の中で戦争体験は残しておくべきなのではなかろうか。
 本書は平和教育のテキストじゃあない。一篇の小説である。んで、ちょっと厚い(文庫本で二・五センチ)。
 『永遠の0』の0とは太平洋戦争で活躍した海軍の戦闘機零戦(ゼロせん)のことだ。今の若者がどれだけ零戦について知っているかはわからないし、まして子どもたちは知らないんじゃないかな。だけどある年齢以上の人なら誰でも知っている名機なのだ。ゼロという名前はアメリカの兵士にとっては不気味なイメージを与えていたようだ。何しろ何にもない0を名乗っているのだから。だけど、そういう不気味さを漂わせるために付けた名前ではない。零戦の0とは昭和十五年に作られたことに由来する。その年は皇紀二六〇〇年という記念すべき年として日本全国が盛り上がった年だ。皇紀というのは西暦に対抗して日本独自の紀元を作ったもので、神武天皇が即位した年を元年として定めたものだ。まあ、歴史的な信憑性は全くないのだけれどね。この皇紀二六〇〇年の0をとって零(れい)式艦上戦闘機と命名したもので、通称ゼロ戦と読むのはその後の成り行きだったみたいだ。
 という寄り道はともかく、本書は一人の零戦搭乗員をめぐる物語である。物語はフリーライターの姉と司法試験に挫折している弟の二人がひょんことから自分たちの祖父について調べ始めようとしたことから始まる。この姉弟の祖父は健在なのだが、実は血のつながりがない。祖母は再婚であり、夫は娘、つまり彼女たちの母親を残して特攻隊員として亡くなったのだという。彼女たちは若くして亡くなった祖父の人物像を明らかにしていくために戦時中の祖父を知る人を訪ね、祖父の人間性を訊きだしていくのである。まず最初に聞かされたのは祖父が臆病者であったということ、なんと戦闘機乗りたちがみんながこぞって死を覚悟していた時に「死にたくない」と公言していたというのだ。孫である二人を前に祖父への嫌悪感を剥き出しにする人、祖父が戦闘機乗りとしては卓越した技をもっていたこと、部下に対しても敬語を使うような人物であったことなど、少しずつに祖父なる人物の実像が明らかになっていくのだ。新しい証言者に会うたびに祖父の人間像は固まっていく。舞台はラバウルであり、ガダルカナルであり、大村であり、所を変えてはいくが、いずれにせよそこは戦場であり、祖父も、また姉弟に当時を語る老人たちもみな毎日誰かが死んでいくという極限状況の中にいたのである。その異常な世界の中で死にさらされた人々の人間の思想、死生観は言葉の裏の裏もしくはその裏で屈折して吐露される。
 そうやって彼女たちの未知の祖父の実像が解き明かされていく過程は息もつかせず、ぐいぐいと読む者を引き込んでいくのだ。そして日本という国が、日本軍が、いかに愚かな戦いをしていたのかも明らかになってくる。そして日本軍の指導者たちの人命に対する感覚、彼ら自身の保身、思慮のなさ、そんなものも白日のもとに曝されていく。
 その中で人間の真実というものに読者は出会う。平和教育をしっかりと行うつもりならば、このような人間の本質に迫るものでなければならないだろう。本書中に登場してくる姉の恋人は特攻隊を「テロリストと変わらない」と言い、彼らは洗脳された熱烈な愛国者だと非難する。この程度の平和イデオロギーはわれわれの周縁にはいやと言うほど蔓延している。だけどそのリアリティのなさをわれわれは気づくべきではないのか。本書はこういう薄っぺらい人間観、平和主義を俎上にあげて本書は特攻隊員たちの真情に迫っていくのだ。彼らは単純に国家や天皇に殉じて死んでいった妄信的な愛国者なのではない。それを読み取る力が平和教育には必要だし、ある教職員団体が「教え子を再び戦場に送るな」と言っていた原点はここにあるのだろう。この標語を標語として風化させないためにも、また人間の命の尊さを再確認するためにもこの小説は読んでおきたい。
 本書は実在の撃墜王と呼ばれた人物を登場させ、特攻に象徴される日本軍の人命に対する感覚、作戦のまちがい、指導者の無能などを史実をもとに的確に叙述し、あの戦争のあり方がいかにまちがっていたのかを見事に描ききっている。この小説は平和教育に実を与えるものをたっぷりと盛り込んでいる。ミステリーと言ってもよい小説なので、中学生なら読めるし、是非とも読んで貰いたい。まして平和教育にかかわる教師ならなおのことである。


☆☆☆☆ あくまでこれはミステリーなのだ。謎解きが仕組まれている。想定外の結末が待っているのだが、その結末を知ったとき私は止めどなくあふれてくる涙を抑えることができなかった。そして涙を拭いたとき、この小説が何より美しい人間の心情を描いた崇高な恋愛小説であることを知った。
posted by ウィンズ at 15:28| 福岡 ☁| Comment(0) | 戦争と平和 | 更新情報をチェックする